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小説 「長い旅路」 32

32.喪失

 あの人はもう、この世には居ない……。それが【事実】であると判ってからというもの、俺は抜け殻同然だった。旅先で泊まったホテルでも、恒毅さんと暮らす家に帰った後も、ほとんどの時間を横になって過ごしていた。
 毎日、何のために飯を食って生きているのか、分からなくなった。日時の感覚が消え失せ、風呂に入る習慣も無くなりそうだった。いつ、どのタイミングで服や下着を替えたか、自分の頭では把握できなくなった。恒毅さんによる催促無しには、着替えられないのだ。

 そして、毎朝のように「深い水底に沈んでいる夢」を見て、その度に呼吸が出来なくなった。いわゆる「金縛り」の一種だろう。そういう時、夢の中では大抵、真っ暗な水底に横たわり、遥か上方にぽつんと見える丸い光を眺めている。井戸か何かに落ちて、底に沈んでいる夢……ということだろうか。彼の溺死が影響しているに違いない。
 朝方、恒毅さんに揺り起こされ、そこでやっと息を吹き返すことが度々あった。

 しかし、俺が どれだけ気落ちし、塞ぎ込んでいても、恒毅さんは仕事に行かなければならない。俺の年金だけでは、家賃しか払えない……。我が家の大黒柱は彼である。
 彼が仕事に出かける姿を布団の中から見送り、その後、彼が帰ってくるまで、ずっと同じ布団に居るような日も少なくなかった。もちろん飲料だけは欠かさず飲んでいたし、きちんと便所で排泄はしていた。しかし、それらの最低限の用事が済んだら、吸い込まれるように寝床へ戻ってしまうのだ。最も安心できる場所で、亡き人との大切な思い出を ふり返る時間だけが、俺に安らぎをもたらした。(動画やゲームによる時間潰しは、疲れるだけだ。)
 毎晩、恒毅さんは帰宅するなり寝室に俺の様子を見に来る。以前のような家事が出来なくなってしまった俺を、責めることは無い。ただひたすらに俺の安否と具合を気にしている。あの旅から戻って何日経っても、俺が日中に外出した形跡が無い上に、家の中にある食料が全く減っていないことに、恒毅さんも不安を募らせているようだった。
「昼間だって、少しで良いから、何か食べな……?」
同じ台詞を、何度言われたか分からない。
 俺は、彼と一緒に食べる夕食だけで命を繋いでいるような有り様だった。そのため、体は みるみる痩せていく。しかし、一切の飲食を禁じられ、点滴のみで生きていた頃よりは遥かに健全な暮らしだ。それに、俺には昼間の外食だけを糧に生きていた時期もある。これしきのことで「餓死」などしないことは、分かりきっている。

 定期受診で主治医に会っても「恩師の訃報を受けて以来、何をする気にもなれない」「ずっと食欲が無い」という表現での報告をするしかなかった。そして、主治医の見解としても、それはあくまでも「深い悲しみ」によるものであって、病理的な現象(病状の悪化)ではないとして、処方薬は何ひとつ変わらなかった。
 俺が無事に受診を終えて帰宅した時、恒毅さんは珍しく仕事を早上がりしてきたらしく、家の玄関で迎えてくれた。「本当は、仕事を休んで付き添いたかった」と言うが……どのみち、法的な「家族」ではない彼は、診察室までは入れなかっただろう。
 その日の夕食は、あの高級鶏卵を ふんだんに使った玉子粥がメインだった。彼は相変わらずの健康体だが、毎晩必ず最低一品は俺と同じものを食べる。激務に負けないための高タンパクな料理と、質素な病人食の、両方を たらふく食べる。俺の心身が治るまで、そうするつもりなのだろう。


