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小説 「六等星の煌き」 2

2.凶兆

 あれから2週間近く観測と計算を続けた結果、私が夜空に見つけた星は「迫りくる隕石である」という結論に至った。更には、私の計算が正しければ、それは一ヵ月かそこらのうちに、この国の領土内に落ちる。何よりも恐ろしいのは、落ちる確率が高い地点は、古代から隕石落下の頻度が高い【居住禁止区域】ではなく、数十万の民が暮らす、国内有数の大都市なのである。
 それだけの数の住民を、そんな短期間のうちに、職も暮らしも棄てさせて、よそへ逃がすなど、考えるまでもなく至難の業である。しかし、少しでも遠くへ、逃げなければ死ぬのだ。地下にでも避難して、衝突に伴う爆風や大地震、火災の中を、運良く生き延びたとしても、落下直後の隕石が放つ凄まじい【王の気】に晒されたら、巨大な輓獣ばんじゅうでさえ、あっけなく死ぬだろう。(いくら地下でも、通気孔は必ず在るはずだ。遅かれ早かれ、人々は【王の気】に晒されることになる。)
 書物や新聞の写真でしか知らないとはいえ、あの美しい街が、いずれ焦土に変わるのかと思うと……冷や汗が滲む。腹の奥底が冷えていくようで、体躯の奥深くに鈍痛を覚える。言いようのない胸騒ぎがする。


 私が暮らす この場所には電波も新聞も届かないため、何も情報は入ってこないが、同じ空を観ているのだから、私と同じことに気付いて警告を発している学者が、どこかに居るに違いない。
 電波や新聞の届く街へ出て、何かしらの情報を得たい。

 私は年に数回しか街には出ないが、日の出と共に出発すれば、夕方には たどり着けることを知っている。観測結果を記した資料の他に、ごく少量の蜂蜜を溶いた飲み水と、軽い食料、僅かばかりの現金、猟銃、小さな猟刀を携え、独りで荒野を歩く。暑さや砂埃にやられないためのマントと、遠路を歩くための輓獣革のブーツと手甲は、この時のために普段は大事にしまってある。
 この荒れ果てた平原を歩くものなど、私の他には、運び屋達の輓獣か、わずかな草に隠れて暮らす虫や野ネズミくらいのものだろう。盗賊や狼が身を隠せる物は何も無いので、敵の接近に気付くのも容易い。こちらの手中には銃がある。向かってこられたら、撃ってしまえばいい。

 輓獣を飼うか、自動車でも買えば、ほんの数時間で たどり着けるのだとは思うが、隕石燃料に依存する暮らしなど願い下げであるし、あれほど痩せた土地では、輓獣に与える餌は とても用意できない。


 日差しの中を歩きっぱなしで すっかりくたびれたが、陽のあるうちに、飲み水を切らすこともなく、街にたどり着くことが出来た。
 まずは、飯が食える店を探す。そこにラジオがあれば尚良い。
 入り口の周辺で新聞を手にした労働者達が屯っている食事処を見つけた。
 彼らが読んでいる新聞の見出しには、天体の話題は見受けられなかった。経済とか、税金のことばかり書いてある気がした。
 入り口で、マントを外して砂を払い、それを手に中へ入る。誰も使っていない上着掛けにマントを掛けると、店主と話せるようカウンターの席を選んで座った。(夕飯を食うには早い時間なので、ほとんど客は居ない。)
 座るなり、店主が水を出してくれた。
「いらっしゃい。……おやおや。砂だらけだね。運び屋さんかい?」
「私は天文学者だ。……荒野の天文台から来た」
「学者さんですかい。そりゃあ、ご苦労なことだね。街には、何の御用だい?……鉄道にでも乗るのかい?」
この街には、駅がある。自前の車を持たない者達は、帝都にしろ、どこにしろ、遠くへ行きたいのなら、この街から鉄道に乗ることになる。
 だが、私の目的は違う。
「新聞が欲しい。あと、ラジオが聴きたい」
「ラジオなら、うちにあるよ。……今、音楽が流れてるだろ?」
「ニュースは聴けるかい?」
「あぁ、聴けるよ。ちょっと待ってな」
店主は、奥にあるラジオの側まで行って、ダイヤルを回した。
 音楽が雑音に変わり、やがて人の話し声に変わった。店主が、そこで音量を大きくした。来年から税金が上がるとか、国の平均寿命がまた縮んだとか、どこかの町で【そらの王】に祈りを捧げる行事が開催されたとか、帝都で流行している菓子の宣伝とか、くだらない話題ばかりだ。
「……ここ最近、ニュースで隕石の話題は出たかい?」
「隕石?いや、特には ねえかな……燃料価格の相場くらいだな」
(まだ、発表されていないのか……!?)
 特に、隕石の落下に関する情報は、民衆の混乱を避けるため、従来からの【居住禁止区域】に落ちると推測される場合や、確証が得られない段階では、発表されない。
 私は、日替わりの定食を頼み、くだらないラジオを聴きながら、久方ぶりに缶詰ではない肉を食った。それが あまりにも美味くて、追加注文した。
 やがて、他の客がラジオを音楽のチャンネルに戻してくれと言い出し、私も同意した。店主はすぐに戻してくれた。緊急時の速報なら、どんなチャンネルを聴いていても、割込みで放送される。私が求めている情報は、事実ならば割込みで流れてくるはずだ。

