働きたくない、でもお金はほしい。って素直に許可してみる。
この記事を読んで、私の場合はなんだろうと考えた。
で、結論。
私は働くのが嫌いだ。
大学生で就活してた頃から「自立するには働かないと」とか「これからは共働きの時代だ」とか、とにかく「私は働くんだ」と強く思い込んで生きてきた。
そういうものだ、と思ってきた。
「私が家族を養うんだ」みたいな気持ちすらあった。
でもね、どこでどんな働き方をしても、結局「嫌だな…」「休みたいな…」になるんだよなぁ。
仕事で認められたり仲間ができたりするのは嬉しかったしそれなりにやりがいもあったけど、どの仕事も「楽しいです!一生やりたいです!」とはならなかった。
今のところ1回もない。
正直働かなくていいなら働かない。
で、のんびりと自分のやりたいことをやりたいようにやって暮らしたい。
もの作りとか文章書いたりするのは好きなのでやると思うけど、お金を絡ませるとやる気を失うので、自分のできることをお金に変換するのは別にもういいのかなぁと思いつつある。
自分のできること、やりたいことをお金にしようとするのにちょっと疲れたのだ。
私は「お金!お金!」って言いながら働くんじゃなくて、道楽的に「これ面白そうだからやってみようよ〜」ってイベントにしてみんなで楽しんでたらお金も集まってきたわーい、という雰囲気で動きたい。
基本的に面倒くさいことは嫌いだから、ゆるゆるとやりたい。
***
お金を絡ませるとやる気を失うと書いたけど、それはなぜだろう。
「ちゃんとやらなきゃいけない」
「責任が伴う」
「楽しくない」
そんな気持ちになる。
あとは、提示されてる時給の10倍くらいほしい…と思う。
作業量に対して金額が見合わない気がする。
そんなハイクオリティなスキルを持ってるわけじゃないから黙ってるけど、本当は「その10倍じゃないと嫌です!」とか思ってる。
働くのが嫌いなのにバリバリ動いてるんだからそれくらいくれよ、って気持ち。
マダミス会が無料だったのは、なまじ値段をつけるとしんどくなるから。
好きだからやってることに対して「こんな頑張ったのにこの値段なの?」って思いたくない。
そんなのつらすぎる。
だから値段をつけなかった。
もし私が望む値段にしたら、誰も来てくれないくらいの価格設定になると思う。
「やりがい」は高いのだ。
ここまで書いてきてふと、私は働くのが嫌いなんじゃなくて、私のやりがいや働きを雀の涙程度のお金で換算されてるのが我慢ならないのかもしれない。
あぁ。
「お前はこの程度だよ」
って、すごく押さえつけられている感覚がする。
誰に?私に。
だってその時給で働くのを決めているのは私。
いつだって私が選んだのだ。
嫌なら別のところに行くか、さっさと起業して何十万もする商品を売ればいい。
両方ともしていないのは、
「自分はこの程度」
「そんな大金を受け取る資格はない」
と思っているから。
で、結局雀の涙程度の金額を不満顔で受け取るのだ。
何してんだ私は。
自作自演じゃん。
本当はそんな金額で納得していない癖に。
「もっとお金がほしい」
「精神面だけじゃなくて経済的にも豊かになりたい」
と思っている癖に。
素直じゃないわね。
なぜそんなことをしているのかは分かるよ。
高望みせず小さくまとまっておけば、だいたいが予想の範疇で生きていける。そしたらケガしない。
「自分なんてこんなもんだよ」って思っておけば、失敗しても「まあそうだよね」とダメージを最小限にできる。
自分を守るための策。
鉄壁バリアみたいなもの。
でもさー、そんな人生つまらなくない?
とも思っている。
小さくまとまって小器用に生きて、それで心から「楽しかった!」って死ねるのか?
私は素直に頷けないや。
スピリチュアルの目線では、私たちはこの世に遊びに来ているらしい。
色んな感情を感じるために。
本当かどうかは分からないけど、もしそうなんだったら、私が感じている本音のままに生きたらいいんじゃないかと思う。
本音のままに生きて生きて、それが傍から見てめちゃくちゃだったとしても、別にどうってことはない。
どんだけぶっ飛んだことしても、多分同じことしてる人がいるだろうし。
ほしいものはほしいんだから、大人しく許可しよう。
本当にほしいものを手に入れるのに、資格とか価値とか関係ないものね。
私のガワはめちゃくちゃ怖がりちゃんなので「そんなの無理…!」ってさっそくザワザワしてるんだけど、まあなだめながらサクッと行こう。
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