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小説 「僕と彼らの裏話」 40

40.急転直下

 正社員のみが招かれたという送別会が終わり、43年間に亘って会社に尽くしてきた石川常務は、愛する妻と共に故郷へ帰った。
 社長の兄が41歳にして新しい「常務」となり、若き社長や専務と共に、新たな時代を築いていく……はずだった。

 常務が交代してからというもの、社内は混乱を極めていた。
 たった一人の職人が引退しただけで、これまでと何ら変わらない「納期までに、図面通りの品を造る」という、この上なくシンプルな業務が……何故か、うまくいかない。急激に残業が増え、前後半の交替制が崩壊した。負傷者と退職希望者が続出し、職人達は日常的に言い争うようになり、時には「鉄拳制裁」を目の当たりにした。
 先生の紹介で入社したはずの飯村さんは、石川常務の退職後、真っ先に姿を消した。


 これまで2階の「個室」に隔離されていた僕は、1階で他の人々に混じって作業をするようになった。僕一人のために、複数人が頻繁に2階へ資材や図面を運ぶという やり方は、続けていられなくなった。

 コンクリートの床に据付けられた旋盤や研削盤に、黙々と向かい続ける職人達。滝のように汗をかきながら、素材の加工によって生じる煙や粉塵、小さな欠片を、全身に浴び続ける。
 覚えのある光景に、僕は身を固くした。
(僕は、須貝部長の『弟子』だ……!)
大切な思い出を胸に、自分を奮い立たせる。あそこで半年も戦えた身体なのだから、此処でも、それなりにやれるはずだ。『戦力外』だなんて、言わせない。
 しかし……崇高な意欲の炎は、数時間もすれば、すぐに涙で消えてしまう。
 見知った顔ぶれに囲まれて、解りきった作業をしているだけなのに……周囲の【視線】が、怖くて堪らない。
 僕の作業スピードは「速い」部類に入る。しかし、誰かが同僚を怒鳴りつける姿を頻繁に見ていたら、自分もいずれ「遅い!」「寸法が違う!」と、怒鳴られるような気がしてならない。
 それだけではなく、高校生や大学生のアルバイト達が、40代でありながら「アルバイト」をしている僕を、陰では嗤っているかもしれない。あるいはインターネット上で、古い何かを見聞きして、僕を『人外』として見下しているかもしれない……。今、この場に僕が居ることを、彼らは学校で面白おかしく話すかもしれない。僕の醜態をどこかに投稿するかもしれない……。
 過剰なまでの緊張と不安に心を囚われ、製品の寸法が狂い始める。それによる焦りが更なる失敗を招き、任せられた仕事を時間内に終えられないこともあれば、一からの「作り直し」が発生することもある。そんな時の罪悪感は凄まじいし、その姿を【他者に見られている】ことが、何よりも恐ろしい。
 ふと気がつくと、無様に涙を流しながら旋盤に向かっている自分が居る。

 それでも、僕は それしきのことで手を止めたりはしない。誰かに涙や喘鳴のことを指摘されたら「アレルギーかもしれない」と言って はぐらかし、ハンドルを回し続ける。
 与えられた任務は、完遂しなければならない。

 しかし、僕自身がどれだけ意地を張ったとしても……社長に止められてしまうことが、しばしばある。
 多忙な彼女が現場に入るのは、どんなに早くとも17時以降である。13時から勤務している僕は、その時間には大抵「限界」を越えてしまっている。
 手足が震え、喉から病理的な音を出している僕を、彼女だけは看過しない。

 この日も、僕は研削盤を使っている途中で社長に止められた。
「そちらは、他の人にやってもらうので……」
検査室に案内され、そこで、夥しい数の小さな製品の「バリ取り」を命じられた。
 座らせてもらえるのは、ありがたい……。

