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小説 「六等星の煌き」 6

6.重荷を託す

 ロクサスを出て4日目。その日も、カンナは迷うことなく自動車を走らせる。とある丁字路で左に曲がり、森の中の緩やかな斜面を登りながら、彼女は語る。
「あちらの道をまっすぐ行けば、港に出られるのです。……もっと先には、海軍の基地があります。私が壊滅を恐れているのは そちらの基地ですが、民間人が近寄ることは出来ません」
そらばかり観ている我々天文学者にとって、海というのは本当に未知の世界だ。
「我々が今から向かうのは、この先にある陸軍の駐屯地です。そちらは、移動が可能な拠点であると共に、年に数日だけですが、民間人による見学も受け入れています」
「……私のような者が、いきなり訪ねていって、大丈夫なのですか?」
「追い返されることはあっても、敵意の無い者が理不尽に撃たれるようなことはあり得ません。ご安心ください」
 一抹の不安を覚えるが、私は、彼女を信じるしかない。


 山頂にある駐屯地は、監獄を思わせる堅牢な壁に囲まれていた。頑丈な鉄の門の奥に、学舎のように無機質な建物がいくつも並んでいるのが見える。建物に向かって延びる、軍用の車両を通すための通路は、驚くほど幅が広い。我が家と天文台がすっぽり収まるだろう。
 彼女は、開かれた門の近くに自動車を停めた。警備のために配置されている兵士達の一部が、こちらに歩み寄ってくる。
 先に車を降りたカンナが兵士達に敬礼をして、軍隊式の名乗りを上げる。そして、退役軍人としての身分証を提示し、用件を端的に述べる。彼らは、自国のためによく戦った彼女に、敬意をもって応じる。
 私の身分証も、提示を求められた。私は即座に応じる。
「ガウス・ワイルダーの息子?……本物か?」
「……ひとまず、中に入れ」
「車と、武器は こちらで預かる」
私達は素直に従う。他に選択肢は無い。
 私達は、兵士達に身辺を検められた後、通常なら兵士の家族や町医者を通すのだという部屋に通された。
 身分証は、偽物ではないことを確認するためにと若い兵士が持ち去ってしまった。
 私は、武器を向けられることなく室内に通されたことに、ひとまず安堵していた。

 入り口からついて来た兵士が見張っている中、私達は室内に用意された椅子に座る。15分ほど経った頃、部屋に戻ってきた若い兵士によって身分証が返却された。役目を終えた彼は速やかに退室し、入れ替わるように、壮年の軍人が2人 入室してきた。立派なひげを貯えた、明らかに階級が高そうな男と、丸眼鏡をかけた坊主頭の男だった。(見張り役の兵士は、依然として同じ場所に立っている。)
 私は、カンナに続いて立ち上がり、学者としての作法で礼をする。彼女は、やはり軍人らしく敬礼をする。
 入室してきた2人が、それぞれの名と階級を口にした。私には、軍人の階級の高低など よく解らないが、2人とも それなりの地位に就いていて、ひげを貯えている男のほうが立場は上だというのだけは解る。
 ラッセルと名乗った ひげの軍人に促され、私達は再び着席する。机を挟んで、4人で向かい合って座る。
 ラッセルが、脚を組んで話し始める。彼の隣に座ったハリスは、黒くて四角い道具箱のような物を携えており、それを机の上に置いた。
「ガウス・ワイルダー博士の御子息が、遥々お越しとは……恐れ入りますな」
私は、ただ黙礼する。
「御用向きは伺っております。……例の『新彗星』が、隕石であるやもしれぬと、お考えなのでしょう?」
「はい」
「観測の記録を、お見せ頂けますかな?」
「はっ」
私は、封書のまま、記録を差し出す。
 それを受け取ったラッセルは、ずっと黙っていたハリスに手渡した。受け取った彼が開封し、中を確認する。
 隕石の軌道や大きさ、落下が予想される範囲を記した書状に目を通した後、黒い道具箱を開き、中から取り出した計算機と計算尺で、私が算出した結果について、何度も繰り返し確認した。値が出るたびに、鉛筆で帳面に記入していく。
 ラッセルは、私が情報を書き込んだ地図を見つめ、ずっと黙っている。
「事実無根の値ではないと思われます。今夜から、最寄りの観測所で検証を開始すべきです」
手を止めたハリスが言った。
 「よし」と、ラッセルが応じる。
 初めて理解者が見つかったことに、私は心から安堵した。
「しかし、何故、国立観測所は、この危険性を見落としたのだ……?こちらが正しければ、リュウバの港が壊滅するではないか!国家の危機であろうに……」
「私には、解りかねます」
ラッセルの問いに、ハリスが応える。
「異国の息が かかった学者が、金でも握らされて、我が国の利に反する、偽りの見解を述べておるのだろうか……?」
私には、それは十二分に起こりうる事であるような気がした。
 彼らは、もはや金のためだけにそらを観ている。
「ラギ殿は、どう思われますかな?」
訊かれるとは思っていなかった。
「恐れながら……どうやら国立観測所の周辺は、鉄道が出す煙で、空が曇っているようなのです」
私は、咄嗟に賭博や裏金のことを隠した。
「何?そんな初歩的な誤ちなのですか?……いずれにせよ、愚かしいですな。本当に基地が壊滅したら、所長の首を刎ねてやらねば!」
そう言ってラッセルは豪快に笑うが、私は、少しだけ寒気がしていた。
(万が一、落ちなかった場合には、私やハリス殿の首が刎ねられてしまうのだろうか……?)
「ラギ殿、ご忠告に感謝 致す。後のことは、軍にお任せくだされ」
「一刻も早く、リュウバ近郊から立ち去られることを、強くお薦め致します」
「あの……我々も、民衆に避難を呼びかけたいのですが……」
「そちらも、軍にお任せくだされ」
「……分かりました」
そうは応えたが、私は、どうにも落ち着かなかった。


