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小説 「六等星の煌き」 3

3.旅の供

 キリの双子の妹カンナは、何も知らされなければ「男子だ」と見受けるほど、逞しい体つきをしていた。浅黒い肌と鋭い眼光に、現役の軍人ではないかと錯覚した。ひげこそ無いが、その顔つきに女性的な要素は何も感じない。姉のキリとは まったく似ていないが、父のユーマに、よく似ている。娘ではなく、息子のような風貌である。(姉妹とも、女性としては長身である。)
 彼女の顔や腕には、小さな傷跡がいくつも見受けられるが、軍を退くほどの傷ではないように思われた。

 父による説明を聴く立ち姿も、男性の兵士そのものである。胸は、布でも巻きつけて潰してあるのだろうか……平たく見える。
 彼女は、二つ返事で私の護衛を引き受けてくれた。
「急な事で、坊ちゃんは着替えをお持ちでないのだ。寸法が合うなら、おまえの服を お貸ししろ」
「ラギ殿が、お嫌でなければ……」
 私は、実物を見たいと申し出た。

 時計屋の2階が、ジングレン一家の住まいである。私は、カンナに導かれて、彼女の私室に向かった。階段を上がる彼女の後ろ姿を見て、退役の要因となる怪我をしたのは右脚だろうと感じた。
 彼女の服は、男物ばかりであった。私でも難なく着られる大きさで、心底ありがたいと思った。お借りすることにした。
 手早く支度を済ませ、武器の状態を確認する彼女は、私には最上級の護衛に思えた。

 彼女らの母親は、病床にある友人を見舞うため遠方へ出向いているらしく、自宅には居なかった。留守中に夫と娘が出払ってしまったというので、戻ったら さぞ驚かれるだろうとは思ったが、致し方ない。


 時計屋の父子に出発の挨拶をしてから、私達はまず銀行に向かった。
 歩きながら、私は彼女に問いかけた。旅程の話よりも、まずは彼女の身体の状態を知りたかった。いくら軍人あがりの護衛でも、脚の悪い彼女に、過度な負担は かけたくない。
「カンナ殿も、お店を手伝われることはあるのですか?」
一般市民たる女性への言葉遣いとして、不適切かもしれないとは思ったが、あまりにも軍人らしい彼女に対し、他の呼称を思いつかなった。
「私は、客の相手など得意ではありませんし、時計や望遠鏡にも詳しくありません。する事といえば、家族のために燃料を調達するとか、食事を作るとか、裏庭の手入れをするとか……そのくらいです。金喰い虫のようなものです」
「ご立派な お仕事ではありませんか。燃料は、重いでしょう?」
「軍で、男女を問わず仲間を担ぎ上げて救出できるよう、訓練を受けた身ですから。燃料運びなど、苦になりません」
「怪我で退役したと、伺いましたが……」
「お恥ずかしい限りです。……敵方の輓獣ばんじゅうに蹴られ、腰の骨を折りました」
「よくぞ、そこまで回復されましたね……!!」
腰の大怪我が元で、片脚を半ば引きずるようになってしまったのだろう。とはいえ、それでも私は、杖も無しに歩き、更には労働や戦闘が可能な彼女は「強運だ」と思った。打ち所が悪ければ、腰が抜けて二度と立ち上がれなくなるか、内臓が破裂して落命していただろう。
「刀を抜いて走り回るような戦い方は、もう難しいのですが……遠距離から、銃で正確に敵の急所を撃つことは出来ます」
「今回は鉄道の旅ですから、賊や獣に出くわすことは、まず無いとは思うのですが……私が普段暮らしているような場所に、貴女のような方が居てくれたら、非常に心強いです」
 私自身も、彼女の父親から銃撃を教わったので、他の学者達よりは、撃てるつもりだが……正直、弾を「相手の体の、どこかに当てる」ので精一杯である。自衛のために賊の足を撃ち抜いたことはあるが、一撃で仕留めるなど、到底できない気がする。私は、喰うための狩りすら、したことがない。
 角を曲がり、時計屋が完全に見えなくなったところで、彼女は、思いがけない話をした。
「……ジングレンの家は、姉が婿を取って子を産まない限り、途絶えます。私は、もう……授かりません。……私が、家のために出来ることは、戦うことだけです」
初めて会ったその日に、そんなことを聴かされるとは思いもしなかった。いずれは父親の後を継いで、あの天文台の守衛になるという覚悟の現れだろうか。
(お父様譲りの、忠義者なのだろうな……)
 子を産めない女性が、どのような冷遇を受けるのか……私は、養母からよく聴いている。
 しかし、私は「子を産んで育てる」だけが、人の存在意義ではないと考えている。学問を伝え、隕石による災厄から子孫を守る営みは、血筋のみによって続いていくわけではない。
「カンナ殿。私は、ワイルダーの家には養子で入りました。この身体には、偉大な父母の血は、一滴も流れていません。……しかし、私は、それでもワイルダーの名を背負い、あの天文台と【天体図】を、後世に伝えていく所存です。……私は、血筋になど拘りません。『養子の、何がいけないのだ!?』と、私は常々思います」
彼女からの応えは無かった。目的の銀行に着いたためだろう。
 私は銀行での用を済ませると、彼女を伴って宿に戻り、主人に事の次第を説明した。すぐに荷物を持って出ることになったが、前払いした料金は、戻ってこなかった。

