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小説 「僕と先生の話」 13

13.休職

 一週間も経たないうちに、岩下さんから連絡があった。
 彼は、あの日の出来事を何も憶えていないという先生に対し、過度の衝撃を与えないために、僕のことは「体調不良で早退し、その後ずっと休んでいる」と説明しているそうだ。僕の持病を知っている先生は、僕の心配ばかりしているらしい。
 僕の存在そのものは、憶えているのだ。

 先生の精神状態は落ち着いているというけれど、記憶に関する症状が強く出ているので、復職のタイミングについては、もうしばらく待ってほしいと言われた。
 彼が、最低でも半日は先生の家に滞在できるようスケジュールを組んで、それに合わせて、僕を復職させたい考えだという。
 雇用主側の都合での休職になるから、復職後に賞与を増額することで補償をすると説明があった。(この仕事は、日頃から先生側の都合で出勤日が増減するから、初めから そういう契約である。)


 ハウスキーパーという職業の厄介なところは、自宅で家事をしていても、仕事のことが頭から離れないことだ。
 自宅で掃除や洗濯をしていると、先生のことが頭から離れない。
 僕も、過去の出来事について叫んでしまいたくなる。(こんな壁の薄い安アパートで叫んだら、隣人とトラブルになるだろうな……。)

 自宅で、いつ来るかわからない連絡を待っていてもしょうがないし、僕は数年ぶりに旅行に行ってみることにした。旅先でも電話は通じるのだから、問題ないはずだ。

 片田舎の営業所に飛ばされていた頃に知った山奥の温泉に、また行ってみよう。(レンタカーが必須だ。)


 料金の安い湯治宿に連泊しながら、いくつかの日帰り入浴施設を廻ることにした。

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 滞在して3日目、インターネットで簡単に見つかるような有料の広い浴場ではなく、昔から地域住民に愛されてきた無料の小さな浴場に入ってみることにした。

 僕がタオルと石鹸類が入ったカゴを手に浴室に入ると、ちょっと太った60歳前後の先客が、湯に浸かっていた。
「見かけない顔だねぇ。どっから来たんだい?」
唯一の先客は、地元の住人らしい。
 僕が正直にどこから来たのか答えると、彼は「仕事はどうした?」「一人か?」など、次から次へと質問を投げかけてきた。
 僕は、頭や体を洗いながら「休みを取った」「一人で来た」など、当たり障りのないことを答えた。
 シャワーが無いので、彼が浸かっている湯船から湯をすくうしかない。少し熱いから、水道の水を足す。
「それで、こんなとこを選ぶなんて、おまえさん……『通』だねぇ!」
 指をさされたけれど、別に悪い気はしない。
 僕は、昔この県で勤務していたこと、その頃に見つけた温泉であることを話した。
「なーんだ。こっちに居たんかい!どのくらい居たんだ?」
「6年か、7年か……もう忘れました」
「そんなに気に入ってたんなら、こっちで嫁さん貰えば良かったじゃねえか!」
「いやぁ……そうもいかなくて……」
話を掘り下げられたら、母が病気になったからと言えばいい。嘘ではないし。
「地元は、どこなんだ?」
「北海道ですよ」
「北海道!? そりゃあ、また、遠いとこだねぇ!」
彼は、運送業の経験者らしく、自分が若い頃にトラックで北海道まで走った日々のことを、あれこれ語り始めた。
 僕も湯に浸かり、久方ぶりに道内の話を楽しんだ。
 彼の口から、父の勤務先の名前が出てきた時は、どきっとした。(大手だから、不自然なことではないけれど。)

 一緒に風呂から上がり、脱衣所でのんびり涼んでから、服を着て、すっかり僕を気に入ったらしい彼が「どうせ、一人なんだろ?飯、食いに行こうぜ!」と言い始めた。
「湯治宿なんか、飯出ねえだろ?」
確かに、僕が泊まっている宿は、朝食しか出ない。
 いや、しかし、初対面のおっさんと食事?どこで?お互いが、別々の車で来ているわけだし……。
「宿に車置いて、待ってろ!俺が乗っけてってやる!」
どこまで本気なんだ?
「いや、僕のでいいですよ。道は大体わかりますし……」
赤の他人のマイカーよりは、レンタカーのほうが安心だ。
「俺の車、どうするんだよ!!」
具体的なことを考えるのが、面倒くさくなってきた。
「……わかった。俺の家まで、ついてこい」
「なしてさ!?」
「車置きに帰るからよぉ。後ろ、走ってついてこいや」
 はぐれたふりをして逃げてやろうか……とも思ったけれど、滞在先に目星をつけられているようだし、怒らせたら厄介だと感じた。