 食事を終えて店を出たら、小さな商店で新聞を買ってから、宿を探した。
 駅の近くで安価な宿を見つけ、受付で武器を預けてから、2泊分の料金を前払いした。
 客室は狭いが、寝床は綺麗だ。早朝から ずっと履きっぱなしだったブーツを脱ぎ捨て、ひとまず寝台に腰掛ける。
(しまった、着替えを忘れた……!)
隕石のことで頭が一杯で、着替えを何一つ持って来ていない。今日は凄まじい量の汗をかいたから、衣服は夜のうちに洗って干しておくにしても、せめて下着だけは新しい物に替えて寝たい。素っ裸で寝るのは、性に合わない。
 私は、薄汚れた格好のまま、再びブーツを履いて街へ出た。

 新聞を買った商店に戻り、何組かの下着と靴下の他に、今夜飲む分の水と、疲れが取れるようにと氷砂糖を買った。

 宿に戻ると、今度こそ全ての服を脱ぎ捨て、素っ裸で浴室に入り、まずは浴槽内で衣類を踏み洗う。本来なら客の体を洗うために置かれているはずの石鹸を、先に洗濯に使う。
 井戸ではなく水道が引かれ、更には蛇口を捻るだけで湯が出てくるというのが実に羨ましく、また懐かしくもある。
 洗濯物の すすぎが終わったら、よく絞ってから伸ばし、叩き、客室内に干す。
 それが終わったら、いよいよ自分の体を洗う。今となっては年に10回も浴びられない「シャワー」というものが、あまりに心地良くて、なかなか止められない。
 文明的な入浴を堪能したら、新しい下着のみを身に着けて、綺麗な寝床に潜り込む。

 寝床に入ってから、ほんの数秒で朝が来たような気がした。目覚まし時計に騙されているような感覚に陥った。
 干していた衣類はまだ少し湿っているような気がしたが、太陽の下を歩き回れば乾くだろうと、構わずに着た。
 この宿は食事が出ないので、近くの食堂に入る。店内が仕事前の労働者達で賑わう中、特に決まった予定の無い私は、隕石の情報入手について思慮を巡らしながら、黙々と定食を食べる。
 すっかり缶詰や干物に慣れてしまった私だが、やはり、鮮度が高いうちに焼いた魚のほうが美味いと感じる。
「よぉ大将。彗星の話を聴いたかい?」
「あぁ、聴いたよ。珍しいことがあるもんだねぇ」
私の隣に座った客が、店主に語りかける。私は、2人の会話を黙って聴いていた。
 今朝のラジオと新聞で、国立の観測所が「新しい彗星を発見した」と発表したのだという。
(後で朝刊を買ってみるか……)
「もっと近くまで来たら、俺達でも見られるんかねぇ?」
「やっぱり、望遠鏡が要るんじゃないかい?」