 2人で駅へ行き、切符を買って鉄道を待つ。改札の時間が来るまで、私は彼女に例の天体について改めて話すことにした。駅の構内には、改札を待つ人々のために、長椅子が並んだ部屋がある。(大きなガラス窓から、ホームと線路がよく見える。今日は、長旅には良い天気だ。)
 いちばん奥の長椅子を選び、彼女と並んで座る。私は、例の新聞記事を見せながら懇々と語るも、周囲の耳を恐れ、声を低める。彼女は、熱心に耳を傾けてくれるが、訝しげな顔をする。
「国立の観測所が、そのような失態を犯すでしょうか……?」
彼女は腕を組み、首をかしげる。
 軍人であった人に、国家の不手際を説くのは心苦しい気もしたが、こればかりは、黙っていられない。
「私も信じがたいのですが、何か……政治的な意図があるのかもしれません」
「そんなはずは……。リュウバの街の外れには、軍の基地があります。隕石の大きさ次第では、壊滅しかねません。……それを、国家が危惧しないはずがありません」
(やはり「嘘」ではなく「間違い」なのか……?)
 彼女は、小さく唸ってから「私には、天文のことは解りません」とだけ言った。
「いずれにせよ、楽観的に『落ちない』と読んで、何も対策を講じないよりは……悲観的に『落ちる』と読んで、それが杞憂に終わるほうが、民にとっては良いのです」
「それは、確かにそうです……。しかし、どちらが正しいのか、私には判断できません。…………何にせよ、私の役目は、ラギ殿をお守りすることです。どちらが正しくとも、それは変わりません」
確かに、そうであろう。
「お父様は『報酬など要らない』と仰いましたが……私は、然るべき金額を、お支払いしたいと思っています」
「そのような事は、無事に帰り着いてから、お考えください。道中 何事も無く、私が、ただの従者で終わるなら……護衛としての報酬など不要です」
「……貴女は本当に、お父様によく似ておられますね」
「父には、遠く及びません」

 私達は、人目につく列車の中では、ずっと互いの家族に纏わる思い出や、庭の植木やら蔬菜そさいのことについて話した。国家や軍の話題は控えた。
 途中の駅で買った弁当は美味かった。私は、そこで初めて走鳥そうちょうの肉というものを食った。
 私は書物でしか知らないのだが、走鳥というのは、人よりも大きな体をした鳥で、他の鳥のように飛ぶことは出来ないが、その強靭な脚で、馬よりも速く大地を駆けるのだという。緑色の殻をした巨大な卵を産み、その卵も、大変 美味だという。
 同じ弁当を食った彼女が言うには、走鳥の脂から造る塗り薬は、大変よく効くのだという。特に火傷と斬り傷に効くというので、軍では重用されているそうだ。


 終着駅で列車を降り、今宵の宿を探した。料金が安く、食堂が併設された良い宿を見つけたが、一部屋しか空いていなかった。
 躊躇ためらう私をよそに、彼女は宿の主人に「泊まる」と断言して料金を支払った。
 男性の兵士に混じって夜通し戦い抜くような暮らしを知っている彼女にとって、私と同じ部屋で寝ることなど、何でもないのかもしれないが……私は、母以外の女性と同じ部屋で就寝したことなど一度も無い。あの観測所に女性の学者は数えるほどしかおらず、共に深夜の観測をする仲間は、男子ばかりであった。
 私は、言い知れぬ緊張感に襲われた。
「まずは荷物を置きましょう」
客室の鍵を手に、彼女は迷わず階段へ向かう。私は、従者のように ついて行く。

