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小説 「ノスタルジア」 9

9.懺悔


 悠介は目を覚まし、自分が事務所奥の「社長室」にある応接セットのソファーの上に寝かされていることに気付きました。靴を脱がされ、体には厚い毛布がかけられています。
 そこは応接セットの他に、自社にまつわる山のような記録と、工場長のデスクがある部屋で、創業当時に撮影されたモノクロの写真が何枚も掲げられています。工場長は根っからの【現場主義者】であるため、この部屋は普段ほとんど無人です。悠介が ここに入ったのは、入社前の面接以来でした。
 そして、ここは誰かが急病や熱中症などで倒れてしまい、救急車を呼ぶかどうか迷った時に ひとまず寝かせておく部屋としても、社内では知られていました。
 だからこそ、悠介は自分が「職場で倒れた」と理解しました。

 慎重に起き上がってみると、普段は誰も座っていないはずの立派な革張りの椅子に、珍しく本来の主が座っていました。
「よぉ。……大丈夫か?」
体調に関する心当たりが無いため、悠介はしばらく答えられませんでした。目眩や寒気がしないか、痛みは無いか、自分の身体に意識を集中させました。…………どうやら、何とも無さそうです。
「吉岡には電話したぞ。……今、車でこっちに向かってる」
いつもの作業着姿の工場長は自分の椅子から立ち上がり、悠介が座っているのとは反対側のソファーに腰を降ろしました。
「随分、うなされてたな」
悠介には、まったく覚えがありません。
「何か、悪口がどうとか、虐めがどうとか……いろいろ言ってたな。……また、睦美むつみと何かあったか?」
 どうにか記憶を辿ってみて、思い出したのは、昼休みにわたるや内藤と食事をしていて、彼らが悠介のことを「悪口を言わない」と褒めてくれたことでした。しかし、悠介はこれまでに何人も「言葉」によって傷つけ……少なくとも一人は、自死にまで追い込んでしまいました。
 自分は、決してあの2人が思っているような、生真面目とか、純粋な人間ではないのです。

 その【罪悪感】に、押し潰されそうになる瞬間が、日々の暮らしの中に数えきれないほどあるのです。今日のように気を失ってしまったことも、一度や二度ではありません。
「今日は、相当 具合が悪そうだな」
悠介は工場長の問いかけには答えず、脱がされていた自分の靴を見つけたので、ソファーから足を降ろして履きました。
「無理にとは言わんが……。俺で良けりゃあ、聴くぞ。吐き出せば、少しはスッキリするだろ」
何を話せば良いのか……。悠介は、正直わかりませんでした。工場長のご厚意はありがたいのですが、ここは心療内科の診察室ではありません。勤務先の一室で、相手は自社のトップです。そして、室内で話す声は、事務所に漏れるかもしれません。
 黙りこくっていると、工場長は「少し待ってろ」と言い残し、部屋から出ていきました。しばらく経って、2人分の温かいお茶を小さなお盆に載せて戻ってきました。ほうじ茶と思われるそれを、応接セットの低いテーブルに並べたら…………部屋の入り口に、内側から鍵をかけました。
 何かを「白状」するまで、この部屋からは出してもらえないのかもしれません。
 悠介が湯呑みにばかり視線を落としていると、工場長は再び悠介の向かい側の席に戻ってきました。どっかりと座って、皺だらけの手で湯呑みの片方を持ち上げます。
「まぁ、飲めよ。腹を温めるだけでも、違うだろ」
「い、いただきます……」
 熱いお茶は、体の中をどう流れていくのかが、よく分かります。やがて、お腹の中がじんわりと温かくなって、先生が工場長についてどう話していたか、少しずつ思い出してきました。悠介にとっての【命の恩人】は家主の吉岡先生なのですが、その先生にとっての【命を救ってくれた恩師】は、この西島工場長だというのです。
 このまま、先生が来るまで「黙秘する」というのも一つの選択肢ですが、悠介は、そうしたくはありませんでした。せっかく、工場長が「他には誰も入ってこない」という状況を作ってくれたのです。

 彼は、外に漏れないよう、出来るだけ小さな声で、自分を最も苦しめている【秘密】を打ち明けました。
「俺は……ここに来る前、人を殺しました」
工場長は、何も言いません。悠介が語りだすに違いない「続き」を、静かに待っています。
「前の会社で……製造部長が誰よりも可愛がってた、女の先輩……ボロくそに言って、嗤いものにして、仲間はずれにして…………それが何年も続いて、その人は……自殺してしまいました」
「それは『殺した』とは言わん」
工場長の見解を聴いた悠介は、首を横に振りました。
「俺達が殺したようなものです」
「おまえらは、その人に『くたばれ!』とか『死んじまえ!』って、直接言ったのか?」
「いえ……そこまでは……」
陰では口走ったかもしれませんが、さすがに直接は言っていません。
「遺書に、おまえらのことが書いてあったか?」
「いいえ……」
彼女が書き遺したのは、ただひたすらに「自身の至らなさ」でした。
「それなら『自殺教唆』には当たらん。おまえらに罪があるとは言いきれん」
まるで弁護士のようなことを言い始めた工場長を前に、悠介は……重苦しい心の内を、可能な限り話してしまおうと決めました。多忙な工場長と、こんな風に膝を交えて話す機会など、次はいつ巡ってくるか分かりません。そして、今日も「先生が辿り着くまで」というタイムリミットがあります。


