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【遺書15】無気力なままでいさせてくれ

自分は無気力だ。

ずっと、無気力だった。

大人になって、急に無気力になったわけじゃない。

社会人になって、急に無気力になったわけじゃない。

1度の大きな挫折があって、無気力になったわけじゃない。

子供のころから、ずっと無気力だった。

突然、無気力状態に陥ったわけじゃない。

最初からずっと無気力状態なのだ。

好きなものがなくなったわけじゃない。

最初からずっと好きなものなんてなかった。

社会人になって、やりたいことを見失ったわけじゃない。

子供のころからずっと、やりたいことなんかなかった。

わからないのではない。

元からないのだ。

だから、探しても無駄だ。

ある意味では無気力でいること、好きなことがないこと、やりたいことがないこと、それが自分にとっては自然なのだ。

それが自然体なのだ。

むしろ、周りに合わせて、

世間の普通に合わせて、

ヤバい奴だとバレないようにするために、

浮いていると思われないために、

気力を出そうとしたり、

好きなことをやろうとしたり、

やりたいことをやろうとしたり、

そんなことをするほうが自分にとっては不自然だ。

仮に、気力を出して活発に活動的に積極的に動く自分がいたとしたら、それはそんな人間のフリをしているだけだと思う。

熱中してしまう、夢中になってしまう、寝食を忘れて取り組んでしまうほど好きなことをやってしまっている自分がいたとしたら、それはそんな人間を演じているだけだ。

反対されても、批判されても、正当な評価を受けられなくても、自分がやりたいからやってしまう自分がいたとしたら、それはそんな人間っぽく振舞っているだけだ。

そんな人間でいるほうが都合がいいから。

そんな人間のほうがウケがいいから。

そんな人間でいるほうがその場がしのぎやすいから。

そんな人間でいるほうが波風が立たないから。

そんな人間でいるほうがその場が丸く収まるから。

本当はそんな人間じゃないのに。

気力なんて出させないでくれ、と思う。

気力を取り戻させようとしないでくれ、と思う。

無気力なままでいさせてくれ、と思う。

無気力のまま生きさせてくれ、と思う。

好きなことを探させようとしないでくれ、と思う。

好きなことを見つけさせようとしないでくれ、と思う。

やりたいことをやらせてやろうとしないでくれ、と思う。

やりたいことに出会わせようとしないでくれ、と思う。

そんなことをしないほうが自分にとっては自然なのだから。

気力がある状態が正解なのか?

無気力でいることは不正解なのか?

そんなことはないと思う。

無気力なまま、成功してもいいはずだ。

無気力なまま、うまくいったっていいはずだ。

無気力なまま、幸せを感じたっていいはずだ。

無気力なまま、安心感を抱いたっていいはずだ。

無気力なまま、何となく暮らしたっていいはずだ。

だから、気力を出させようなんてしないでくれ。

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