 結局、僕は彼の自宅近くのコンビニで待たされることになり、彼をレンタカーに乗せて指定された居酒屋まで走ると、彼は店に着くなり「後輩達を呼ぶ」と言い出した。
 ガラケーで後輩と話し始めた彼は、電話口で「北海道から、俺の友達が来てるんだ!」などと言い出し「俺が奢ってやるから、来いよ!」と豪快に笑った。
 2人で先に入店し、後から20代前半らしい若者が4人やってきた。1人だけ女性がいた。
 彼らが到着するまでの間に、僕は座敷で彼に名前を訊かれ、苗字を答えると「ちげーよ!下だよ!」と叱られた。僕は正直に答えたけれど、向こうは「俺のことは、マッサンと呼べ!」と、ニックネームらしきものを指定してきた。

 マッサンの勤務先の若手社員だという4人は、皆同じ寮に住んでいるらしい。「パートのおじさんに奢ってもらえる」ということで、翌日も朝から仕事があるというのに集まってきたそうだ。


 人数分の飲み物がやってきて、飲み会が始まった。僕だけは酒を頼まなかった。
 どうして、こんなことになっているのだろう……?まるで、単身で見知らぬ国を旅して、なりゆきで現地の人気者と仲良くなったみたいだ。

 彼らからすれば、僕だけが「ゲスト」であり、何らかの「面白い話」を期待されていることは、よく分かった。
 彼らは、自分達がどのような職業に就いているのか話してくれた後、当たり前のように僕の職業を訊いてきた。
 ご本人の同意なしに、先生の私生活について語ることはしたくなかったから、僕は職業を「料理人」だと言い「今は店長の具合が悪いから店を閉めている」と話した。「場所は?」という質問に、故郷である「札幌」と答えると、彼らは、その場でネット検索をしようと店名を訊いてきたけれど「うちにホームページは無い」と言うしかなかった。

 札幌がどういう街であるかとか、自分は若い頃にこの県で薬屋の営業マンをしていたとか、マッサンと知り合った温泉のことなどを、適当に話してやると、素直な彼らは喜んで聴いていた。
 また、勤務先で毎日作っていた料理の話や、「店長」と称して先生の話をすることは、思いのほか楽しかった。「店長」の生真面目さや、動物に対する敬意や愛情について語り始めると、不思議と止まらなかった。
「そうか、解ったぞ!」
何杯目か分からないジョッキを空けたマッサンが、急に大きな声を出した。
「その『店長』ってのは、女だろ!」
「え、どうして分かるんですか?」
すると、唯一の女性ユキちゃんが、真っ赤な顔で訊いた。
「店長さんは、独身なんですか?」
「独身だよ」
「わぁ……!」
何故かユキちゃんは、両手で口を隠す。
「……稔さんは、店長さんが好きなの?」
「え!?」
「おぉ!?」
「ヒューヒュー!!」
「ワーォ!!」
酔ったユキちゃんの空想で、男連中が騒ぎ出す。(僕とユキちゃん以外の4人は、飲み食いをしながらでも当たり前のように煙草を吸う。)
 僕は恋愛感情について否定したけれど、彼らはそれを認めない。テレビドラマの展開を予想するように、愉快な空想の話が止まらない。
 もういい。もういい。この場では、そういうことでいい。この場限りの、空想なんだから。