 ある晩、久しぶりに吉岡先生からLINEが来た。先生と悠さんが、無事に奈良県のご自宅に戻ってきたという知らせだった。
 悠さんが、先生との激しい口論の末に家を飛び出し、岩手県に住む親族のもとへ旅立ったことは憶えている。しかし、その数週間後に悠さんが倒れ、向こうで入院していたことと、その付添いのために先生もそちらに滞在していたということは……今の今まで知らなかった。俺が新しい生活に満足し、なんとなく疎遠になっていた間に、あちらでも とんでもないことが起きていたようだ。

 俺は、いかにも作家らしい整った長文を送ってくださった先生に、至極短いメッセージを送り返した。
【僕の太陽は、沈んでしまいました】
瞬時に既読が付き、返信が来る。
【どういうことかな?】
この場で、それを紡ぐ気力が無い。
【お宅まで、話しに行っても良いですか?】
【もちろん】

 翌日、俺は意を決して朝からシャワーを浴びた。しかし、全身をきちんと洗うのに、予想以上に時間がかかってしまい、家を出るのが遅れた。更には、長らく まともに食べていなかったせいで歩みは遅く、見知ったはずの道で大いに迷い、電車に乗るのも遅くなった。かつて暮らしていた場所に向かうことが、こんなにも難しいとは……「脳機能が落ちている」と、痛感する。


 約束の時間を大幅に過ぎてしまったが、先生はずっと駅で俺を待っていてくれた。俺が改札を出るところを真正面から見届け、見覚えのあるカバーを付けた文庫本を片手に「久しぶり」「よく来てくれた」と、笑って迎えてくれた。
 駅からは徒歩だ。久しぶりの外出で、更には長い登り坂で、俺は無様にも力尽きそうだった。貴重品だけを入れたボディーバッグしか持っていないのに、大荷物を背負って登山をしているかのような気分だ。息が上がり、足首が痛む。
 先生は歩調を最後まで俺に合わせてくれたし、途中の自販機で冷たいお茶を買ってくれた。

 ご自宅に着くなり、先生は俺を応接室に通してくれた。相変わらず、居心地の良い綺麗な部屋だ。1階で いちばん日当たりが良く、木材の良い香りがする。そして、机も、床も、流し台も、何もかもが塵ひとつ無いほどに磨き上げられている。毎日、坂元さんが念入りに掃除をしているのだ。(今日は、ハウスキーパーの方々は2人とも休みだという。)
 先生に促され、俺は4つある椅子のうちの1つに座った。先生は、手早く2人分の緑茶を淹れて机に並べてから、俺の隣の椅子に座った。身体はしっかりと俺に向け、まだ熱い湯呑みには手をつけず、聖職者を思わせるような所作で両手を揉み合わせてから、片方の膝の上で指を組んだ。
 そして、至って真面目な顔で問いかけた。
「君の『太陽が沈んでしまった』……というのは、どういうことだい?」

 俺は、しばらく答えに詰まってから、まずは彼の死を率直に告げた。初めはルームメイトの発案で彼に手紙を書こうとしていたことや、それを送るため会社に問合せをしたことによって彼の死が発覚したこと、その情報を全く信用できずに現地まで足を運んだこと、そこで後輩から聴いた証言、その後の自分の体調の変化……それらの経緯の説明は、後から順を追って話した。
 先生は、ただ静かに傾聴してくれた。吃ってばかりの長い話を聴きながら、俺が泣き出せば黙ってティッシュの箱を差し出し、咳き込めば「大丈夫かい?」と問うた。

 先生の優しさと度量に、すがりつくような想いだった。これまで誰にも言えなかった【喪失感】や【後悔】について、俺は洗いざらい打ち明けた。「絶対に叶わない」と知りながらも彼に恋情を抱き、忠義を尽くし……図らずも、最後には裏切ってしまったこと。それにもかかわらず、彼は俺の生命を救い、俺はそれについて、一度たりとも礼が言えないまま……最悪の形で、永遠とわに別れることとなってしまった。「彼との再会」を、何よりも望んでいたはずなのに、具体的な行動に踏み切るまでが遅すぎた。間に合わなかった。それが、悔やまれて、悔やまれて……我が身を呪ってばかりいる。


