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素直に願う

ストレート合格

先日、夫が弓道五段「錬士」の審査を受けました。

弓道には、「段位」審査と「称号」審査があります。
称号には、「錬士」「教士」「範士」があります。

結果、合格しました。

弓道は、私も三段を持っています。

私は、ある時期から、武道に関わることに「もうお腹いっぱい」状態になったため辞めてしまったのですが、夫はコツコツと続けています。

このくらいのレベルになると、何度も審査を受け続けてようやく合格するのが当たり前、とされています。

夫は、五段に関しては、何度も審査を受け続けてようやく合格したのですが、「錬士」に関しては、ストレートで合格しました。

実は私は、今回はいける、と見ていました。

願いは叶っている

話は変わりますが、ちょうど今、うちの塾の生徒たちも、受験に挑んでいる時期です。

受験に挑む生徒たちを見ていて、思っていたことがあります。

それぞれの「願い」は、すべて叶っているような気がする。

例えば、ある女子生徒は、「真面目に生きること」を信条としています。

先日彼女は、彼女と同じ高校を希望している仲良しの友達は推薦が通り、彼女は推薦が通らなかった、という苦い経験をしました。

仲良しの友達なだけに、辛い現実です。

このとき彼女は、「私は毎日学校へ行って真面目にがんばっているのに、学校を休みがちな(不登校気味な)友達は良くて、なぜ私はダメなんだ」と落ち込んでいました。

気持ちはとてもよくわかります。

しかし、彼女の友達は、彼女なりの努力や実力が評価されて推薦が通ったはずなのです。

学校は毎日行くもの、という彼女の「信条」を通して見たら、彼女の友達は「不真面目」に映ったのかもしれません。

この苦い経験をなんとか乗り越え、彼女はひとまず、私立の高校は希望校に合格しました。

結果を聞いて、不安と緊張がとけた彼女は、喜びで泣き崩れたそうです。

私は、この一連の出来事を眺めたとき、彼女の「願い」は叶っているのかもしれない、と思いました。

真面目な彼女は、「願いは苦しみを乗り越えてこそ叶えられる」と「信じている」のではないか。

彼女だけでなく、他の生徒たちを見ても、それぞれが心の奥で信じていることが、そのまま叶っているように思えてならないのです。

言葉で何を言うかではなく「心で何を信じているか」が現実をうみだしているような気がしています。

私の密かな実験

私は、願いは「サラッと」叶っても良い、と思っています。

苦しみを耐えて耐えて乗り越えてようやく願いが叶った、というのが美談としてもてはやされがちですが、別にそうでなくてもいいじゃん、と思ったりしています。

そこで私は、今回の夫の審査に便乗して、密かな実験を仕掛けてみることにしました。

まずは、夫の審査に対する「思い込み」を解除すること。

夫が、「いきなり合格はムリだと思うけど」と審査に対する不安を口にしたとき、「別に何回も受けてから合格しなくても、一回で合格したっていいんだよ!一回で合格しちゃいなよ!」という価値観を、そっと放ってみました。

私の夫は、ものすごく純粋(素直)なので、私のこの価値観を、私が驚くほど素直に受け入れてくれました。

これは、いけるかもしれん。(にやり)

また夫が、「明日どういう気持ちで弓を引けばいいのか定まらん」と言うので、「合格しにいくのか、経験だけできればいいのか、心と身体を一致させてから引くべし!」と伝えました。

少し時間を置いて、「今の自分の射を気持ちよく表現できればいい、ってとこに落ち着いた」と私に言いにきた夫は、心と身体が一致したような、海の状態でいえば「凪」の境地に至ったように、私には感じられました。

本当に、いけちゃうかもしれん。(落ち着け)

審査当日、面接では笑ってしまうような凡ミスもあったそうですが、射においては皆中(全部的中)し、これまで経験したことのないフラットな心境で楽しむことができたそうです。

意気込んで合格をとりにいくでもなく、はなから諦めるでもなく、緊張と脱力の加減が絶妙に良かったようです。

結果、無事に合格をいただきました。

素直とは

この境地は、経験したものにしかわからないものだとは思います。

しかし、私は今回の実験によって、「願い方」がちょっとわかった気がしています。

本人の「願い」はもちろん、周りの人の「願い」も影響することもわかりました。

自分の願いは、本当に「自分の」願いなのか。

自分はどんな言葉を使っているのか。
自分は何を願っているのか。
自分は心の奥で何を信じているのか。
自分は心の通りに行動しているのか。

全てを一致させれば、現実はその通りになるように思います。

それこそが「素直」なんじゃないか。

「真面目」とは、ちょっと違うように思います。

先日読んだ本の、ワンシーンを思い出しました。

「青山君、力を抜きなさい」
静かな口調だった。
「力を入れるのは誰にだってできる、それこそ初めて筆を持った初心者にだってできる。それはどういうことかというと、凄くまじめだということだ。本当は力を抜くことこそ技術なんだ」
力を抜くことが技術?そんな言葉は聞いたことがなかった。僕は分からなくなって、
「まじめというのは、よくないことですか?」
と訊ねた。湖山先生はおもしろい冗談を聞いたときのように笑った。
「いや、まじめというのはね、悪くないけれど、少なくとも自然じゃない」
線は、僕を描く/ 砥上裕將 著

脱力し、自然な自分になれたとき、素直に至る。

素直な願いは、すんなり叶う。

これが、私が実験から得た、今のところの結論です。

もちろん、ただ願えば叶うというものでもなく、日頃の努力の積み重ねは欠かせない要素です。

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