 部屋に荷物を置き、1階の食堂で夕飯を済ませたら、彼女は「先に風呂に入ってください」と言い出した。
 幸いにも、客室内は広く、浴室に至るまでには脱衣所がある。互いの裸を見ずに済む造りになっている。
 寝台も、ちゃんと2つある。
 私は、彼女に「良かったら」と言って氷砂糖の瓶を手渡してから、いそいそと脱衣所に向かった。

 ひとたび風呂に入れば、私はいつも、時を忘れてしまう。時計の無い浴室で、天体について、あれこれ考えながら体を洗っているうちに、想像以上の時が流れてしまうのだ。
 入浴後、うっかり半裸のまま寝室に戻ってしまったが、別段、何も起きなかった。
 彼女は、何食わぬ顔で、用意してあった着替えを持って脱衣所に向かった。

 私は、頭を拭いて、きちんと寝巻きを着てから、寝台に腰掛けて、備え付けの聖典に目を通していた。
 多くの民衆にとって、【そらの王】は信仰の対象である。人類史上初めて【宙の王】との会話に成功したとされる古代の預言者について記された物語は、【宙の王】を祀る「王神教おうしんきょう」の聖典とされている。
 私は、王神教の信徒ではないが、天文学者としては必須の知識であるとして、聖典の内容については父母からよく教えられた。父母もまた、信徒ではない。純粋に学問として学んでいた。
 この地上において、人の身でありながら「王」の称号を名乗ることは禁じられている。「王」というのは絶対神【宙の王】のみを指す略語とされているためだ。現在この地上には200を超える国家が存在するが、それぞれの国家の最高権力者は「帝」や「皇帝」「首席」「総督」などの称号を用いている。
 我が国の最高権力者は「帝」である。

 あろうことか、風呂から上がってきた彼女もまた、私と同様に半裸であった。私は、初めは度肝を抜かれたが、その明らかに男性的な形をした胸板に、図らずも見入ってしまった。乳頭の下に、外科的に形を変えた痕跡のような縫い痕がある。病のために切り取ったのか、あるいは……。
「戦には不要なので、取りました」
こちらが尋ねるまでもなく、彼女が言った。
 私は、思わず寝台から立ち上がる。
「カンナ殿……。無礼を承知でお尋ねするが、貴方は……ご自身を『男性』と認識されているのではないですか……?」
「私は、非力な女の身です」
「……私に裸を見せることに、抵抗は無いのですか?」
「軍の仲間や、医師には、全てを見られています」
「それは、そのような職業にあるからでしょう!?……私のような、一介の青二才に……」
「ラギ殿こそ、先に私の前で裸を見せたではないですか」
「お、男とは、そういうものです!夏にでもなれば、街中でも半裸同然で歩くものです!しかし、女性は……そうもいかないものでしょう?」
彼女は、渋々 寝巻きを着ただけで、私の問いには答えなかった。暑いのか、すぐに袖を捲り、腕を組んだ。
「私は……もはや、己を『女』だとは思っていません。しかし、だからといって『男』だとも思いません。いわば、ただ、戦うしか能の無い……『一個の人間』です。ある種の兵器とでも言いましょうか……私は、上官の命令や、武器の意志を体現するのみの『駒』です。決して仔を孕むことのない、軍用犬と同じです」
「難しいことを仰る……」
「天文学ほど、難しくはありません」
彼女は、半ば呆れたように笑った。
「父母は一貫して私を『娘』と呼びますし、姉は『妹』と言います。その点に、嫌悪感はありません。……このような身体をしておりますが、私は、男性に成りすましているつもりはありません」
「やはり、私には難しい話だ……。
 私は、天文以外の事には、極めて疎いのです。申し訳ない……」
彼女は、組んでいた腕を解いた。
「護衛は、男性でなければ失格ですか?」
「そんなことはありません。……貴女のお父様が認めた方であるなら、私は信じます」
 彼女は、しばらく黙っていたが、やがて、いかにも男性的な所作で最敬礼をして応えた。まるで、私が「帝」であるかのようだった。

 その後、何事も無かったかのように、私達は翌朝の起床時間を決めてから、それぞれの寝台で眠りに就いた。
 列車で感じた振動が、まだ身体に残っていた。この客室が、列車の中にあるかのような感覚に陥った。

 私は、自宅の裏で何羽かの走鳥を飼い、それらが緑色の卵をぽこぽこと産み続ける夢を見た。その夢の中では、私はカンナと2人で走鳥の世話をしていた。


次のエピソード
【4.愚者との謁見】
https://note.com/mokkei4486/n/n6826742731b6

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