【短編】さよならピラミッド その①
夜11:30。郊外の賃貸マンションの一室に灯りが点く。
先月から始めたばかりの新しい仕事は慣れないことばかりで、ストレスだ。
今日だって他の社員に遅れをとらないように一人残業して、帰宅はこんな時間。
小野寺美紀は大学を卒業後、出版社に就職したが希望する部署へ配属が叶わず、4年で転職。その後はいくつかの仕事を転々とし、現在の会社にたどり着くものの、充実した社会人生活とは言えない日々に漠然とした不満と危機感を覚えていた。
「あー、ホントはこの本読みたかったな。明日も早いからお風呂入ったらもう寝なきゃ」
美術館の裏側をリアルに描いたノンフィクション。一昨日置き配で届いていたのだが、忙しいのと疲れでなかなか手に取れずにいる。
「小野寺さん、午後のプレゼン、クライアントが都合悪くなったらしくて延期だって。半休、取っても良いよ」
思わぬ自分の時間ゲットに、美紀は心踊った。ここのところスケジュールが過密で、「さて、何しよう」などと考えた事もなかったからだ。
だが美紀の足は「何しよう」の前に動き始めていた。自宅と最寄り駅の間にあるカフェ、「ピラミッド」へ向かうのだ。
「スキマ時間に読めたらと例の本をバッグに忍ばせておいて正解だったわ」
ある美術館のキュレーターが綴ったノンフィクション本は、学芸員を夢見てきた美紀にとって羨ましく、また自身が美術館で働いているかのような感覚にもなれる、魅力的なものだった。
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