「優等生」の肩書きを外し、ありのままの自分で生きるということ
私が救われた言葉。
それは、就活中の最終面談の時、弊社の代表に言われたこの言葉である。
石川さんならこの会社を強くしてくれると思うし、うちなら石川さんのことを幸せにできると思う。ぜひうちで働いてほしい。
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思い返せば、私は幼い頃から無意識のうちに周りの目を気にしていたのだと思う。
私はいい子じゃないといけないんだ。いい子なら、親が喜んでくれる。
昔から、なぜかそう思って生きてきた。
自分のためと言い聞かせながら、親が喜ぶから勉強を頑張った。
先生に怒られることもなく、むしろ褒められることしかなくて、学校ではいわゆる「優等生」だった。
周りからも、勉強のできる真面目な子、というイメージを持たれていた。石川さんに任せれば大丈夫、安心感がある、とか。すごいねーと言われることも多かった。
優等生という周りからのイメージを保つために、勉強を頑張った。学校の期末テスト前は遊びにも行かず家にこもって勉強して、学年1位の成績を取ろうと必死だった。
学校ではっちゃけることもなくて、行事よりも勉強を優先した。
勉強が好きだからやっているわけではなくて、周りから真面目だと言われるから、真面目で優等生の私を周りが評価してくれるから、ただそれだけの理由で頑張っていた。
そこに、本当の私はいない。
本当の私は、もっとルーズだし、ジャニオタだし、テレビっ子だし、先生の悪口だって言うし。みんなから「意外だね」と言われるような、好きなこともやりたいこともいっぱいあった。「先生に向いてそう」とか言われたけれど、本当はドラマの脚本家になりたかった。
本当の私は、みんなが思っているような、優等生ではない。
周りを騙しているようで、罪悪感があった。でも、みんなが思っている優等生という肩書きを外したありのままの自分でいることが怖くて、自分を見せられずにいた。
学校の先生たちは、本当にいい人たちだったと思うし、生徒のことを真剣に考えてくれている、向き合ってくれる先生だったと今なら思う。
でも当時は、優等生という肩書きがあるから私のことを褒めてくれるんだ、評価してくれるんだ、と卑屈に考えていた。
先生に褒められても、「これでいいの?優等生の私がやってるから褒めてくれるだけでしょ?どうせ私自身のことなんて見てくれていない。」そんな風に、考えて。
大人のことを、誰も信用できなかった。
先生たちは、「石川は本当に真面目で助かるなあ」と言って、遊んでいる子たちを叱っていたけれど、私には、自分のやりたいことを一生懸命やっている周りの子たちの方がよっぽど生き生きしていて、輝いて見えた。
自分の意思で日々行動して、毎日を楽しんでいる彼らのことを心の底から憧れていた。
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優等生として生きてきた私がつまずいたのは、就活だ。
肩書きのない、何者でもない自分。ずっとずっと見せるのが怖かった自分で勝負しなければならない。ありのままで行くのが怖くて、結局、優等生として就活に望んだ。
ESや一次面接は、優等生でいれば通過する。でも、自分の意思、熱意が重要になる三次面接や最終面接で、全て落ちた。
自分自身に価値がないように感じて、やっぱり肩書きのない自分なんて誰も評価してくれないのだと、ものすごく落ち込んで、毎日泣いていた。
人生で初めて、自分自身に向き合ったと思う。
私が本当にやりたいことはなに?私が生きていく上で大切にしたいことは何なに?私が熱意をもって、心の底から頑張ろうと思えることはなに?
大企業ばかり受けていたけど、本当は最初からベンチャーの方が心惹かれていた。でも、その気持ちに蓋をして就活をしていた。だって、親が、周りが…。
ああ、もう、周りの目を気にして生きるのはやめよう。
本当の自分がワクワクすることを、やろう。
そう気持ちを切り替えた時、たまたまwantedlyでエバーセンスの募集が目にとまった。
その募集を読んだ時、なぜかたまらなくワクワクドキドキしたことを、今でも覚えている。私はここで働きたい、なぜかそう強く思った。
ここで働きたいから、優等生の自分で望むのはやめよう。気に入られようとするのは、やめよう。
ありのままの自分で行って、ダメなら、きっと合わないんだ。それで落ちたら、納得できる。
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エバーセンスの面談は、志望動機や学生時代に頑張ったことなど、面接のテンプレの質問はなくて、ただ雑談をしていただけ。みんな、対等な立場で接してくれて、評価しようとせず、ちゃんと話を聞いてくれた。
ありのままの自分で話しをすることが、怖くなかった。
そして代表の牧野さんとの最終面談。
面接っぽい話をしたのは最初の10分くらいで、残りの30分くらいは雑談をしていた。私という人間、私の考え方、意見を全く隠さずありのままで話した。こんなにも自分らしく、心から笑って話せるなんて、久しぶりだった。
そんな時に言われたのが、この言葉である。
「石川さんならこの会社を強くしてくれると思うし、うちなら石川さんのことを幸せにできると思う。ぜひうちで働いてほしい。」
私という人間が、全肯定された気がした。
優等生という肩書きを外した、私という人間を、必要としてくれるんだ、と思った。
そして会社に必要というだけではなくて、私がここで働くことで幸せになれるかどうかまで考えてくれていたことが、何よりも嬉しかった。
大人を、信用していいんだと思った。
牧野さんは、この言葉をもう覚えていないかもしれない。
でも、私はこの言葉で救われたし、いま楽しく働けているのも、この言葉のおかげである。
会社でジャニーズの話を楽しそうにしているなんて、昔の私では全く考えられない。周りの目を気にして、空気を読んで、必要とされている役割を担おうとする癖はまだ残っているけれど、自分はこれをやりたい、と意見を言える、意思を表明できるようになったのは、エバーセンスに入ってから私が変わった部分だと思う。
昔からの友達にも、「ようこ変わったね、明るくなったよ。」「楽しそうだね。」と言われる。
本当に、心の底から、エバーセンスに入ってよかったと思う。
楽しいことばかりじゃない。仕事は大変だし悔しいこともたくさんあるけれど、それでも毎日前を向いて、頑張り続けられているのも、この言葉のおかげである。
私はこの言葉に、エバーセンスに、救われた。
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