 無事に駐屯地での用を済ませた私は、安堵のあまり腰が抜けたのではないかと思った。宿に着き、車を降りようとした瞬間、すぐには立ち上がることが出来なかったのだ。
「どうされましたか?」
「あ、脚が動かないのです……」
「長い時間 座って、痺れているのではないですか?」
「それなら良いのですが……」
 彼女の読みは正しく、私は、数分後には立ち上がって歩くことが出来た。

 夕飯を前に、しばらく客室の寝台で休んだ。私は仰向けになり、彼女は隣の寝台に腰掛けている。
「カンナ殿は、脚が痛みませんか?」
「私は平気です。お気遣いありがとうございます」
「良かった……」
私は、天井を見上げながら、大きくため息をついた。
「後で……ラジオが聴ける店を探しましょう」
自動車にもラジオは搭載されているが、辺鄙な所ばかり走っているためか、あまり音質が良くない。ほとんどが雑音に かき消されてしまう。ここ数日、まともにニュースを聴いていない。

 ラジオを目当てに入店した食堂では、隕石に関するニュースを聴くことは出来なかった。
「きちんと検証されるまでに、何日か かかるのでしょう……」
よく焼けた走鳥そうちょうの肉を食べながら、彼女が言った。
「私は……人々の避難が始まるまでは、リュウバに居たいのですが、構いませんか?」
「私は護衛です。ラギ殿が決めたことに、従うまでです」
「ありがとうございます」
 私のほうは、初めて走鳥の卵を食った。味は鶏の卵よりも濃厚で、焼いた後の弾力も違う。確かに美味かった。
 輓獣より ずっと小柄な走鳥は、わずかな草や蔬菜で充分に育つというし、私は よほど「自宅の裏で飼おうか」と思ったが、天文台の上に雨雲を呼ばれてしまっては困る。


 その夜も、私は窓を開けて夜空を観ていた。己の観測結果について、やっと理解者が現れたとはいえ、私は まだ不安だった。やはり、きちんとした報道がなされ、人々が避難を始めてからでないと、安心は出来ない。
「海軍には、船を進めるために星を観る技術がありますから……隕石に関する知識を持った軍人も、居るはずです。ラギ殿の見解が『正しい』と解る人間が、きっと どこかに居ます」
洗濯物を干し終えたカンナが、私の側までやってきて そう言った。
「それなら良いのですが……」
 私が「見ますか?」と言って望遠鏡を渡すと、彼女は素直に受け取って空を見た。
「ラギ殿のお話を毎日聴いているためか……昨日より、明るく見える気がします」
「私にも、そう見えます」
「『燃えるように明るく』というのは……もっと、凄いのですか?」
「もちろん。……カンナ殿は、隕石を見たことが無いのですか?」
年に5〜6個は小さな隕石が落ちる この国で、私がこれまでに観た隕石の数は、数えきれない。隕石を一度も見たことがない成人など居るのだろうかと思うほど、私には身近なものである。
「私は、天文には まるで興味の無い子どもでしたから……父や姉のように、望遠鏡を作ったり、直したりする気にもならず……太陽と月 以外の天体を、ほとんど知りません。ジングレンの子としては、非常に出来の悪い者です」
興味の対象や暮らしぶり次第では、空など見ないものなのか……。
「他に、好きな事があったのでしょう?」
「そうですね……。私は、空を見上げるよりも、野山で狩りをするのが好きでした。10歳かそこらの時には、父から狩りを教わって……鳥や兎の捌き方は、母から教わりました」
「……本当に、逞しい方ですね」
「とんでもない……。私は、ただの死に損ないです」
「死に損ないで、結構ではありませんか。戦地から、生きて戻られたことに、誇りを持ってください」
望遠鏡を手にしたままだった彼女は、何も言わずに、ただ それを私に返した。
「私は、地上の人々の生命を守るために、星を観る者ですから……戦死や殉職を美化するような風習には、賛同しかねます」
「お優しい方ですね」
「……私は、ただの臆病者です。日々『逃げる』ことばかり考えています」
「ラギ殿は、人々を逃がすため、勇敢に戦っておられるではないですか」
「戦っていることに、なるでしょうか……」
「充分に、戦っておられますよ」
彼女は、胸を張って答えてくれた。