 食事を終えた私は、昨夜と同じ商店で朝刊を買った。会計を終えて一面を見た瞬間、私は寒気がした。
 あろうことか、私が「大都市に落ちる確率が高い」と危惧している あの天体について、国家が「新しい彗星」と発表しているではないか……!
「あれが『彗星』だと!!?馬鹿な……。夜ごとに近寄るのに、あれだけ暗いんだぞ!?あれは、隕石だ!!」
私は、思わず紙に向かって言葉を吐いた。(隕石が強い光を放つのは、もっと地表に近づいてからである。対して彗星は、どれだけ遠くとも、常に明るい尾を引く。)
 目眩がしてきた。
 しかし、何度読み返しても、私が見つけたあの天体と、そこに「彗星」として記されている天体は、同一のものとしか思えない。すっかり見慣れたワイルダー式の【天体図】の中に「新彗星」が描き込まれている。紙面には他にも、予想される新彗星の軌道と、中堅の学者が描いたとされる「想像図」も載っている。発見者の名前にちなんだ新しい名称まで提案されている始末である。
 やはり、目眩がする。
(そこまで堕ちたのか!?この国の学問は……!!)
父が存命なら、こんな愚かしい紙面の発行を許すはずがない。
 基本に忠実な観測と計算を地道に続けていれば、こんな間違いは犯さない。何か政治的な意図をもって民衆を騙しているのかとさえ思うほど、馬鹿げている。


 私は、この街で暮らす知人の家を訪ねることにした。私が過去に解任した守衛の一人で、今でも冬場には隕石燃料を送ってくれる人物である。
 彼の家で、電話機を借りるのだ。かつての勤務先である国立の観測所に、問い合わせなければならない。この発表には、大いに疑義がある。
 ジングレンという名のその家族は、我がワイルダー家に代々仕えてきた守衛の一族の末裔で、私に隕石燃料を送ってくれる主人のユーマと、娘のキリは、今は街中で時計屋を営んでいるが、大きさを問わず望遠鏡の修理も請け負う腕利きの技師である。私が常日頃 覗いている、あの可動式の接眼レンズの修理が出来そうな人物は、この2人しか思いつかない。

 ふざけた新聞を片手に、彼らの営む店に入った。
「いらっしゃいませー」
「ユーマさんは いらっしゃいますか!?」
「……あれ?ラギさん?こっちに来てたんですね!」
出迎えてくれたのは、娘のほうである。
 会うのは約一年ぶりだとは思うが、再会を喜んでいる暇は無い。
「この、ふざけた記事のことで、観測所に問い合わせたいのです!電話機をお借りしたい!!きっと、話が長くなるので……料金は嵩むでしょうが、私が払います」
「えっと……。父を呼んできます」
彼女は、すたすたと奥に引っ込んだ。
 しばらくして奥から出てきた主人の、その武人のような風格は、最後に会った時から、何も変わらない。衣服こそ、いかにも職人らしいものを着ているが、私に武器の扱い方を教えたのは彼である。あの天文台を、盗賊や猛獣から守るために雇われていた人であるから、腕が立つのは当然だ。(私は子どもの頃に、彼が何の躊躇ためらいもなく盗賊2人の急所を銃で撃ち抜く姿を、間近で見たことがある。)
「お久しゅうございますな、坊ちゃん」
「ユーマさん!電話機を貸してください!!」
「娘から聴きましたが……国家の発表に、疑義があるとか?」
「そうです!!」

 私は彼らに、国家が「新彗星」として発表した天体に関する、自身の観測結果と見解を伝えた。
「ふむ……」
彼は、自身の短く整った顎ひげを触る。
「それは……実に由々しき問題ですな。どうぞ、電話機をお使いください」
「ありがとうございます!!」
 主人の許しを得て奥の部屋へ行き、持参した帳面をめくって目当ての番号を探している間に、親子の会話が聴こえてきた。
「キリよ……明日から当分、店は おまえに任せる」
「何言ってんの!?お預かりの修理品が、あれだけあるのに!!」
「俺が怪我をしたとか、何か適当に貼り紙を出せ。手が足りなければ、母さんを呼んでこい。坊ちゃんは……当分、あそこには お戻りにならない。あの天文台には、守衛が必要だ」
「父さん……独りで行くつもり?」
「昔の仲間に、声をかけてみるさ」
娘の緊張感をよそに、父は朗らかに笑う。

