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忘れたくない気づきはたくさんあっても、すぐに忘れる鳥頭

物忘れが激しくなったと年を重ねるごとに思う。これは老化だろうか、と思っていたら、
「物忘れが激しくなっているのは、今を生き始めているから」
という話を本で読んだ。なるほど。

今を生き始めたから物忘れが激しくなる。それが事実かどうかはわからないけれど、解釈のしかたひとつで見えている世界がガラリと変わる良い例だなと思った。

しかし物忘れを前向きにとらえられるのは、そのときの自分に余裕があるときだよね。余裕がないときは「そんなわけないだろう」とバッサリ切り捨ててしまいそうな気もする。

ただ、こんな風に前向きにとらえるクセをしてみると、人生もそんなに悪くないじゃんと思えそうだし、瞬時に前向きにはなれなくても、こういう考えかたもあるんだと頭に入れておくのは、未来の自分のために良さそうな気はする。


そういえば以前、義父が
「認知症になったらどうすることもできないよね、とにかく毎日を笑って過ごすしかないよね」
と言っていてビックリしたことがあった。

実際の認知症がどのようなものか、私は当事者じゃないのでわからないし、人によって症状が違うという漠然とした知識しかない。ただ、認知症になったら大変なことであり、周りに迷惑をかけることだと思っている。自分の親はもちろんのこと、自分自身が認知症になってしまったら、家族や周囲の人たちはどれほど大変な目に合うのだろうかと心配しかない。

とにかく認知症について良いイメージなどなくて、大変なことだという認識でいた私にとって、義父の発言は天変地異のようなものだった。

どんな状況になっても笑っていられるわけじゃない。それは義父だってわかっている。けれど泣いていても状況は変わらないのだから、笑えるように日々を過ごしていこうという、前向きな視点が私には無かったのでビックリしたのだった。これからもその視点に立てる気がまったくしないけれど、視点を変えれば見える世界が変わるということを、忘れないでいたい。

忘れないでいたいと思いながらも、すぐに忘れてしまう鳥頭の私。物忘れの激しさは、今を生きているってことだ!と思いながら生きてみよう。しかしこれ自体もすぐに忘れそうな予感しかない。忘れるというよりも、覚える気がないだけでは???(ネガティブ発動)


そんな最近の読書は『家族は他人、じゃあどうする?』

親になると子どものお世話をしなければいけないのだけど、つい自分の都合が表面化するときがある。

たとえば朝の登園や登校の時間のこと。家を出るギリギリの時間で「うんち!!」と言われるときね。排便は大事だし、我慢すれば病気になるからやめたほうがいいけれど、正直なところ「え?今???」って思うし、なんなら口に出してしまう。

「え?今???」と言ってしまうのは、自分のことを最優先に考えているからであって、子どものケアを一番に考えているなら出てこないセリフらしい。私自身、子どもが生まれてから子ども優先で生きてきたつもりだったけれど、いつだって自分都合が最初にあったと『家族は他人、じゃあどうする?』を読んで気づかされた。

自分の都合を最優先に考えてしまう自分に気づいたことは、とてもいたたまれなくて、私はとてもふがいない親だと改めて落ち込んだ。これからは、ケアすることをいつだって意識していきたいという願いだけは強い。願いだけは。


子どもと過ごせる時間は限られているし、ケアが必要な時期もあっという間に過ぎる。けれど日々を忙しなく過ごしていると、自分の都合を優先してしまいがちで、子どものケアまで頭が回らないことがたくさんある。

さらに言えば、忙しない日々を過ごしていると、自分のケアを怠ることにもなり余裕がなくなる。余裕がなくなると誰かをケアするなんてできないので、まずは自分のケアが最優先のようにも思えてきた。

自分にとって何が大事で、何が必要なのか。ここは変化し続けるものだから、定期的に見直していかないといけないんだろうな。何を優先したいのか、考え直してみようかな。考え直してみても、やっぱり自分が何よりも大事♡ならば、それはそれで受け入れていこう。

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