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「響~小説家になる方法~」柳本光晴 (著)/ 小説を読むこと。小説を書くこと。

以前、少し読んだ記憶があり、今回5巻(芥川賞・直木賞同時受賞編)まで Kindle Unlimited に来ていたのに気が付き、続きを読んでみた。

文学賞ダブル受賞編までで作風と世界観を堪能出来たので、その後も続くドタバタを読み続けるのは良いかな?と思い、その先は読んでいない…
(最終巻から時間が経ちwikiにあらすじが載っている

内容紹介

とある文芸編集部の新人賞宛に送りつけられた、直筆の投稿原稿。
編集部員の花井は、応募条件を満たさず、
ゴミ箱に捨てられていたその原稿を偶然見つける。
封を開けると、これまで出会ったことのない
革新的な内容の小説であった。
作者の名は、鮎喰響。連絡先は書いていない・・・

https://shogakukan-comic.jp/book?jdcn=091867690000d0000000

映画にもなっている。


感想

note は、小説家を目指している人や目指していた人の投稿が多いように感じられる。
現在進行形で、賞の公募に応募する(した)記事も度々、目にする。

自分のプロフィールに自作SF小説とDTM楽曲のリンクを貼ってはいるものの、文学賞の類に応募したことはなく「小説家になろう」のタイアップコンテストに応募したくらい。
今も時々「小説家になろう」のコンテストに応募することはある 。手続きがとても簡単で、まだ自分の小説を知らない人に読んでもらう機会にもなる。

その辺のことは3年前に記事にし、そのままにしている自己紹介の通り。
(ずっと更新をしていないので、内容がやや旧聞なのはご容赦頂きたい)

このコミックを以前読んだ時は「主人公を取り巻く小説家志望の人たちの思いが熱すぎる。そんなに文学賞が大事なの?」と思っていたが、note に来てから小説を熱心に書く noter さんたちの記事を読み、今回5巻までを読んでみて「そういう想いを持っている方もおられるのだな」と感じた。
 
主人公 鮎喰 響(あくい ひびき)は、類い稀な文才を持つ15歳少女の設定で、自分のやる事(執筆)に一直線なところが誰かに似ているなと思ったら、成瀬あかり

二人が異なるところは、成瀬あかり鮎喰 響のように他人に暴力を振るうことはなく社会性も備えており、敢えて言うなら 成瀬あかり:鮎喰 響 = 少し変わった子:危ない子

両者に共通するのは、圧倒的な読書量(勉学)とそれをアウトプットする表現力。
そのチカラにより周囲の大人たちを惑わせ、驚愕させるフィクションの世界。

現実世界においても読書量と執筆量は、その人の内面を形成する上において大きな役割を果たすと思う。

一人の人間が現実世界で多くの体験・経験をするには、時間と空間が限られる。
その枷に囚われず、自分自身の内面を広げられるのが読書と執筆(インプットとアウトプット)ではないかと思う。
 
ただ、多読・速読を奨めている訳ではないので悪しからず。


そんなことをボーッと考えていたら長編SF小説(100万字)を書いて以降、ちゃんと「了」を打った小説を書いていないのを思い出した。
noteに連載した小説も昨秋から止まっている(「カクヨム」原稿によれば10万字弱)。

長編小説を書いてみると、より短い小説を書くのは内容はともかく、心理的なハードルは低く「5万字ならこんな感じ。10万字ならこうかな?」が、思い浮かぶ。
ただ、それを書くための労力も分かっているので、ちょっと変な言い方だが「専門の小説家」でなければ、そのために自分の手間と時間を費やすことには躊躇する。

昨年から作り始めたコンピュータ・ミュージック。
こちらはツールが整っているので、閃きがあれば(とりあえず)リリースするまでの時間が短い。新しいガジェット(含ソフトウェア)を操作する楽しみもある。
AIを使っている訳ではないが、一般的な音楽手法に則って作られたコンピュータプログラムの楽器群は、高度な音楽知識や経験がなくても素人が作る曲を世界配信レベルまで引き上げてくれる。
昨夏から小説を書かずに、そちら(音楽)へ逃げているとは思いたくないところ😅(自問自答)

今まで聴いてきた多くの音楽が、頭の中に残っているのが幸いしているところは、小説と同じなのかも知れない。
 
 
私には「小説を書かねば」と思わせるコミックだった。
天才でなくても、物語を紡ことはできる。


MOH

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