 解散後、酔ったマッサンを助手席に乗せて、僕はまたコンビニに戻らなければならなかった。(若者達は、運転代行サービスを頼んでいた。)
「やっぱり、おまえさんは面白い話を考えるのが巧いなぁ」
「はぁ……」
酔っ払いの言うことなので、適当に生返事をした。
「今は、札幌で働いてるんじゃねえだろ」
「あ、はい……」
マッサンは、僕が風呂場で話したことを、ちゃんと憶えていたらしい。
 彼が、当たり前のようにボディーバッグから煙草を取り出したので「この車、禁煙ですよ!」と注意したら、舌打ちをされた。彼は「堅いこと言うなよ!」と不満げだったが、素直に煙草をしまった。
「なぁ」
「何すか?」
「……もう、漫画は描かねえのか?」
(どうして、そんなことを……!!?)
「何のことですか?」
僕は、すっとぼけることにした。
 まさかとは思うけれど、こんな山奥のおっさんが、もう削除された あの掲示板を見ていて、しかも僕の顔を憶えているのだとしたら、実に恐ろしい。15年以上前の話だというのに……!!
 しかし、彼の情報源は、違った。
「俺、おまえの親父さん知ってる気がするわ」
「え……?」
「20年以上前の話だけどな。俺が、そこの会社に荷物を積みに行くとよぉ、毎回同じ人が対応しに出てきたんだ。俺と同じ歳だって言ってたな。……で、その人は『息子を漫画の学校に行かせてやりたい』って、頑張ってたんだ」
それだけで父だと断定はできないが、マッサンが運送業者として父の勤務先に出入りしていたことは、昼間に聴いた。
「サカモトのモトは、元気の元だろ?」
「そうです」
「親父さん、随分前に亡くなったろ」
「はい」
「やっぱりそうか……」
 マッサンが知っているという人は、父である可能性が高い。
「俺は、自分と同じ歳の人間が『突然死』って聴いてよぉ……すんげぇびっくりしたし、怖くなったよ。それで、よく憶えてる」
 マッサンが、初めて「真面目な話」をした気がする。
 僕は、前方とカーナビの画面だけを見ながら、黙って運転を続けた。
「それに……おまえ、あの親父さんに そっくりだもんよ!!」
「そうですか?」
 僕は、父のような楽天家ではないし、あんな大酒飲みでもない。煙草だって吸わない。 
 自分と父親を「似ている」と思ったことはない。

「お袋さんは、元気なのか?」
「もう居ません」
「天涯孤独ってやつかい……」
 真っ暗な田舎の夜道を走るのは久しぶりだったから、僕は返す言葉を考える余裕を無くしていた。
 明るいうちに通った時とは、違う道に見える。

「おまえ『店長』と一緒になっちまえよ」
「また、その話ですか!?」
「良いじゃねえか!経営者!!」
 下世話な話を適当にはぐらかしているうちに、目的のコンビニに着いた。
 僕も何か買おうと思った。
 車を降りると、マッサンは僕に「何かの縁だ」と言って電話番号の交換を求めてきて、僕はそれに応じた。
 歩いて帰ると言う彼を見送り、買い物を済ませた僕は、宿に向かって車を走らせた。


 僕が、先生と結婚?
……まるで現実味が無い。
「天照大神と結婚しろ!」とでも言われた気分だ。僕みたいな凡人以下のポンコツが、あんな神がかり的な才能の持ち主と、釣り合うわけがない。
 それに……先生は、婚姻そのものを望まない人である気がする。

 先生は、今頃どうしているだろうか?


 もっと短気で、もっと暴力的な【健常者】は、いくらでもいる。
 僕が新入社員だった頃、僕の言動を執拗に監視し、事あるごとに怒鳴りつけてくる先輩社員が居た。(標的は僕だけではなかった。)後輩からのメールや書置きの文言ひとつ気に入らなければ罵声を浴びせ、同じミスを複数回繰り返せば殴り、指導や叱責のため「居残り」という名のサービス残業を命じ、飲み会では必ず後輩に多量の飲酒を強要して酩酊した姿を写真や動画に撮る。被害に遭った後輩が社内の誰かにそれを話すと、報復として大勢の社員が見ている前で腕立て伏せを強要したり、社員食堂で食事に異物を入れたり、眼鏡を奪い取って壊したり、本当に無茶苦茶な奴だった。(彼の暴力によって、若い男性社員が何人辞めたか分からないけれど、役員の親族である女性社員に対するセクハラが発覚するまで、彼は異動にならなかった。社内では、彼による【洗礼】と「可愛がり」が黙認されていた。)
 そいつと、その共犯者達のほうが、よっぽど「異常」だった。

 あの日、先生が僕にしたことを、僕は「暴力」だとは思わない。


次のエピソード
【14. 再会】
https://note.com/mokkei4486/n/n2720ea90a691

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