丁寧に言葉を積み重ねる、その手付きが現実を変える ー 『資本主義から脱却せよ 貨幣を人びとの手に取り戻す』光文社新書

冷静で丁寧な議論を重ねていった結果、胸が熱くなるような詩的な情動がもたらされてしまうのが良い人文書だと思う。予想に反して(失礼)友人の高橋真矢が書いた『資本主義から脱却せよ 貨幣を人びとの手に取り戻す』もそんな本だった。


一般向けの本も多く出している著名な経済学者の松尾匡さん、井上智洋さんと高橋との共著なのだが、それぞれの議論を包括する視座を提供しているのは高橋だと思う。

3人に共通する主張は、民間銀行が無から貨幣をつくり出す(信用創造)現在の制度を廃止して、政府が貨幣を発行する(あるいは機能的にそれに等しい)制度にしようというもの。

資本主義が批判されるとき、市場の問題がよく言われるが、そうではなくて今の貨幣制度を廃棄すべきなのだと。

そこに至る議論の中で、「国債は借金ではない」「税金は財源ではない」といった、一般に流通するイメージを覆す事実が示されていく。高橋によって、カードを1枚1枚裏返すように。その手付きは慎重で派手な演出はない。だからこそ自分の曇った目に映らなかった「現実」が見えてくることに興奮を覚える。


さて井上智洋さんが言うように、貨幣制度の改革とAIの発達とBI(ベーシック・インカム)の導入によって労働する必要がない社会が訪れるとして、そのとき人は幸せか?井上さんは率直にわからないと言う。

高橋も、自由な選択ができる社会の価値は認めつつも、自分もまた選別の対象になることの苦しさを重く見る。そして自由と孤立とのジレンマについて考える前に、「そもそもなぜ、人は人に対してこんなにも疲れるようになったのだろうか?」と問う。

ここでイー・フー・トゥアンの「個人空間」やハンナ・アレントの「プライバシー」についての議論を紹介しながら、「他者と『出会えない』社会」の背景を探る(住居などの近代的空間とプライバシーについて僕は、高橋も参加してくれたトークイベント『風呂と施しの文化史』で、イヴァン・イリイチの『H2Oと水』などを引きながら話したことがあり、根っこの方の問題意識が接続していることが確かめられて嬉しい)。

そして、しかし、他者と出会える場所が日常空間に存在する社会をつくることも、地域の自助だけに頼ることなく、政府と人々との協働によって可能なのではないかと言う。

明確に示されている貨幣制度改革と比べて、この話は具体性に乏しい。本の全体を通して、高橋が示すことの多くは重苦しい「現実」でもある。にもかかわらず、読むあいだずっと静かに興奮し、自分の手を動かして「現実」を良きものにしていこうという気持ちがじわじわと湧いてくる。

良い人文書とはこういうものだと思う。


『資本主義から脱却せよ 貨幣を人びとの手に取り戻す』光文社新書
著:松尾匡、井上智洋、高橋真矢


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