noteに書くことで得られたものがある、はず
noteに何を書こうか?と悩むことが減った。減った理由は単純で、今、頭の中にあることを、ここに書こうと思ったからだと、さっき気づいた。気づきたてほやほや。
以前は、最初にテーマを決めて、そこにそった記事を書こうと思ったり、そういうの無理っぽいな私・・って気づいたので、いきなり読書日記を始めたりした。
けれど日記も書くことが無い日というのがあって、「ただただ生きてました」という日があるし、そもそも私は「ただただ生きてました」という日ばかりのような気がして、結局のところ日記も無理だと気づいたので、思いついたことを書く今のスタイルに落ち着いている。
たぶん日記を書くにしても、日々の中で見つけたほんのささいなことを、文章に書き残せばそれで良かったんだと思う。けれどその、ほんのささいなことを見つける目、感じる心を、私は持ち合わせていなかった。
noteを徘徊していると、日々の出来事を上手に文章にされているばかりで、ただただスゴイな~と思うばかり。以前はそういう人たちに憧れて、私もこうなりたい!とか思ったこともあった。しかし今じゃ、そもそもこういう方たちとは人種が違う気がする・・・と気づいて、いやもっと早くに気づいていれば良かったんだけど、私は自分のことを深く考えたことがなかったので、今までのらりくらりと過ごしすぎて、現状も自分も見えてなかった。
でもこうしてnoteを書くようになり、少しずつ自分というものが「もしかしたらこういう人間かもしれない」という、あんまり明確なものはないけれど、それでも何となくわかり始めた部分もあって、それはきっとnoteに思いついたことをただただ書くようになったから、自分がわかり始めてきたのかもしれないと、まるで後付けなんだけどそう思っている。
頭の中にあるものを、とにかく書き出すって大事だよね。そして書き出すって大事という話は、前にもしたような気がするんだけど、自分が思う大事な話なら何回だってしたらいいじゃないの、と自分に言い聞かせてみた。
noteに何を書こうかと悩むことが減ったと最初に書いたけど、それは同じ話を何度もしているだけかもしれない、という可能性が浮上してきた。
そんな最近の読書は『アガサ・レーズンの奇妙なクリスマス』。
大好きなシリーズも、もう18冊目だなんてビックリすると同時に、本当に毎度毎度、主人公のアガサが不運に見舞われるので、そこにもビックリする。作者さんがとても上手にアガサを幸せへと導かないので、主人公の幸せを見届けたいのに見届けられないので、主人公が不運に見舞われるのを見守るために、このシリーズを追いかけているという感じになっている。
そしてそれがイヤなのではなく、またクセになっている感じもあって、とにかく私はこのシリーズが大好きなのだった。次の巻は、来年の春に発売されるらしいのだけど、来年なんて長すぎて待ちきれない!!と思いつつ、しかし計算してみればあと半年程度であり、それでも待つ身としては長いんだけど、来年の春まであと半年という時間の短さに驚いてしまった。
体感としての年月が、年々短くなっている気がしてこわい。それが年を重ねるということなんだろうけど、やっぱりこわい。
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