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小説 「六等星の煌き」 5

5.大地を走る

 私達が、カンナの自宅であるロクサスの街の時計屋に戻ると、既に彼女の母親が多量の隕石燃料を確保してくれていた。
「まずは歩いて帰るんだろ?」
「そうだよ」
店舗内で母親に問いかけられ、彼女が答える。私も、傍らで「はい」と答えた。
 この後、私達は2人で歩いて天文台に帰り、夜空の状況を確認したら、明日にはジングレン家の自動車を借りて この店に戻り、燃料を積んで、いよいよリュウバ近郊の駐屯地へ向かう予定だ。

 この時間からでは、陽のあるうちに帰り着くことは難しい。短時間とはいえ暗い中を歩くことを想定して、マッチと照明器具をお借りする。道中に摂る飲み水や食料も準備する。
 支度を整えたら、カンナの家族2人に改めて礼を言ってから出発し、急いで天文台を目指す。

 日が傾くと、どうしても気持ちが急いてしまう。闇夜に光る照明を見れば「人が歩いている」ことは明白なのだから、賊に狙われるかもしれない。私は、明るいうちに一歩でも先へ進みたかった。
 しかし、彼女の脚では、半日以上 私と同じ速さで歩き続けることは難しい。また、彼女は「息が切れるほど急ぐことは、かえって死を招く」として、武器を構えたまま慎重に歩を進める。
 私は、逸る気持ちを抑え、軍人あがりの彼女を信じることにした。

 共に夜の荒野を歩いたことで、カンナは驚くほど夜目が利くことが判った。荒野暮らしの天文学者たる私も、並の人よりは夜目が利くと自負していたのだが、彼女は私をも凌駕する眼を持っていた。彼女は、真っ暗な荒野を静かに歩き回るキツネの気配を的確に察知し、私よりも遥かに早く、天文台に灯る灯りを見つけた。

 私達が帰り着くと、天文台の隣にある住居ではカンナの父親ユーマに加え、過去に解任した守衛が2人、まるで酒でも飲んでいるかのように大笑いしながら、私が育てた蔬菜を使った夕飯を食っていた。
 夜の荒野はとても冷えるが、家の中は暖炉に火が焚かれ、随分と暖かい。私達は、照明として持ち歩いていた火を消してから中に入り、マントを脱ぐ。
「随分と楽しそうですね、ユーマさん……」
「いやぁ、3年ぶりに集まったものですからな。つい……」
「坊ちゃん!おかえりなさい!!」
今は狩人となっているブラッドと、街外れで自動車の修理屋をしているゴードンが、陽気に騒いでいる。この2人は、昔から とても気さくで、ユーマのように武人らしくはない。まるで、船乗りか運び屋のような雰囲気だ。(それでも、2人とも銃撃は得意だった。)
 3人は、蔬菜を使った料理に加え、昼間にブラッドが撃ち落としたのだというカラスの肉を焼いて食っていた。私達が夕飯はまだだと告げると、彼らは食いかけの鴉肉を譲ってくれた。
 主食の雑穀も、ブラッドが器に山のように盛ってくれた。蔬菜と干し魚のスープもある。
「おぅおぅ!明日の朝飯が、無くなっちまうなぁ!」
「良いじゃねぇか!また作りゃあよぉ!!」
元守衛同士の賑やかな会話を聞きながら、私は飯にありつけたことに安堵していた。
 陽気な彼らに「元気そうで良かった!」とか「腹一杯食えよ!」と声をかけられても、カンナは応えずに黙々と食べている。
「相変わらず無口だねぇ、カンちゃんは」
彼女の眉間に、深い皺が寄る。
「すげぇ顔してるじゃねぇか。どうした?」
「……脚が痛いのか?」
「少し……」
彼らの騒ぎように苛ついているのかと思っていた私は、はっとした。
「そりゃあ、いけねぇな。……おい!親父!」
ブラッドが台所に居たユーマを呼びつけ、カンナの脚のことを話す。
「歩きすぎたか……早く風呂に入って寝ろ。夜衛やえいは俺がする」
「はい……」
 彼らが現役の守衛であった頃、最低でも一人は夜通し起きていた。観測と記録に意識が集中している学者は、家が燃えようが、獣や賊が侵入しようが、気付かないこともあるのだ。火の番をしながら辺りを警戒する人材が、居るに越したことはない。(天文学者の死亡事故というのは、年に数件とはいえ新聞に載っている。)
 食事を終えたカンナは、すぐにブラッドとゴードンが沸かしていた風呂に入った。
 居間に残ったユーマは、娘が座っていた椅子に腰を降ろしながら、ため息混じりに私に問うた。
「うちの娘は、足手纏いではありませんでしたか?」
「とんでもないです。私は自動車の動かし方を知りませんし、カンナ殿が居なければ、軍の駐屯地になど、到底 近寄れません……。
 大変、夜目が利く方ですし、同行して頂けて、非常に心強いです。引き続き、お願いします」
「お優しい坊ちゃんで良かった……」
 私は、今後の旅程と、全てが終わったら彼女を正式に雇用したいという旨を、改めて彼に話した。
「そうして頂けたら、父親としては……何よりもありがたい事です。あいつには、もう……他に行き場がありません」
「そんなことはないと思いますが……」
彼女ならブラッドのような狩人になってもいいだろうし、普段 自宅で行っているような調理や庭の手入れを、職業にしてもいいように思われた。自動車を乗りこなせるのだから、転職の幅は広いはずだ。
「あいつはもう、立ち仕事も、座り仕事も、そう長くは出来ませんからな……なかなか、どこにも雇ってもらえんのです」
 私の知らない困難があるようだ。