 悠介は、自分を含む会社側の人間は皆、その女性が出社しなくなった後も「安否確認」を怠り、その結果「遺体の発見」が遅れ、彼女が暮らしていた部屋は凄惨な有り様となったことを、時間をかけて打ち明けました。工場長は、至って真面目な顔で耳を傾けてくれます。
「……吉岡は、そのことを知ってるのか?」
「知ってます」
亡くなった女性が、先生の義妹であることまでは……とても言えませんでした。
「それでも、おまえを責めないだろ?」
「責めない、ですね……」
「俺も、責めようとは思わん」
2人分の湯呑みは とっくに空となり、茶托に戻されています。
 工場長は、拳を作ったり膝に触れたり、両手を心のままに動かしながら、熱弁します。
「そりゃあ……遺族の方は、そこの会社の『全員』が憎いかもしれん。だが、おまえはもうそこを辞めた。新しい場所で、新しい課題に真剣に取り組んでいるんだ。……それで良いんじゃねえか?」
悠介は、答えることができません。彼自身が、ずっと己を赦すことができないのです。あの時の内藤の言葉を借りるなら、自分こそが、この会社では誰よりも“穢れている”のです。
 工場長は、応えが無くとも語り続けます。
「俺は、誰にでも これを言うんだが……『大事なのは【今】だ』」
彼はそう言い切ってから「なぁ、松尾」と悠介に呼びかけました。
「うちに来るような連中ってのは、大抵【過去】にいろいろある。よそで酷く虐められたとか……業績が振るわんでクビになったとか、店が潰れたとか…………親が自殺したとかな。本当にいろいろある」
何かを「抱えている」のは、悠介だけではないようです。
「それでも、ほとんどの奴は毎日一端いっぱしに働いてるんだ。【今の自分】に出来る仕事を、精一杯やってくれるんだよ。…………俺は、それで良いと思ってる」
最後の一文を言った時、工場長の貫くような眼差しは、まっすぐに悠介の眼を見ていました。「他の誰に批判されようとも、自分自身は心からそう思う」……そんな、強い意志を感じました。
「俺は、今のおまえを『立派だ』と思ってるよ。毎日県境越えて通勤して、言われた仕事以外にも毎週末【居残り勉強】までやって、毎月の部屋代も、きっちり払ってるんだろ?……立派じゃねえか。自分のせがれだったら、ご近所に自慢して廻るぜ」
工場長は、やっと いつもの笑顔を見せました。かつて先生が【太陽】と呼んだ、眩しいほどの笑顔です。
 悠介の右目から、一筋だけ涙が落ちました。
「おまえは立派だぞ」
工場長は、満面の笑みで念を押しました。
 悠介は、自分を誉めてくれたもう一人の意見について、半ば衝動的に話しました。
「亘さんは……俺なんかを『社長の右腕になれる』なんて言うんです……」
「あいつがそう言うんなら、間違いねえよ」
「俺は……亘さんのほうが、よっぽど相応しいと思います」
「……別によぉ。『常務=右腕』じゃねえんだ。専務やら部長やら、候補は いろいろ居るだろうよ。ヒラでも良いくらいだ。……確かに亘は常務にはなるだろうが、あいつの【一番】は雇い主なんかじゃねえ。……自分の娘だ」
娘のためならば退職も辞さないという意志は、本人からも聴いています。
「その点……おまえは、女も作らずに『主に忠義を尽くす』だろ?」
 悠介がこれまで女性との交際を避けてきたのは、もっと他に理由がありましたが……それは言わないことにしました。
なおとの相性も、良さそうだしなぁ。立派な『右腕』になるだろうよ」

 その時、誰かがドアを2回ノックしましたが、工場長は小さな声で「ほっとけ」と言いました。ドアノブがガタガタ鳴っても、見向きもしません。
 すると、今度は「ドン!ドン!ドン!ドン!」と、大きな音が4回しました。
「誰だよ!うるせえな!面談中だぞ!!」
工場長はソファーに座ったまま、怒鳴りつけるように応じました。
 ドアの向こうの人物は、低くはっきりとした声で「吉岡です」と名乗りました。
「おっと……来やがったぜ、“大先生“」
工場長は、にやりと笑ってから立ち上がります。
 悠介は、急いで作業着の袖で涙を拭いました。

 工場長が中から鍵を開けると、先生が挨拶もそこそこに すっ飛んできました。
「悠介、具合どうだ?」
「おかげさまで……もう大丈夫っすよ」
「……少し眼が赤いな。無理しないで帰ろう、今日は」
「すいません……」
「謝ることではない」
 先生は、悠介の無事を確認したら、すぐに駐車場に停めた車の中へ戻りました。

 悠介は、更衣室にあった荷物を取ってきてから改めて工場長のもとを訪ね、深々と頭を下げてお礼を言いました。工場長は満面の笑みで「おぅ」とだけ言って、小さく手を振ってくれました。
 自分を社長室に運んでくれたという内藤にもお礼を言いたかったのですが、彼は事務所に居ませんでした。そして、あれ以降全ての製図を肩代わりしてくれた直美にそのことを謝りに行くと、彼女は「とんでもない!」と笑顔で応えました。
「ゆっくり休んでください」
「……ありがとうございます」
「明日以降も、無理はしないでくださいね」
「はいっ」



 自宅へと向かう車の中で、先生は運転をしながら薬に関することを幾つか訊いてきましたが、悠介は上の空でした。全く別の事柄について、真剣に考えていたのです。
 彼は先生からの質問を遮ってまで、衝動のままに【決意】を述べました。
「……俺、この仕事 頑張ります」
「頑張るのは良いけれども。合わない薬を長々と飲んではいけないよ」
先生は、彼の体調の急変を「昼休みに飲んだ薬の影響ではないか」と疑っていました。
「俺、今より もっともっと強くなって、直美さんを守ります」
「……少年漫画のキャラクターみたいなことを言いだしたな」
先生は軽妙にかわしましたが、悠介は本気でした。
 一人の女性を無惨に死なせてしまった自分だからこそ、一心に社長を目指す彼女を、身命を賭して支えていこうと決めたのです。


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