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小説 「僕と彼らの裏話」 6

6.「臆病風邪」

 復職の日取りについて、先生から了承が得られた。主治医に相談する気は、初めから無い。僕からすれば、あの おっさんは「白衣を着て、薬を選ぶだけのロボット」だ。患者である僕の、脈をとるどころか、顔色さえ見ない。
 あいつは、パソコン画面しか見ていない。
 先生か哲朗さんのほうが、よほど「医者らしい」対応をしてくれる。(お二人は医師ではないけれど、先生は『元 医学研究員』であり、福祉施設でも勤務経験がある。医薬品にも詳しい。哲朗さんは、ご自身を『ただの健康オタク』と称するけれど、彼の心理学と東洋医学に対する理解度は一般人のレベルではない。そして、無資格でありながら、整体がプロ級に巧い。)
 大抵の不調は、あの お二人に相談すれば、なんとかなる。


 いよいよ飛行機のチケットを予約したことを、宮ちゃんと修平、そして部長に報告する。
 しばらく宮ちゃんや部長に逢えなくなるのは、本当に寂しいけれど……今はインターネットがある。お互いの連絡先だって知っている。
 修平に関しては……最近、少し ぎくしゃくしている。向こうは日々 激務に追われて苛ついているし、宮ちゃん宅に”通い詰めている”僕が、彼女に関する情報を何も教えないことについて、何故か ご立腹だ。
 僕が宮ちゃんに それを伝えると「放っとけばいいと思う」という回答だった。
 僕の知らないところで、この2人の間にも、何かがあった気がする……。憶測に過ぎないけれど、修平が、彼女に何かデリカシーの無い質問をして、彼女を怒らせてしまったのではないだろうか……?

 この日も、僕は宮ちゃん宅に泊まる予定で来ていた。夕食後、特に何をするでもなく、2人してソファーでゴロゴロする。(もちろん、食事の後片付けは終わっている。)
 身を寄せ合うわけでもなく、それぞれが思い思いの体勢でスマートフォンを操作し、観たいものを観ている。
 僕は、自分が飛行機に乗る空港のホームページを閲覧しながら、お土産について考えつつ、今のうちにローカルコンビニで買っておきたい品々についても思慮を巡らす。
「明日も、またレンタカー借りよっかなぁ……」
「どっか行くの?」
僕の独り言に、彼女が応える。
「んー?……道の駅とか、動物園とか……?」
「ふーん」
「……一緒に行く?」
「えぇ!?」
嫌そうだ。
「いや、無理にとは言わないよ。仕事あるだろうし……」
「そだね。仕事だね」
「……お土産買ってくるよ」
 その後、彼女に好きな動物とか、好きなお菓子とか、お土産の選択に必要なことを いくつか訊いた。
 彼女は「強いて言えばペンギンが好き」らしい。好きな種類も、いくつか教えてくれた。僕は「アデリーペンギン」と「イワトビペンギン」だけは憶えた。

 僕が、本州で車を買うかどうかで迷っていたことを話すと、彼女は「内地の都会なら要らないんじゃない?」と、あっさり即答した。
 しかし、僕の「車が欲しい理由」は、今や「電車が怖いから」だけではない。
「宮ちゃん……夏場は、電車とか乗って、誰かと遊びに行ったりする?」
起き上がりながら、尋ねる。
 それは、改めて「一緒に車で出かけたい」という話に繋げるための『前振り』のつもりだった。
「嫌よ、そんなの。面倒くさい……」
彼女は、ずっとソファーに両肘を着いて、僕に脚を向けて寝そべっている。視線は、ずっとスマートフォンに向いている。
 彼女は その後、車椅子で出歩くことがいかに面倒で億劫かを、懇々と語った。
 雪で出歩けないことについて不満を漏らしていたけれど、雪が無くなっても、様々な障壁が彼女の行く手を阻むのだ。
 トイレを探すだけでも一苦労だし、事前に きちんと下調べや予約をしてから行かないと、駅や店舗で利用を断られることもあるのだという。
「そういう、はんかくさい国なのよ!」
(※はんかくさい……北海道弁で「馬鹿げている」「あほらしい」を意味する単語。)
 そう言いながら、起き上がる。僕のほうを向いて座る。

「だいたい、私は元から『インドア派』なの!」
「……そんなん、僕もだよ」
外出に関する話は、やめることにした。
「まだ、絵描いたりしてる?」
「いや……。もう、全く描いてない。描き方、忘れた」
「忘れたりなんか、するの?あんなに上手かったのに……」
「巧くねぇべや……あんなん、小学生でも描けるっしょ」
今どきの小学生なら、もっと巧いに違いない。
「そうかなぁ……私は、あんたのギャグ漫画、結構好きだったよ。くっだらなくて、最高に面白かった!」
彼女は、再びスマートフォンに目を落としながら、それでも心底楽しそうに笑ってくれた。
 当時の僕は「絶望的に絵が下手だ」という自覚があったからこそ、大真面目なストーリー漫画ではなく、荒唐無稽かつ支離滅裂なギャグ漫画ばかり描いていた。自分なりの【教訓】を込めて、至極 大真面目に描いたものを「下手くそ!」と笑われるよりは、初めから「読む人を大爆笑させる」つもりで描いたほうが、気が楽だったのだ。

