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心に凪をくれることばたち

大抵の人はそうだと思うけれど、私は自分の感情が揺さぶられ続けるのが苦手だ。
嬉しくなる、とか感動する、とかならまだしも、悲しくなるとか絶望的になるとかとんでもない。揺れてしまった軸はいつまでもぐるぐるとしていて心が目眩を起こしているみたいだ。沈み込む気持ちを引き上げないと、笑えない。

だからあるときから私はTVのニュースを見なくなった。(そのうちテレビもみなくなった。)世の中の出来事を敢えて拾いまくるのを止めた。まだ仕事をしていて忙しかったのもあるが、少し自分の時間が生まれて心の余裕というか多少の心の振れ幅にもなにかに触って痛みを感じるようなことがなくなった。それに、そうやっていても必要なニュースは大抵耳に届くものだ。

半世紀以上生きてきて、それでも世の中の空気が細かく密やかに揺れていると感じるニュースからはやはり逃れられず その度に揺れ始める自分をすこし後ろから眺める。


それでも理解したくて情報を求めてしまう。
ロシア出身の沢山の良い友達がいる。ウクライナ出身の友達も。
なぜこんな事にならなければいけないのか。
なにか理解の助けになるものをもとめてニュースをみては、自分の中心がぐらついてから、必要以上の情報をかきあつめてしまったと反省する。

そんな私みたいなひとは多いのではないか。
だからそんなひとにはロシアで広く尊敬されている作家・文芸批評家のドミートリー・ブィコフのすばらしい言葉を読んで欲しい。きちんと届く言葉で書かれた邦訳には、そこに込められていたであろうブィコフ氏の深い嘆きと祈りがきちんと静かに呼吸していて、気付くと胸のなかにじんわりと凪のような感謝が拡がってくる。

Youtubeでニュース番組のとなりに流れる一般人の書き込みに使われる言葉に疲れてしまうのは私だけじゃ無いと思う。言葉は大切に使わねばならない、その意味を心からしっているであろうブィコフ氏、名倉氏の編むことばは、必要な情報と一緒に「私は何をすべきか」の思考の中にも連れて行ってくれる。

ぜひ、じっくり読んでほしい。

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トップ画像はUnsplashにあるウクライナの画像からお借りしました。美しいこの国がこれ以上焼かれてしまわないことを祈って。


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