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【読書日記】人間のレベル論を読んで気づいたこと

【6月17日(木)】
タイトルをつけるのは難しい。けれど日付だけだと何か淋しい。そんな気持ちで今日は服を、後ろ前に着ていました。背中に胸ポケット。気づいたのは家に帰ってから。そんな日もあるある。月に10回ぐらいはある。

先日、3300円のnote記事を購入した。めちゃくちゃ悩んだけれど、買ってよかったと思っている。内容については深く触れられないのが残念ではあるけれど、買ってよかったと思う。

その有料noteに、藤本シゲユキさんの『幸福のための人間のレベル論』の本の話があって。もう十数回は再読しているけれど、またもや再読したくなって本を読み返す。

自分がどのレベルにいて、どういう生きにくさを抱えて、どういった課題があるのか。それを知り、改善していくことでレベルアップしていくと、どんどん生きやすくなるという話。

何度読んでみても、自分のレベルが分からない。日によって違うような気がして、どれに該当するんだろうかと悩んでいた。

これ、実は同じような悩みを持っている人が居ることを、有料noteで知った。なんだ、私だけじゃなかったんだ。

と、安心していてはいけない。分からないなら、分かるようにならないと。分かるようになるには、自分がどういう人間なのかを知ること。
内観、内省。
何でもいいけど、自分を深堀していくことに尽きる。これが思うように出来ていないので、自分を見失ってアップアップしちゃうんだけど。

『幸福のための人間のレベル論』に、
「自分に無いものは無いと認めたらいい」
といったことが書いてあって。

私はどうも、無いものがあったらそれを手に入れるためにどうしようか、と思う癖があって。無いなら無いんだし、諦めるという感覚が無い。
無いから、欲しい。何としてでも手に入れなくちゃ!!
と思ってた。執着心が強すぎる。

けれど、無いものは無いんだって。じゃあどうしようか、と思ってみたら、なんか憑き物が落ちた。手に入らなくて苦しかった気持ちがどこかへいった。

無いものは無い→だから手に入れたい!
無いものは無い→だったらどうしよう?

自分としてはどちらも同じようなものと思ってた。でも自分の中の憑き物が落ちてみると、全然違った感覚だったとビックリした。

無いなら無いで仕方がない。だから無い状態でどうしようか、と思ってみると、今まで欲しかったと思っていたものが、急にどうでも良くなった。何でそんなに執着していたのか、不思議になるぐらい。

執着が無くなってみて初めて、今までの私は「未来に目を向ける」ってことが出来てなかったと気づいた。この先をどう生きていこうか、という視点よりも、手に入れていないものを手に入れることに躍起になって、手に入れないと幸せになれないと思い込んで、手に入れさえすれば本気が出せると思ってた。

その本気ってのは何やねん。

自分で自分に真面目なツッコミを入れたくなるぐらい、アホな思い込みにとらわれていた気がする。そこに気づけただけでも、本を再読して良かった。

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