【短編】環状158号線 その②
山澤仁の親友、早川誠は大手ゼネコンに勤務し今まで幾つものビッグプロジェクトを形にしてきた。「街を創ってきた」と言ってもいい。
仁はそんな早川の街作りの話を聴くのが好きだった。しがない児童文学書を扱う会社のしがない社員である仁は、使命感にも似た情熱で仕事に打ち込む友人が羨ましかったし、また誇りでもあった。
晴れて気温が上がり、夏日になった初夏の日の夕暮れ時に、その知らせは届いた。
「えっ・・!!」
にわかには信じがたい友の急逝の一報。ウソであってくれ。何かの間違いであってくれ。仁は自身も生きた心地がしないまま無我夢中で病院へ向かった事を、そして強烈に眩しかったあの日の西日を、昨日の事のように覚えている。
政令指定都市であるA市が進める「先進のまち 潤いのまち」プロジェクトの肝となる「環状158号線 リニア弧橋区間」の建設がようやく終わり、対応車種の半自動運転試験が行われていた最中、その事故は起きた。
リニア自動運転チームのリーダーだった早川は、自ら試験車両に搭乗し調整とデータ収集に追われていた。
ところが彼の乗る車が弧橋の最上部に差し掛かったところで制御システムにエラーが生じ、磁力を失った試験車両は落下、地表に叩きつけられたのだ。
プロジェクトは約2年の間凍結となり、国の援助を受けながら安全面の徹底的な見直しを経てようやく開通となったのだった。
「血税」と言うには重すぎる親友の命を持ってして、この「環状158号線」
は今や一日に70万台が通行する県北の大動脈となった。
世界も注目する湾岸巨大都市の象徴のような「弧橋」。
仁はそこを通る度、親友早川を誇らしく思うと同時に何とも言い難い気持ちになった。
そして今春、仁の「何とも言い難い気持ち」はさらに複雑度を増すこととなる。
早川の忘れ形見、息子の壮が「リニアセンサー」で世界をリードする自動車メーカー、「スズモト」に入社したのだ。
早川の葬儀の際、高校生だった壮が仁に言った言葉が頭から離れない。
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