 風呂に入った後、ユーマに夜衛を任せ、私は観測を始めた。やはり、あの天体は、より一層 地表に近付いている。軌道も、ほぼ私の計算通りだ。その隕石は まっすぐリュウバに向かっているとしか、言いようがない。
 私は、軍の関係者に手渡すため用意していた封書を一旦 開き、今夜の新しい記録を追加する。詳細な記録を残せるのは、おそらく今夜が最後だ。この記録に、国家の命運が懸かっているかと思うと、手が震える。しかし、間違えるわけにはいかない。時間をかけて、着実に仕上げる。

 天文台での仕事が終わったら、私は少しでも眠るために住居へ移動し、居間で夜衛中のユーマに一声かけてから、寝室に向かった。
 3年前から ずっとそのままにしてあった守衛用の寝室で、ブラッドとゴードンが いびきをかいて寝ていた。(カンナだけは、2階にある私の寝室で寝ている。父親のユーマが、そうさせた。)
 私は、約束通り守衛用の寝室に入り、唯一の空いている寝台に横になった。
 彼らは、非常に いびきがうるさい。私は、別室に居るカンナが羨ましかった。
 また、彼らが互いの いびきで目を覚まさないのが不思議だった。

 翌朝。どうにか眠れた私が目を覚ますと、元守衛は3人とも起きていた。ブラッドが朝飯を作り、ユーマが居間で欠伸をしながら出来上がるのを待っている。カンナも、もう起きている。
 ゴードンは、早朝から自動車の点検と整備をしてくれていたようだ。朝飯の用意が終わる頃に、油だらけの顔で戻ってきた。
「もう、ばっちりだ!いつでも長旅に出られるぞ!!」
「ありがとうございます」
「中も、ぴかぴかにしといてやったぜ!大事な坊ちゃんと、『お姫様』が乗るんだからなぁ!」
「やめてくださいよ、姫だなんて……」
カンナは苦笑する。
 配膳を終えて席についていたブラッドが、食卓を叩きながら豪快に笑う。
 ユーマは、構わずに食事を始める。