 身体が冷えてきたので、私は窓を閉めた。
「さて、明日はどう致しましょうか……」
彼女の問いに、私は唸った。明日以降は事実上、ラジオや新聞に留意しながらの「待機」となる。
 しばらく考えて、ふと思いついた。
「せっかくなので……海を見に行きたいです」
「海ですか?」
「はい。……お恥ずかしながら、私はもう何年も あの天文台に篭りきりで、長らく海を見ていません。久方ぶりに、見てみたいのですが……良いですか?」
「もちろん」
 港に行けば、海軍の動きに関する情報も得られるかもしれない。


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 翌日。朝飯を済ませたら、私達はカンナの運転で港に行き、私は久方ぶりに海を見た。最後に海を見たのは、まだ父が存命であった頃のように思う。
 内陸部に暮らしながら天体の観測に明け暮れていると、海というものの存在さえ忘れてしまいそうになるのだが、天文学者として最も警戒しなければならない事態は「隕石が海に落ちる」ということである。
 隕石が海に落ちれば、間違いなく津波が発生する。陸地から遥か遠い場所に落ちたなら被害は小さいが、近ければ、津波は一瞬にして街を飲み込み、多くの犠牲者を出す。更には、海中に放たれる【王の気】で海の生き物は死に絶え、いわば「海が死ぬ」……。一度死んだ海が蘇るまでには、途方もない年月がかかる。
 そして、海中に深く沈んだ隕石を回収することは まず不可能であり、資源として活用することが出来ない。海に落ちた場合、隕石は ただひたすらに『災厄』となる。
 私の予測では、今この地に近づいている隕石は、陸地に落下する確率が高い。とはいえ、これだけ海が近ければ、やはり「海は死ぬ」のかもしれない。

 隕石がもたらす富を渇望する一方で、甚大な天災を恐れているのが、人という生き物である。
 隕石が、可能な限り「人が居ない場所に落ちること」「海ではない場所に落ちること」を願って、日々【宙の王】に祈りを捧げているのが、王神教の僧侶や信徒達である。
 私なら「決して落ちぬように」と祈るが、彼らは【宙の王】からの施しが無ければ人は貧しさのあまり死に絶えると、信じて疑わない。厳しい修行を積んだ僧侶なら【宙の王】と言葉を交わすことが可能であり、一般の信徒であっても、厳しい教えを守り、日々の行いが正しければ王に祈りが届くと、彼らは信じている。地上に『居住禁止区域』が設けられるほど、隕石が ほぼ一定の場所に落下するのは、自分達の世代を越えた修行と祈りの賜物であるという前提で、彼らは独自の学校を創り、日々 子ども達に教えを説いている。信徒達は最低でも年に2回は必ず神殿に集まり、王に祈りを捧げている。(夏至と冬至のあたりで、新月の夜を選んで行われると聴いている。)


 私は、カンナと共に市場を歩き、砕いた氷の上に並べられている魚介類を見ていた。どれも、今朝まで生きていたものだろう。
 どの店にも置かれている魚もあれば、一つの店でしか買えない珍しい魚もある。
「魚の眼というのは……改めて見ると、少し気味が悪いですね」
「そうですか?」
彼女は平気らしい。
「美味いことは解っているのですが……これだけたくさん並んでいると、やはり不気味です。多くの眼が、こちらを見ているようで……」
「子どものような事を、仰るのですね」
「えぇ……!?」
「眼が澄んでいる魚ほど、美味しいのですよ」
「それは知っています……」

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 買った魚を調理できる台所に当てが無いので、何も買わずに市場を通り過ぎ、海を眺めながら料理が食べられる店で昼飯にした。
 素晴らしい景色を前に考えたくはない事だが、いよいよ、財布の中身が心配になってきた。
「カンナ殿。明日からは……毎日、食事は缶詰と雑穀にしないと……そろそろ、持ち合わせが……」
「肉が必要なら、私が何か撃ってきますよ」
「いや、捌く台所が無いでしょう……」
「綺麗な水さえ充分に手に入るなら、屋外でも捌けますよ。猟刀もありますから。私一人でも、雌鹿くらいまでの大きさなら……」
「お、お気持ちだけ頂戴します!私は、食当たりを起こしやすいので……」
「承知しました」


 港から宿に戻るまでの間、ずっと自動車の中でラジオを聴いていたが、依然として「隕石」の話題は出ない。
(確かに、たった一晩では立証できないだろう。それは解るが……急がないと、民衆が……!!)
 きりきりと、腹が痛む。胸騒ぎがする。
 私一人には到底背負いきれない重荷だからこそ、軍に託したのだ。今は、ハリス殿とラッセル殿を信じるほかは無い。


次のエピソード
【7.兄妹と犬】
https://note.com/mokkei4486/n/nbfe3cee855aa

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