 私は、やっと見つけた番号に電話をかけるべく、壁に掛かった電話機のダイヤルを回す。広く公表されている番号ではなく、在籍中に知った、室長の秘書室直通の番号だ。
 思いのほか、早く繋がった。
「はい。ベイクウェル秘書室です」
聞き覚えのある声に、腹が痛みだす。
「……大変ご無沙汰いたしております。ラギ・ワイルダーです」
「あぁ!お久しぶりですね!どうされました?」
この秘書は、顔見知りだ。……それどころか、私を輓獣のように酷使しながら愚弄し続けた連中の一味である。更には、隕石落下地点の予測による『賭け』に興じていた暇人共の中に、この女の実父が居る。
 正直あまり話したくはない相手だが、室長秘書としては有能であることに違いはなく、また、私などより遥かに学術の世界で顔が利く人物だ。得られる情報の量が違う。
「今朝の新聞にあった『新彗星』のことで……疑義が御座います。当方の観測所における観測の結果では……あの天体は『隕石』です。更に、それは今後 一ヵ月のうちに、リュウバの街に落下する恐れがあります」
実際には単独で行っている観測を、あえて「組織として行っている」かのように表現した。ワイルダー家の伝統と誇りが懸かっているのだ。
「根拠となる証拠は在りますか?」
「はい。手元に、記録が御座います」
「ワイルダー先生の見解ですから、検証すべきものかとは思われますが……まずは、その記録を、こちらに送っていただけますか?」
「いいえ。私が観測所に持参します」
郵送などしたら、破り棄てられて終わりだ。あそこの価値観では、『馬の骨』が寄越した「悪戯書き」など、ゴミにしかならない。
「つきましては、シアーズ室長に、お目通り願いたいのですが……」
シアーズ室長は、我が父の教え子である。13人の室長達の中での地位は決して高くないが、あの腐り切った組織の中でも、学者本来の良識を失わずにいた、稀有な人物であった。あの観測所の室長の中では、最も信用できる。
「シアーズ室長は、もう退職されましたよ」
「そんなっ……!?」
まだ60歳には達していないはずだ。
(嘘かもしれない……)
「ベイクウェル室長では駄目なのですか?」
二度と会いたくない、かつての上司の名だ。私は、人命を軽視して私欲のための賭けに興じている集団など、到底 信用できない。しかし……事は、一刻を争う。不本意だが、他に、接触が可能な室長は居ない。
 住民に避難を呼びかけるなら、公的機関の協力は必須だ。致し方ない。
「……ベイクウェル室長であれば、お目通りは叶いますか?」
「お任せください。日程を調整します。今お住まいの場所から、当観測所までは、どのくらいの日数がかかりますか?」
「3日もあれば……お伺いできるかとは思います」
「では、それ以降の日に、室長の予定に空きがあるかどうか、確認いたしますので……」
腹が、痛い。冷や汗が滲む。

 日程は4日後の昼に決まり、私は、すぐにでも鉄道に乗ってそちらに向かわなければならなくなった。
 ジングレン親子に、それを伝えた。
「急がねばなりませんからな……。天文台のことは、我々にお任せください。どうか、お気をつけて」
「お手数をおかけします……」
「いつでも、何なりとお申し付けください」
 彼に頭を下げながらも、私は、旅程のことで頭が一杯だった。
(今日中に支度をして、鉄道に乗らなければ……。いや、その前に、銀行に寄って預金を出さないと……!)
「ところで、坊ちゃん。国立の観測所というのも、やはり星を見る所ですから、辺鄙な場所にあるのでしょうか?」
「そうですね……大平原を越えた向こうの、岩山の上に在ります」
「そんな所まで、また お一人で歩かれるのですか?」
「観測所のある岩山の、すぐ近くまでは、鉄道で行けます。ご心配には及びません」
 彼は、壁に掛かった無数の時計を見回すように眼を動かしながら、何かを考えているようだった。
「……お役に立つかは分かりませんが、よろしければ、うちの、もう一人の娘を同行させましょうか?報酬など要りません」
「娘さんを?」
私には、その提案の意図が掴めなかった。
「怪我で軍人を辞めた奴ですが……そこらの娘よりは、よほど腕が立ちます。護衛が必要なら、付けますよ」
彼に、キリの他にも娘が居たとは知らなかった。
「私の後を継いで守衛になるとしたら……このキリではなく、そちらの娘です」
(私との引合せを兼ねているのか……)
 私は彼を解任したにも関わらず、彼は、ずっと私と天文台を気にかけてくれている。彼の、父への忠義は、ずっと変わらない。
「軍人あがりの方に同行して頂けるなら、大変心強いですが……怪我は、もう良いのですか?」
「軍人としては役に立ちませんが、獣や盗賊を撃つくらいなら……充分に出来ますよ」
彼の娘ならば、手練れに決まっている。

 私は、彼女との引合せをお願いした。


次のエピソード
【3.旅の供】
https://note.com/mokkei4486/n/ncec2aaa33517

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