【忘れないうちに】

 都議会議員選挙前に書けばよかった。危機管理上の問題点から気がついた点を以下に示す。私の言うことは気に入らないかもしれないが、「誰が言うか」か大事と考えていても頭から否定しないで思い当たることがないか考えてほしい。

集団でなされる「合理的判断」は多くの場合失敗を導くことが多い。「学歴が高いから俺は間違わない」と言い放ったり、傲慢な態度に表す者は内省を続けないと罠にハマることを心に留めないといけない。

テキストを分析すると、以下三点が析出されてきた。

・意思決定集団の団結力が強い
・メンバーが共通のバックグラウンドや価値観を持っている
・周辺国からの脅威や民衆の反対など外圧にさらされている

あれ、なんか今起きてませんか?
政権与党は、派閥の力学をどう使うか、宗教政党も、明示的に意見をまとめようとせずに書いておかないとまずくありません?公正でも公平でもなくなりますよ。

東京五輪といい、太平洋戦争といい、有能な人たちが集団で「失敗」する例を「歴史的な失敗」を後追いすると、集団思考について複雑で相互作用の力学があることは体験もし、学んでもいるはずだが。当時のその国や組織のトップ集団が、さも当然とでもいうように大穴を開けるのだから否応なく巻き込まれていく市民・国民はたまったものではない。

知識や経験が豊富だ、と自他共に認めるものですら罠から逃れられていない。「有能な人物」でもだ。

「必ず、現在の選択肢に対する批判的議論を入れる」「リーダーが最後まで中立を保つ」「複数の小集団に分割して議論する」として、ギリギリ危険から避けられるだろうか。

政治ならば、与党と対する野党が揚げ足取りをする暇があるならよりマシな代案を提出しろ、というのはここにあるのだが。わたしもだが、あなたにも、小さな会議の折にでも「集団の意思決定は個人の意思決定と異なる」ことだけは頭の片隅に留めて欲しいと願わずにはいられない。

あなたもわたしも、互いを守るための行動を一つ入れてほしいのだ。そのためにスペキュラティブ(speculate:思索的)な、「未来はこうもありえるのではないか」という臆測を提示し、問いをそれぞれが立てていく必要があるといえないだろうか。

 

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