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『ひらめき』を逃してしまうところが、凡人たる所以。

こんばんは、もげらです。

お風呂を洗っているときに「ハッ!」となった。「これだ!」と感じた。
ずっと悩んでいることのひとつ、『書くこと』に関して。
なにか少し視点が変えられそうな、少し進みそうな、そんなような、ピピッとした感じ。


なんだけど。
な ん だ け ど 。
な ん だ け ど。

お風呂洗っている最中。紙もペンもない。
スマホも部屋に置きっぱなし。

Oh… なんてこと……!

「これや、これ、これ」
洗いながらそう思うものの、文字にできない。
あー、これはだめだわ、ああ、どこかにいってしまう、
ひらめきが絶望に変わりそう。


洗い終わって、すぐに紙を広げてボールペンを持つ。
とりあえず頭の中にあるかけらを書き出してみる。


……これじゃない感。
掴めそうで掴み切れない感。さっきキたのとはちょっと違う感。

もしかして頭の中身を文字にしきれていないだけなのか?
いや、それは大いにあるけれど、きっと違う。言語化できていないことだけが問題じゃあない。

もう“これ”のかけらはどこかへいってしまわれたのだ。


ああ、やってしまった。
後悔しても、時既に遅し。

思考というものはどうしてほんの一瞬で消えてしまうんだろうね。悲しい運命……

波のように雲のように、掴めそうで掴めなくて、一瞬で形を変えてしまって、二度と同じ形にはならない。




メモ命になろう、まではいかないけれど、せめて「これや!」のときくらいはガッチリと掴まないと。
(頭の中を具現化できる機械が早くできないかな、っていうのはずっと願っているよ)

私が凡人なのは、機会があっても掴めないからだろうね。
機会や、ひらめき、アイデア、思考を掴めるということは、一瞬を掴めること と同義かもしれない。
一瞬を逃したら、次はきっとない。ああ、でも次には形を変えて現れるかもしれない。

あ、いやね、別に機会を掴んだだけで凡人脱却できるとは思っていないけれどね、「天才になろう」だとかそういうのでもなくて、たぶん性根がクズだけどね、うんぬんかんぬん、

凡人でも掴めるものがあるのなら、ぐるぐるした頭の中に光がさすのなら、
掴めたほうがいいよね、
などということをひしひしと感じてしまったのでした。


読んでいただきありがとうございます。

2023.11.02 もげら

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