 身体の震えが治まり、ようやく涙が出てこなくなってきた頃には、来訪から2時間近くが経っていた。その時になって、やっと口をつけた緑茶は、すっかり冷たくなっていた。(それまでは、道中で頂いたペットボトル入りの茶を大事に飲んでいた。)
 俺が黙りこくっていると、先生は静かに、それでも はっきりとした声で言った。
「それは……実に痛ましいことだ」
先生の眼にも、涙が滲んでいる。
「私は会ったことが無い人だけれども……その人が、君にとって どれほど大切な人なのかは……よく解った」
この先生の声は、やはり俺にとっては特別なものだ。自分の耳が治ったのかと錯覚するほど、はっきりと この耳に届く。
 恒毅さんは「見れば解る口話」が すこぶる巧いが、この先生は、声の質そのものが一般的な日本人とは違う。
「彼から教わったことは……間違いなく君の【礎】になっていると、私は思うよ」
本当に そうであるならば、この上ない誉れだ。
「君が、あちらで過ごした時間は……決して無駄にはならない。いずれ解る」
先生の声に、一段と力が込もる。
「だから……どうか、諦めないでほしい」
「……再就職を、ですか?」
「それもだけれども。まず何よりも、生きることだ」
そこまでは……考えていなかった。しかし、俺の過去を知る先生だからこそ、俺が再び自死を選びはしまいかと、危惧しているのだろう。反論は出来ない。
「君は……【死別】というものは、初めてかい?」
「いいえ……。小学生の頃に、祖父母を亡くしました」
低学年のうちに父方の祖父が亡くなり、高学年になってから、その妻である祖母も逝ってしまった。(母方の祖父母は健在だ。)
「そうか。……しかし、幼い頃と今では、感覚も違うだろう」
「まぁ、そうですね……」
あの頃は、人の【死】とは何なのか、それさえ よく解らなかった。何より、葬儀の場で見知らぬ大人達に囲まれていることが怖かった。それで妙に気が立ってしまって涙が出ず、父に「薄情なガキだ」と嫌味を言われたことは、よく憶えている。どちらの葬儀でも、俺は泣かなかった。
「私はもう、50になるから……何人も、親族や知人を『送って』きたよ。弔辞を頼まれたこともある……」
確か、先生の義理の妹さんは20代で亡くなっている。ご両親に関する話は一度も聴いたことがないが……ひょっとすると、既に亡くなっているのかもしれない。
「生きている限りは……避けられないことだ」
慣れるしかない、ということだろうか……?
「大切な誰かが亡くなって……『悲しくて、悲しくて、堪らない……!』というのは、決して病理的なことではないから、今のように『何をする気にもなれない』とか『食事が喉を通らない』という状態には、抗わなくていいんだ。君の身体が、また『食べたい!』と感じるようになるまで、胃を休ませてやればいい」
 主治医と同じ意見だが、この先生が言うのなら、間違いなくそうなのだろう。
「それで……ルームメイトの彼とは、うまくやっているのかい?」
「はい。おかげさまで……。彼も一部始終を見ていましたし……俺の落ち込みようを、責めはしません。いつも……助けてくれます」
「それは良かった。本当に善き友人を見つけたね」
 先生は、その後も恒毅さんとの暮らしに関することを幾つか訊いた。そして、俺が ありのままを答えるたびに、先生は彼の言動や気質を称賛した。それは……「亡くなってしまった想い人ではなく、今まさに自分を側で支えてくれている人にこそ目を向け、大切にしなさい」という、前を向くための助言でもあるように思われた。

 俺の心境が落ち着いたのを感じ取ったためか、先生は全く違う話を切り出した。
「せっかく来てくれたことだし……悠介にも、会ってやってくれるかい?」
 彼は、今日はずっと和室に居るという。

 断る理由など無い。


次のエピソード
【33.再会】
https://note.com/mokkei4486/n/na626811df83c


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