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不安を解消するのが下手くそで

「俺って何がやりたいんだろう」と夫が言う。今までの人生で一度もそういったことを考えずに生きてきた夫が、半世紀ちかく生きてきて突然、何かに目覚めようとしているようでこわい。

本屋さんへ行くと、やりたいことの探し方みたいな本がたくさんあるし、私自身も自分が何をしたいのかを悩んでいた時期がわりと最近まである。というか今もあるかも。ちょっとだけ。

しかし、誰かが「やりたいことなんてないのが普通だよ」と言っていて、あぁそうか、と納得してしまった。やりたいことを見つけたいという思いは、「やりたいことを見つける」が目的になってしまっていて、それが手段だということを忘れてしまうようになる。それは私も体験してきたことなので、痛いほどわかっている。

ただ、やりたいことがない人生でもいいのかと思い悩んだことがあった。何かを成し遂げて、人に称賛されるような結果を残さなくてはいけないのでは?と思っていた。でも最近、そういう思いが消えつつある。まだ全部が消え去ったわけじゃないので、くすぶる思いは抱えているけれど。

私がやりたいことは「のんびり生きる」。何かを成し遂げて、人に称賛されるような結果を残すなんてのは、のんびりとは真逆だ。目指すものと逆のもが必要なんじゃないかと思う気持ちは、生きていれば何度も経験する気がする。あの時、ああしていれば良かったのかと、思い悩むのと似ている。

どんな人生を歩んだとしても、後悔のない人生を手に入れるのは難しい。この人生で良かったかどうかは、他の人生を実際に歩いてみないとわからないもの。でもそれは出来ないことだもの。

そんなことを考えていたら、夫が「俺ね、便利屋になりたいんだと思う」と言った。やりたいことを見つけるためにどうするのかという話をしているのかと思いきや、夫の中では結論が出ていたらしい。そうか、結論が出ているなら良かった。やりたいことが一つでもあるなら、それって幸せじゃないか。ただ便利屋さんって、結構大変なのでは??やらなきゃいけないこと、覚えなきゃいけないことが無限にありそうなんだけど?大丈夫?????と思ったけれど、ただ笑顔で「そうか~」と言うにとどめた。


そんな最近の読書は『親子の手帖』

なんか増補版らしいものが、去年に発売されていたらしい。なんだろう、こっちも気になる👇

塾に通う子どもたちを通して、親子の悩みを掘り下げていく内容。我が家に中学生の子どもはいないけれど、年齢関係なく、子どもと向き合うことの難しさを改めて教えられた一冊だった。

親の不安は子どもに伝播するという話があるのだけど、これ、自分が親の立場で考えてみると、子どもたちに自分の不安が伝わっているのかな?という気持ちになってしまう。しかし自分が子どもだったころを思い出すと、親の不安は確実に伝わっていたなぁと思う。

親が言葉にしなくても、表情や態度で親がいま何を考えているのかわかることが多々あった。それは私が親の顔色をうかがう人間だからだろうと思っていたけれど、どうやらそれだけじゃなくて、親の言動ににじみでる不安を子どもは敏感に察知しているらしい。なるほど。

勉強をいやがる子どもに「勉強しないと大人になってから困るよ」と声をかけることも、我が子が将来困るようなことになったらどうしようという、親側の不安がまねいた言葉。大人になって困るかどうかは、大人にならないとわからない。

子どものことを考えて厳しくしているつもりでも、それは自分の不安を子どもに解消して欲しくてやっていることかもしれない。それは他の子育て本でも見かける話で、私自身も気をつけようと何度も思いながら、何度も失敗している。自分の不安を自分で解消するのが下手くそなんだろうな。

親子としてどう生きるかというよりも、子どもたちと仲良く暮らすという視点で生きていきたい。教えて導いてあげる存在にならなくちゃ!と気負うことをやめてみようっと。

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