 食事と支度を終え、出発の時が来た。ゴードンが玄関先まで移動させた自動車を前に、父ユーマは、旅立つ娘に言葉をかける。
「必ず戻れ。車は、壊れても構わん。おまえと、坊ちゃんに怪我の無いよう……最善を尽くせ」
「はい」
娘は、臣下のように礼をする。
「坊ちゃんの、ご武運をお祈り致します」
「恐れ入ります」
私も礼をする。
 荷物を自動車に積み終え、いよいよ出かけようとする私達を自分のもとへ呼び寄せたユーマは、私達に、後ろを向くように言った。手には、何故か火打ち石を持っている。そして、彼は「動くなよ」と言ってから、後ろを向いた私達の背後で、それを2回ずつ打ち鳴らした。
 後からカンナに聴いたのだが、それは、彼らの先祖が暮らしていた国の風習らしく、石を打って火花を起こすことで身を清め、厄を祓う まじない なのだという。家族が、危険を伴う仕事や長い旅に向かう時、無事を祈って行うものだそうだ。
「必ず戻れ」
 まじないの後、彼は再びそう言った。カンナと私は「行ってまいります」と応えた。

 カンナは、自動車を操るのが巧かった。前夜に熟睡できなかった私は、心地良い揺れに身体を預け、少しだけ眠らせてもらうことにした。
 ほんの数時間で、無事にロクサスの時計屋に着き、私達はそこで隕石燃料を積み込んだ。
 時計屋を出る時も、キリが私達のために火打ち石を鳴らしてくれた。


 自動車を使った長旅は初めての私は、些か緊張していた。
「カンナ殿は、軍で、自動車の操縦を覚えたのですか?」
隣でハンドルを握る彼女は、ずっと進行方向を見据えている。
「戦車ならば『操縦』で良いのですが、このような自家用車の場合は『運転』という言い方をします。……私は、入隊する前に、父から運転を教わりました」
 私は『運転』という単語を、この日 初めて知った。隕石燃料への抵抗感に起因する知識の偏りだとは思うが、学者としては、恥ずべきものだろう。
(やはり、私は門外漢だ……)
「ラギ殿は、自動車に乗るのは今日が初めてなのですか?」
「初めてではありませんが、数えるほどしか、乗ったことがありません……。私にとって『車』といえば、もっぱら輓獣が牽くものでしたから……何とも、お恥ずかしいのですが」
「……暮らしぶりの違いを、恥じることはありません」
彼女には良識がある。
「私が運転を代わることは出来ないので……疲れたら、どうぞ休んでください」
「かしこまりました。……ラギ殿も、ご気分が優れない時は、すぐにお申し付けください。自動車は、鉄道よりも揺れますから……慣れないうちは、酔って吐き戻すことが、あるかもしれません」
「わかりました……」

 カンナは、驚くほど長い時間、平然と運転を続けていられた。彼女なら、自動車を使った運び屋も、充分に務まりそうだった。
 ロクサスの街を遠く離れ、見知らぬ平原を走っている時、カンナが ふと私が座っている側の、窓の外を指さした。
「ラギ殿。あれが走鳥そうちょうですよ」
「え……?」
彼女が示した方向を見ると、茶色い走鳥の群れが、柵に囲われた草地の中を歩き回っていた。確かに身体は大きいが、書物で見た絵より、華奢に見える。
「あれが、走鳥……」
「彼らは黒や茶色の羽に覆われていますが、近くで見ると、青い肌をしているのですよ」
「へぇ……」
青い肌、緑色の卵、黒い肉……つくづく、不思議な生き物だ。飛ぶことの無い彼らの、小さく退化した翼の先には、長くて鋭い爪があるという。そして、水浴びを好む彼らは、空に向かって太鼓を叩くような声で鳴き、雨雲を呼び寄せるのだという。乾いた大地に恵みの雨をもたらす走鳥の、羽毛や爪を使った装飾品は、幸運や繁栄を もたらす「お守り」として、特に商人達には人気がある。
 一部の走鳥達が、走り去る私達の自動車を じっと見ているようだった。

 その夜は、宿場町の外れにある、自動車を預けられる宿に泊まることにした。大切な燃料を積んでいる車を しっかりと守ってもらうには、それなりの料金が必要だった。
 今の私には、収入源が無い。父の遺産と、自身の貯蓄があるのみである。駐屯地に情報を提供したからといって、何かしらの報酬が出るとは限らない。
 できるだけ安価な飯を食いながら進むしかない。

