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歳をとるのは人間と同じだけれど、そこで終わらないアメリカの街。

よく興味深いテーマを投げてきてくれる池松さんが、こんなツイートをされていた。きっといろいろ思うところがおありだったんだろう、在米の私にこれを直接送ってきてもくれた。

リンクの記事「帝国の興亡」も興味深いので是非お読み戴きたい。20年以上頻繁にこのエリアを訪れていらっしゃる方だから、「毎日いないから」こそものすごくはっきりと見えることだと思う。そして悲しさとショックを伴ったのは理解できる。

本当は池松さんにDMしようと思ったけれど、長いので記事にしました。送っていただいた意図と違う所に私が反応してないといいんですけど。。。


都市は変化し老いるもの

国や地域を問わず、都市は老いる。

ただ、どこでその老いを老いとして見せ始めるか、とか、どのように回復していくかいかないかは本当にそれぞれで、土地の文化、政治や経済、人の動き、人々のその街への愛みたいなものが大きく関わると私は思っている。決して1つの考えから全て説明出来ることではない。ただ、病気をした人が急に老けて見えるように、経済が勝手に膨らみすぎた街はある時必ず がくん、と落ちる時がくる。

確かにパンデミックで、アメリカのどんな街(世界有数の大都市)でも貧富の差が目に見える形で世の中に現れてきた気がする。

ただ、個人的な感想で正直にいえば、アメリカのこういう変化はこの2-3年に限らないのだ。まさに盛者必衰。資本主義が育ちすぎた感のある都市はどうしたって手に負えない貧富の格差が生まれ、そこから老いた街はぼろぼろと崩れ始めるのだ。
崩れ始めた場所は「相当の」お金と努力が入れられなければなかなか回復しない。だから場所さえあれば「それより安い近場の開発をして、街の機能がそっちに移ったらあらためて(地価が落ちるのは自明なので)古い街にお金を入れよう」になる。これは十年以上に渡る都市の再生になり、日本とはちょっと様相が違う。

13年前のサンフランシスコ。この当時落ち込み方が酷かった場所では沢山のアーティストが頑張ってた。ここに限らずアーティストはその土地の宝だなぁと思う。

活気だけではない街の魅力

中学校(だと思うが)の授業で「ドーナツ化現象」という、都市部の人口が徐々に周囲の都市に移り中心地の人口は減っていくことを教わったが、今もあれは教わるんだろうか。1990年頃SimCityというゲームも流行ったけれど、うまく?進めると確かにドーナツ化現象を起こしていったっけ。あれにハマったひとは街作りはただ作ればいい訳じゃ無いんだなぁと思ったんじゃないかな。道があるか、街の機能をどこに固めどこに分散させるか。この20年、アメリカのいろんな街をみてはあのゲームを思い出す。

アメリカは一般的にいって土地がある国だ。「中心地地価が高くなるなら街そのものを外に作ろう、そうしたら生活にかかるお金も少なくなるし地域の開発になるし、ひいては地価があがって自分たちの持ち物の価値があがるから」と考えたんだなという都市はいくらでもある。SimCityさながら広い何もないところに幹線道路を通し職場と都市機能と住環境を新たに整えてしまう。

ところで「州内では小さめの都市」が州都だっていう例がアメリカに結構多いのをご存知だろうか。推察に過ぎないのだけれど合衆国が出来ていくなかで時代的に早く制定された州都より、交通の発達、技術の発達などに合わせて後から作った街のほうが州都以上に爆発的に成長したのではないか。

ミズーリ州の州都がセントルイスやカンザスシティではなくてジェファーソンシティっていう人口五万弱の都市だって、そのエリアを歩いてみて初めて知った。カンザスシティの一部だけ属するカンザス州も、州都トピーカは人口としては州内五番目だ。ワシントン州の州都はシアトルじゃないしテキサス州の州都と聞かれたら「ダラス?ヒューストン?サンアントニオ?」っていう日本の人も多いんじゃないか。カリフォルニア州の州都がどこか、即答できるひとはカリフォルニア州に住んだことのある人くらいじゃないかと思う。多分だが、これらも時代の変遷で「再生の結果」あるいは「州都機能だけ期待された」都市だったりするのではないか。

ではそれらの「活気を他に取られたようにみえる都市」は惨めかというとそんなことはちっともない。それぞれにとても魅力的なのだ。
都市は老いるけれど、別の形で生まれ変わることが出来ているのがアメリカの都市じゃないかなと、あちこちを訪れるたびに感じている。

