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あたたかな孤独

前回の記事で、こんなことを書きました。

「圧倒的な孤独と向き合う覚悟」こそ、私に必要なものだったのだ、と気づきました。
わがままに生きる / moimoi

この部分について、ちょっと掘り下げて書いておきたいと思ったので、書いてみようと思います。

前回の記事と導入文が完全にかぶってますが、自分で書いたものが自分で気になって掘り下げがとまらないので、セルフリレー形式で書いております。

興味のある方は、こちらも合わせてどうぞ。

孤独に踏みこむ

孤独とは
精神的なよりどころとなる人や、心の通じあう人などがなく、さびしいこと。
Wikipedia

たったひとりでも、誰にも理解されなくても、自分が信じる道をいこう。

私は腹をくくって、私の根幹をなしていた武道から離れ、自分だけで道を模索することにしました。

そうはいっても、足がすくみます。

私にとって、はじめて自分を理解してもらえた、と思えたものが武道でしたし、夫と私を繋げてくれたのもまた武道だったからです。

武道から離れることで、全てを失ってしまうかもしれない、という不安もありました。

しかし、この「不安」こそが、私をいつも「変われない自分」に引き戻していることを、私はすでに気づいていました。

今度こそは、不安を振りきって、孤独に踏みこみ、変わるのだ。

孤独だけど孤独じゃない

夫も、はじめは反対しました。

でも私には、本当に縁のある人とはカタチを変えても必ずどこかで繋がれるはずだ、という謎の確信がありました。

お互いにとって、それが最善ならば。

そして、私にとって夫は、そういう「縁」のある人だということが、これまでの経験からわかっていました。

私は、自分で言うのもなんですが、やると決めたら集中してハイスピードで走り抜けるタイプです。

走り抜けてふと周りを見渡すと、あれ、誰もいない…、みたいなことがあるのですが、夫だけは、息を切らしながらも、あとから笑ってついてきてくれるのです。

ああ、心の友よ。

私の決意がかたいことを知って、夫は私を自由に泳がせてくれました。

文字通り、私はこのあと、水泳にハマりました。

気まぐれな妻で、ほんとすみません。

いつもありがとう。

孤独とともに

いざ孤独に足を踏み入れてみると、そこは、がらーんとした世界でした。

がらーんとしてるな。

持っていたものをほとんど手放したばかりでしたから、当然といえば、当然です。

寂しいな。

寂しくて、何度も過去に引き戻されそうになりましたが、戻ったところで、そこに私の求めているものはないのはわかっていました。

このときばかりは、私にとっての「真実」を知りたい、という気持ちの方が勝ちました。

自分が望んだことだ。
寂しいのも、また一興。
このまま進んでみよう。

とはいえ、一体何をしたら、私にとっての「真実」に近づけるのか、このときは見当もつきませんでした。

ひとまず私は、寂しさと「仲良くする」ことにしました。

不安にかられて、元の世界に戻らないように。

寂しさを「埋めようとする」のではなく、寂しさと「仲良くする」のです。

私はここが、大きなターニングポイントだったと思っています。

寂しさと仲良くすることができるようになると、なんと、自分と仲良くなれるのです。

なんと、なんて、もったいぶって言うことでもないのですが。

私自身がそうでしたが、これを知らないというか、「知恵」として活用できている人は、案外少ないように思います。

ひとりだから寂しいのではなく、寂しいからひとりを楽しめるのです。

孤独から広がる世界

寂しくても孤独を選んで生きる人が、何をしだすかというと、自分と対話しだすのです。

自分の心の中で遊びだすのです。

場所を選ばず、お金もかからず、たったひとりで、いつでもできる遊びです。

これを、やばいヤツ、と見て嫌厭する人もいるかもしれませんが、私は、自分と対話できない人は他人とも対話できない、と思っています。

自分と深く深く対話できるようになってくると、同じように、自分と深く深く対話している人を発見できるようになってきます。

そういう人とは、不思議と、お互い何も話さなくても、深く共感し合えるのです。

心で繋がる、というやつです。

これを体感できるようになってくると、みんな、心の奥で繋がっているのだ、という確信を持てるようになります。

人だけでなく、自然も、宇宙も、たぶん全てが繋がっているのです。

この道の入り口は、確かに「孤独」でした。

でも、そこで思いっきり遊んでみたら、行き着いたのは、孤独とは無縁の「無限の世界」だったのです。

もう、誰とでも、何とでも、仲良くなれそうな気がします。

孤独を受け入れたら孤独じゃなくなる、なんて皮肉な話ですが、知ってしまえば、なーんだ笑っちゃう、という感じです。

「孤独」というと、暗くて冷たいイメージがありますが、孤独を受け入れた先に広がる世界は、まぶしいほどに明るくて、あたたかい世界でした。

今、孤独に押しつぶされそうな人がいたら、孤独は悪いもんじゃないよ、と伝えたいです。

必要な人に、届きますように。

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