 しかし……久方ぶりに漫画の話をしたら、一気に【誹謗中傷】の記憶が、頭になだれ込んできた。
 加害者集団は、僕の「漫画が面白くて」笑っていたのではなく……僕自身が「ゲイに違いない」「気持ち悪い」と言って、嗤っていたのだ……。僕の体型とか、男性器とか、“性癖“のことを、知る由もないくせに、あること無いこと、面白おかしく……世界中に向けてバラ撒きながら……。
 その、ほとんどが【嘘】だった。それでも、本当の僕を知らない人達は、それを信じた。
 僕が大昔に描いた漫画に、ゲイのキャラクターが登場したことは事実だけれど、異性愛者のキャラクターのほうが、圧倒的に多かった。にも関わらず、何故か僕には【ゲイ疑惑】が かけられ……僕は、暇な学生連中の玩具おもちゃになった。
 当時の僕に、生身の人間としての尊厳は無かった。

 何かの拍子に、ふと それを思い出して、心に隙間風が入り込んだようになってしまうと……もう、駄目だ。
 世界の総てが、怖い。
 誰が何を話していても、怖い。全ての「笑い声」が……怖い。全員が、僕の全てを嗤っている気がする。
 そうなると、家から一歩も出られない。テレビも、ラジオも、つけられない。
 すっかり怖気づいて、身体が動かなくなる……いわゆる「臆病風に吹かれた」状態かとは思うけれど、僕の場合、それが半日〜数日続いて、寝込んでしまうこともある。だから、僕は個人的に『臆病風邪』という造語を当てはめる。

 心臓がフラフラ揺れているみたいで、生きた心地がしない。
 腹の奥底が冷えてきて、ぶるぶるっと、体が震える。涙が溢れて、鼻水が垂れてくる。「ぐすん、ぐすん」という音に、もちろん彼女も気付く。
「えっ……どうしたの?坂元……」
「わからない……ごめん……」
僕は、顔を隠すように下を向く。背中を丸める。
「私、何か まずいこと……」
「違う……ごめん。……疲れたりすると、急になるんだ。……いつもこうだから…………だから休んでる……」
「そっか……」

 情けないけれど、震えが止まらない。呼吸は、まだそこまで酷くない。
「苦しい?」
「少し……」
「薬、持ってるんだよね?」
「あるけど……大して効かない……」
下手な頓服より、いつもの眠剤のほうが、よほど情緒が安定する。……しかし、それを飲んだら、眠ってしまう。一日が終わってしまう。
「水、持ってこようか?」
「それより、タオルが欲しい……普通の、フェイスタオルでいいから……」
 彼女は、すぐに洗濯済みの綺麗なタオルを持ってきてくれた。
「ありがとう……」
 僕は横向きに寝て、背中を丸めて、タオルで目を覆うようにして、しばらく止まらないと解りきっている涙を、吸わせ続ける。
 貸してもらったタオルは、すごく良い匂いがする。……とても安心する。
「しばらく借りてていい……?」
「もちろん」


 病理的な震えが治まり、涙も止まった頃に、顔を洗いに行って、また戻ってきた。
 借り物のタオルを首にかけたまま、ソファーに背中を預けて座る。上を向いて、大きく息を つく。
「まだ、復帰しないほうがいいんじゃない……?」
「いや……これでも、すごく良くなったんだ。……酷い時は本当に、料理も、掃除も……何も出来ない。ほとんど何も食べられないし、風呂にも入れない。日がな一日、寝転がって、泣いてるだけ……」
彼女は、何も言わない。沈黙で応えてくれる。
「先生は……僕が泣きながら仕事してても、そっとしておいてくれるし……『体調を最優先に』って、自由に休暇を取らせてくれる。『時間内に昼寝してもいい』って、言うくらいだから……すごく、働きやすいんだ。もう、よそへは行けないね……」
「……よく、解ってくれてるんだね」
「先生は昔……大学病院で、認知症と、精神疾患の研究をしていた人なんだ」
「え、すご……!」
「凄い人だよ。博士号は無いけど……。でも、僕は【博士】とお呼びしたいな」
「なんで、そんな人が、動物の絵本なんか描いてるんだろう……?」
「先生は、動物が大好きなんだ。暇さえあれば動物園に行って、実物を見て絵を描くんだ。……虎と仲良しなんだ」
「へぇ……。あ、それで『動物園で お土産買う』とか言い出したのか」
「そうだよ」

 しばしの静寂の後、僕は真正面を向いたまま、大きな独り言のように言った。
「僕、休日は基本的に ”がおってる”から……一緒に暮らすなら、家で、一緒にゴロゴロしてくれる人が良いな。……インドア派の人が良い」
(※がおる……北海道弁で「精魂尽き果てて、寝込む」に相当する単語。)
「良かった。……気が合いそう」
「そう?」
そこで、やっと彼女の顔を見る。
「私も、インドア派の人が好き。あちこち連れ回されるのは嫌……」
あえて、合理化してくれた気がする。
「家で……一緒に、アニメの一気観いっきみとか、したいなぁ」
「良いねぇ!」
僕の提案に、彼女は賛同してくれた。
「海外ドラマも良いよね!」
「良いかも。……あぁ。あとさ、何かのゲームで勝負しようよ」
「何かって何さ?」
「……これから考えるんだ」
それを聴いて、彼女が また大きな声で笑った。
 その声は……もう、怖くない。
 むしろ……すごく温かくて、勇気が湧いてくる。「あぁ、頑張ろう……!」と思える。

「ありがとう、宮ちゃん。……おかげで、落ち着いたよ」
「そう?……なら良かった」
 僕は、ほとんど無意識のうちに、彼女の手を握っていた。
 彼女も、律儀に握り返してくれる。


 その後……宮ちゃんが、半ば呆れたように「お風呂入っといでよ!」と言うまで、ずっと そうしていた。


次のエピソード
【7.受け入れ準備】
https://note.com/mokkei4486/n/nb55e7f5c7e33

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