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ぼちぼち進めばいいじゃないか。

いしかわゆきさんのnoteを読んだ。
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私もHSS型HSPなので、この「人に会いたい。でも会うと疲れる人」にめちゃくちゃ共感したのだけど、HSPでも何でもない夫も「人に会うと疲れる」と言っていたので、もしかしたら人に会うことでの疲れは、誰しもが多少は持ち合わせているものかもしれないな、と思った。

そういえば以前、人に会うということは暴力のようなものだという本を読んだ。
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メールやLINEでポチポチとやりとりするよりも、会って話をしたほうが手っ取り早く話が進むのは、会うことが暴力だから。そんな話が『なぜ人に会うのはつらいのか』には書かれていて、これはHSPの人だとかそういったことは関係がない。

人と会うと、お互いの境界線を踏み越えないと会話が成り立たない。だけどその境界線を踏み越えることが疲れの原因でもある。だから感染症の影響で人と会う機会が減ったことで、ストレスが減った人も多かったのではないかという話が本には書かれいて、私はストレスが減った側の人だったので、こちらも共感しながら読んだ記憶。

人と人のやりとりで元気をもらえることもある。だから人と会うことが嫌いなわけじゃない。ただ疲れてしまう自分がいるという事実があるなら、無理をせずに人付き合いしていきたいよね、そういうさじ加減が難しいんだけどね、などと思ったりした。


そんな最近の読書は『プリズン・ブック・クラブ』

刑務所にいる囚人たちの読書会の話。再読なのだけど、今回読んで気になったのは、課題の本を読み、その感想を自分の意見として正直に伝えることができる囚人たちの言動を眺めながら、いつも日和っている自分をかえりみて恥ずかしくなった。

誰かに文句を言われたこともないし、注意を受けたことだってない。それでも自分の意見を正直に表に出して、批判されることがとても怖くてたまらないと思う。その恐怖に勝てないまま、無難の本の感想を書いている気がして、それは恥ずかしいことなのかもしれないな、と感じたのだった。

けれど今まで書いてきた本の感想が、自分が感じた本物でもあって、日和っているから嘘を書いたなんてことは一度も無く、だからその時の自分の正直な思いをnoteに残しているのだもの、恥ずかしいと思う必要はないよね、とも思った。

こうしてnoteに書いてみて気づくけれど、自分に一番ダメ出しをしているのは自分だ。自分がイヤだと思うことを、自分にしなければ良いのにと思うのに、気づいたらまたダメ出しをしていてエンドレスに続いている。

この悪循環を止めるのもまた自分なんだ。なかなか思い通りに動かない自分に腹が立つことだってあるけれど、責めるのはやめよう。責めたって成長するわけじゃないんだし。

毎度毎度、こうしてnoteに書いているだけで気づきがたくさん生まれる。気づけるってありがたい。

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