変化しつづけるアメリカの都市たち

不思議と世界中どこでもだが、人口が減った場所には「何か違うものがはびこる傾向」がある。「もともとエネルギッシュだった場所」が老いると、そこに引き寄せられるものはそこに残ったエネルギーもしくは「お金」をもった人たちが落とすものをただ吸い上げるものたち、自分でエネルギーを生まないものが多くなってブラックホールみたいに感じる。当然治安が悪化する。銃社会のアメリカでの「治安が悪い」は、もう生存本能の危険信号を点滅させるレベルだ。

20数年前、最悪に治安が悪いといわれた頃からやや回復してきた時期のNYCに私達は住んでいた。日本から渡ったばかりで街を歩いていたら思わず迷い込んだ道の治安があまりに悪いかんじで、全身の毛が逆立つような感覚を覚えたり、ということもあった。今のシティは大分落ち着いたが、それでも時々あの頃平気で歩けた場所が逆に変な雰囲気になっていたりするのは、まぁ、「都市の変遷の中なんだな」と実感するときだ。

スカイスクレイパーの影にぽん、と怖い地域も現れたりする。

2016年に訪れてみたセントルイスはダウンタウンの荒廃具合に怖さしか感じ得なかったが、6年後再訪したそこは治安の面でまだ注意は必要だけれど最初に住んだNYCみたいに回復の兆しがみえる場所になっていた。

セントルイスでかつて栄え、その後落ち込んだ場所を、逆に観光拠点にして盛り上げようとしているところもある。

中西部の大都市シカゴも、また日本人が多いことで有名な大都会ロサンゼルスだってそうだ。「アメリカの街は1ブロック違うと雰囲気が変わる」とよく言われるけれど、その1ブロックが世界経済の状態でころころと変わる。足(車)で歩くと分かる。その不安定さが街の変化の早さ、面白さも生んでいるのだろうけれど。
でもまぁ、そんなわけで大都市圏なら治安と物価を考え「住むなら安定している郊外」になるのは大体同じようだ。

こんな光の街でも、変化はうごめきながらあちこちに現れる。

経済とともに都市は膨らみ、どんどん流入するお金は一部の持てる人たちのところに集まり(それこそが資本主義だ)、振り落とされた人たちが行き場を失い生きる気力を失い 街の残ったエネルギーを吸い取る。
そうなると土地のあるアメリカは、治安も悪化してしまったところをいったん見放して周囲に新しい経済拠点をつくる。労働を提供する様々な職種のひとがまた集まり新しいインフラ網と交通網が生まれる。新しい街は色々便利だからさらに人が増える。そしてまた経済が指数関数的に膨らむと都市は崩れ始めて。。。。その繰り返しだ。

面白い。そしてその変遷は少し悲しい。でも変化した先に、元の街の変わり方に、期待もできる。そうやって変化してきた街をあちこちに見るから。

日本とは都市の変化の仕方がちょっと違うのかもしれない

なかなか老いをみせない日本の都会というのは、地震大国という理由もあるだろうけれど、歳を取り過ぎる前に作り直され、エネルギーはほぼひとところに留まる。ちゃんと新陳代謝している。元々賑やかだったところに投資して、集まるエネルギーをリフレッシュしてさらに上手に増幅する。お金はかかるが整備されてきたインフラはそのまま利用されるので、そういう意味では結果的に都市機能を動かさないままでも正解になる。

一方で日本の中小都市の場合、また別の形で街が老いる。私が育った場所もそのひとつだ。日本では治安が悪くなる、というより静かに小さくなり干からびるように老いていくのが多いようだ。「シャッター街」なんて言葉が生まれたのがそれを表している。あるいは、人間がどんどん老いていく国だからかもしれない。
あ、アメリカにもゴーストタウンはあるけれど、それはそれでそのうち観光拠点になっていたりするのは・・・・なんだろう、国民性の違いだろうか。

そんなわけで都市も歳をとり老いて朽ちていく。
そこから再興するかどうかは その土地を愛する人たちがどういう形で関われるか、にかかっている。でも考えようによっては都市の老いは「生まれ変わるチャンス」でもあるのだ。それは、老いると容れ物の身体を作り直すことはできない人間との違いだろう。

老いても朽ちない街は沢山ある。残っていく理由と残したいと動く人たちがいる。だから私はこの記事で描かれるベイエリアはいつかちゃんと戻ってくると信じているし、それはこのエリアの魅力をさらに引き出すんじゃないかと期待している。
なかなか厳しい時期だというのは本当だろう。でもこれまでのアメリカ社会を見ていると私はむしろ10年後を楽しみな気持ちが勝るのだが、みなさんはどう思うだろうか。

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