 その部屋に一人残された僕は、黙々と棒やすりを動かし、製品そのものを変形させてしまわないように、不要な樹脂を削り取っていく。今日中には終わらないかもしれない。けれど、呼吸は整っていく。本当にありがたい。
 作業開始時に少しだけ開けておいた窓の外から、言い争う男女の声がした。僕を2階に戻すか否かで、社長と新常務が揉めているようだ。社長は「今すぐ戻せ!」と言い募り、新常務は頑なに拒む。
「あの人は、イレギュラーの短期バイトだろ!?いつまで来るかも分からないのに……特別扱いは無しだ!」
「あの人には、持病があるんだよ!合理的配慮が、必要なんだ!」
「だったら、事務方にやれ!パソコンやらせろ!!」
「何てこと言うんだ!!あれほど、仕込みの速い人は居ないのに!」
「いちいち全部2階に上げる、手間を考えろよ!!」
終わりが見えない。
「兄貴のやり方は、馬鹿げてる……!!!」
社長の怒鳴り声に続いて、紙の束が、何かに叩きつけられたような音がした。手にしていた図面の束を、足元のアスファルトに投げつけたのだろうか……?
 最終的に、社長のほうが「時間の無駄だ!」と吐き捨て、その場を去った。新常務は一人になってまで悪態を吐いていたけれど、やがて現場に戻っていった。

 その後、僕は社長と新常務の2人から別々の指示を いくつも受け、さすがに一人ではどうにもならないと感じ、社長のもとへ行って「優先順位」を尋ねた。しかし、それを きっかけに、僕は再び彼らの口論を目の当たりにすることとなった。兄が現場の状況を正しく把握していないことに激怒した社長が、他の従業員達も見ている前で彼を問い詰め、怒鳴りつけた。
 喧嘩腰とはいえ真っ当な指摘であるのに、それに逆上した新常務は、残りの仕事を投げ出して帰ってしまった。
 社長は、無責任な兄を追いかけることはせず、彼が残した仕事を肩代わりすることを選んだ。



 終業間際。僕は再び一人で検査室に篭り、明日納品の小さな製品を机に並べ、形状に異常が無いか確認しつつ、数を数え続けていた。今日中に、2000個の検品・梱包を終えなければならない……。(梱包は、一つの袋に入れるだけだ。すぐに終わる。)目が疲れているし、頭が痛い。そして、あまりにも空腹で、製品が砂糖菓子に見えてくるほどだった。
 すぐ近くにある男子トイレの個室で、誰かが嘔吐している。というのが、音で判る。別段、珍しいことではない。自分だって、町工場という場所で、何度吐いたか分からない。
 しかし、そこから出てきた人物と目が合った時、僕は言葉を失った。
 現れたのは社長で、更には、別人のように目が据わっていたからだ。
 彼女は肩で息をしながら検査室に入ってきて、手近な椅子を引き寄せて腰を下ろし、検品用の机の一つに突っ伏した。
 兄の肩代わりをしたことは立派だし、下の者に丸投げをせず、自ら最前線に立ち続けるというのは、真に尊敬すべき姿勢だ。しかし、自分よりも歳下の女性が、吐くほど頑張っているというのは……さすがに心が痛んだ。
「社長。水か何か、お持ちしましょうか……?」
「いいえ……どうぞ、お構いなく……」
社長は、頭を起こせる状態ではないらしい。
「もう、すぐにでも着替えて、戸締まりの時間まで休まれたほうが良いのではありませんか?」
彼女は、首を横に振りながら、突っ伏していた上体を起こした。いつの間にか、目の下には真っ黒いクマができている。
「こんなもの……工場長や悠さんの、味わってきた苦しみに、比べれば……!」
非常に仲間想いの、優しい人だ。しかし、それは「比べてはいけない」ことだ。
「そんなことを言いだしたら……貴女まで、倒れることになります!」
「私は……どこで、何が、どうなろうと……仕事を投げ出すわけにはいきません。【社長】ですから……!」
以前にも聴いた台詞だ。しかし、今はとても苦しそうだ。
 僕は、先生が戻ってきた後も、出来ることなら、此処へ通って彼女を支えたいと思った。週に2回くらいなら……来られる。
 しかし、この場で それは言えない。僕はもう、単身者ではない。独断では決められない。

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 結局、彼女はその日、自力で運転することを断念し、専務の車で帰宅した。


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【41.勇士の帰還】
https://note.com/mokkei4486/n/nd03016daf016

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