見出し画像

『調子』なんてない(体調不良は除く)

日々移ろいゆく『調子』

『調子』っていう言葉、よく使いませんか?物事がうまくいったりいかなかったりする時によく使うキーワードです。

「今日はスムーズに話が進んでいくぞ!調子いいなぁ」

「今日は嫌なことが重なるなぁ…調子が悪い日なのかな?」

などなど、普段遣いされる単語のひとつになっているかと思います。

私は、できるだけ調子のいい日を迎えたい!と思う日々を過ごしているのですが、最近『調子が悪い』を連発しまくっていて思ったことがあるのです。

『調子』なんて無いんじゃないか?

そう、『調子』そのものの存在についての疑問です。

確かに、トントン拍子に話が進んでいって嬉しい日もあれば、ろくでもないことに巻き込まれてしんどい日もあったりします。ただ、水戸光圀公も仰せの通り、人生楽があれば苦があるわけで、そこに『調子』なるものを見出して「今日は〜」みたいに感じる事がそもそも無意味なのではないか、と。

上記の「トントン拍子で話が進んでいく」や「ろくでもないことに巻き込まれる」というのは、たしかに目の前に出来事として存在します。その出来事から生まれた「嬉しい」「しんどい」という気持ちも大切にしないといけません。その後の心のケアに関わりますからね。

しかし、その中に『調子』という概念を持ち込むとどうなるか?目の前で発生した出来事とその因果から生まれた感情の波が、そのまま途切れず『調子』と転換されてしばらく続いていく事となります。

ずっといいことが続いていくのであればそれに越したことはないのですが、いずれ少なからず嫌なことが来るので『調子』という観点からはどうしても下がります。そして、悪いことが続いているとその悪いことを引きずり「調子が悪いなぁ」という事となるでしょう。

どうあがいても調子が悪くなる。これは構造的な問題です。

どうしても調子が悪くなるなら、どうすればいいか。簡単です、調子という概念を消してしまえばいいのです。

調子を意識しなければ、フラットでいられる

前にも少し触れましたが、この世に存在するものは大きく2つしかありません。

①:目の前で発生した出来事(認識していないものは存在しないと同じ)
②:①に対して感じた感情

そして、この出来事と感情というのは、基本的にはワンセットでその場ポッキリの存在であるべきものです。1回目に発生した出来事と感情が、その次に発生した出来事には影響を及ぼしてはいけません。だって別の事項なのだから。

そう考えると、1つ目の出来事と感情をしっかり処理してひとつ区切りを付け、また次の出来事と感情に区切りを付け…と連続性を持たせずに繰り返していけば、調子なんてものは存在しない事になります。

そうすれば、いいことも悪いこともきっちり認識し、フラットな状態で新たな出来事に相対することができるようになります。

いいことも悪いことも、しっかり味わって生きていきたい

できるだけ"いいこと"を沢山享受したいのは皆同じだと思います。私もそうです。だからこそ、悪いこともしっかり味わって生きていくことで、感情の処理を都度行い、"いいこと"に対してフォーカスできるよう仕向けていくのが大事だと思うのです。

"いいこと"も、"悪いこと"も、何かしらの縁があって目の前に出現している。できれば"悪いこと"は出てきてほしくないですが、せっかくだから徹底的に付き合って納得いくまで感情をしゃぶり尽くしてやればよいのだと思っています。"悪いこと"に負けてなるものか。そして、ある程度しゃぶれて次にアクションすべきことがあれば、実行に移していけばよいのではないか。

勿論、しゃぶりつくせないくらい、悲しい出来事もある。それでも、前に進んでいかないといけない。生きている限り、時間は進み新たな出来事が発生していく。そこには沢山の"いいこと"も含まれているのだ。

生きていれば、いいことも悪いこともある。どうしても消化しきれない重たく悲惨な出来事もある。でも、少しでも、皆が身の回りの"いいこと"に目を向けられる毎日でありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?