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そうだ、他者はミステリーだった

詳しいことは忘れてしまったけれど、少し前にTwitterで
「幸せなことは人に教えてあげよう。幸せのおすそ分けだよと、おばあちゃんが言ってた」
といった内容のツイートを見かけた(意訳してます)。
これ、とても良いなぁと思った話。


SNSでは「有益」なことを発信したほうがいいと、何度も目にしたことがある。
そのほうがバズるとか、稼げるとか、そういったことに繋がってくるんだろうけれど、とにかく「有益」さが求められているんだと、何度も目にしたのでそれが事実だと私はずっと思っていた。

しかし「幸せのおすそ分け」のツイートを見てから、「有益」を追い求めることは本当に必要なのかと思うようになった。
いや、そもそもそのツイートを見る以前から、「有益」を追うことってとてもしんどいなと思っていたんだけど。

あらゆる情報が満載の世の中で、自分が「有益」と思うことは誰かがもう発信しているはず。
それよりも自分が思う「幸せ」を発信するほうが、自分もそれを見た人も、幸せな気持ちになるのでは?と思ったのだった。

単にもう「有益」な情報に疲れているだけかもしれない、私が。

そんな最近の読書は『いらねえけどありがとう』

日々の生活にしんどさを感じ余裕がなくなってくると、辛くて大変なのは自分だけなのでは?と錯覚することが結構ある。
周りの人は優雅に暮らしている(と思っている)のに、なぜ私だけこんなに大変なの???と思ってしまうことが、月に何度かありまして。

でもね、この村井さんの本を読んで、人には人の事情があるということを改めて痛感した。
自分だけがしんどい、自分だけが大変だ、なんて甘ったれた愚痴でした。
大変申し訳ありませんでしたと、世界に謝りたくなった。

辛くて大変でしんどくて、でもそういう面を誰かに見せることなく、隠れた場所で日々奮闘しているのが人間なのだと、村井さんの本を読んで気づいた。

Instagramを眺めているとキラキラとした写真が多いから、その人がどれだけ裏で苦労しているかなんてことに気づきもしない。
けれど本当は、キラキラした写真にうつらない、その人の悩みやしんどさだって確実にあるわけで。

その人の一部分だけを見て、その人のすべてが理解できるわけでもないのに、なぜか理解できていると思い込んでいた。


私の人生を一瞬たりとも経験していない人から何を言われても構わない。

『いらねえけどありがとう』より引用

そうなのだ、私の人生は私だけしか経験していない。
誰かの人生は、その誰かしか経験できないもの。
それなのに、その人の一部分だけを見て、その人を理解した気になっていたなんて恥ずかしいったらありゃしない。

小学生を育てていれば、同じ小学生を育てている人を仲間だと思ってしまうけれど、子育てなんて千差万別だもの。
「わかる~」なんて言葉で、理解したつもりになることもできないんだ、本当は。

「他人の思考はミステリーだ」と誰かが言った。
まったくその通り。
思考だけじゃなくて、他者のすべてがミステリーなんだ、本当は。

人をうらやんで自分だけが被害者だと思うことは、もうおしまいにしよう。

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