 私達は、道中では身分を「運び屋だ」と偽って、旅を進めることにしていた。「ロクサス近郊への届け物を終え、リュウバに帰る途中だ」という筋書きを考えてある。不要な混乱を避けるため、隕石のことは駐屯地に着くまで秘密にしておくのだ。また、役柄としてはカンナが運び屋の師匠であり、私は見習いだ。宿や食事処で、誰かに身の上や旅程を訊かれたら、私は「学者くずれの運び屋見習い」のふりをする。
 宿場町を散策中、落ちているものであっても、新聞を見つけるたびに、私はそれに「新彗星」あるいは「隕石」の記事がないか確認した。
 しかし、あるのは やはり「新彗星」の話題のみであった。

 夕飯を終えて宿に戻ると、私は客室の窓を開けて、自宅から持ってきた手持ちの望遠鏡で夜空を観た。カンナにも、望遠鏡を貸して例の天体を見せた。
「あれが……落ちるのですか?」
「おそらくは……」
「小さな点にしか見えませんが……あれが、街を滅ぼすほどの巨大な石なのですか?」
「そうですよ」
彼女は、何度も望遠鏡を覗く。
「……カンナ殿。万が一、旅の途中で私と生き別れになっても、この星が、燃えるように明るく光りだしたら……私に構わず一人で自動車に乗って、リュウバから少しでも遠い所へ逃げてください。ロクサスに帰られるのが最良でしょう。……とにかく、貴女ご自身の生命を、最優先にしてください。私を探し回るうちに、隕石が落ちるようなことがあってはなりません」
「私は、貴方の護衛です。一人で逃げるなど、赦されざる事です」
「万が一、はぐれた場合のことです。私は、貴女と再会できなければ、一人で鉄道に乗って逃げます。だから、どうか……貴女も、私を長々と探さないで、逃げてください」
「はぐれないように、気を付けます」
「……確かに、それが一番です」
 隕石が落ちると判っている街のすぐ近くにまで赴くのだ。落ちる瞬間のことも、想定しておかなければならない。

 私は その夜、カンナが運転する車に乗って、ロクサスに逃げ帰る夢を見た。遥か後方には、燃えさかる石が街に落ちていく様が見えている。私は何度も「急いでくれ!!」と叫んだが、自動車の速度には上限がある。
 いよいよ、石が地表に落ちたと思われる瞬間がやってきて、空が一気に暗くなる。私は、窓から乗り出していた身を引っ込めて、大急ぎで窓を閉める。恐ろしいまでの静けさの後に、とてつもない地響きがして自動車は跳ね上がり、竜巻よりも凄まじい風が、後方から自動車を掻っ攫う。
 夢の中で【死】を覚悟した瞬間、目が覚めた。寝台の上で、被っていたはずの布団をいつの間にか蹴り飛ばし、更には腹を出して仰向けになっている自分に気が付いた。そんな寒々しい格好になっているのに、身体は、じっとりと汗をかいている。己の身体から、何とも苦々しい匂いがする。観測所勤めだった頃に、悪夢を見ながら敷地内を彷徨い歩いていた時も、こんな匂いをさせていた気がする。
 既に「早朝」と呼べる時間になっていたので、私は起き出して旅装に着替えることにした。 
 洗面所で体を拭き、借り物ではない衣服に着替えていると、カンナが起きてきた。
「お早いですね、ラギ殿……」
「起こしてしまいましたか。申し訳ない……」
「朝飯が食えるような店は、まだ開きませんよ」
「随分と寝汗をかいたので、風邪をひかぬよう着替えておきたかったのです」
「……慣れない自動車で、疲れましたか?」
「そうかもしれません」
「これから、当分 続きますよ」
「きっと慣れます」

 旅装で少し休んでから、朝飯を食って、宿を出た。次の宿場町まで、走り続けるしかない。
 私は、自動車に揺られながら、2人揃って無事に帰り着けることを、己の信じる神に祈り続けていた。


次のエピソード
【6.重荷を託す】
https://note.com/mokkei4486/n/n190d28511f5b

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