「どんな人をも最期は極楽浄土にお連れする。」助雲山 松岡院 接引寺 2/2
亡き人を悼み、来世での安穏を願い、今ある命に感謝し、
残された生活の幸いを願う。
助雲山 接引寺 花車英行 上人
昭和47年新庄市生まれ。大正大学仏教学部在学中、大本山増上寺にて修行の後、大学を卒業。平成18年第27世接引寺住職となる。平成26〜28年まで浄土宗山形教区青年会会長を務める。現山形教区議会議員。
葬儀の由来
近年、故人のお見送り方はますます多様化しています。しかし、葬儀には故人と私たちを繋ぐ深い意味が込められていると花車住職は語ります。私たちは、死者を悼む儀式を遥か昔から行って参りました。縄文時代の遺跡からは墓地が見つかっており、古代から平安時代にかけての古墳や墓の壁面には、死後の世界が描かれていました。死者は生前と連続した死後の世界へと生まれ変わりを繰り返し、残された人たちと繋がってきたのです。
私たちは、そうして亡き人を悼み、来世での安穏を願い、今ある命に感謝し、残された生活の幸いを願う。それは、亡き人と私たち生者のこころが結びついていることを、遥か太古の昔から人々は感じ取っていたに違いありません。
浄土宗の葬儀
浄土宗では、臨終が迫った際、阿弥陀さまに極楽へのお迎えにきていただき(来迎引接らいこういんじょう)、葬儀では、亡き方に「引導」を授け、阿弥陀さまのお迎えを仰いで、極楽住生することを願います。引導とは人々を仏の道に導くことで、阿弥陀さまのもとでさとりへの道に導くのが浄土宗の引導です。葬儀のなかでも、引導はもっとも大切なものです。一方、生前親交のあった人たちとお別れするための式典を告別式と言います。
死は決して永遠の終わりではありません。極楽で見守り続けてくれている亡き人と、私たちが共に生き続けていくとともに、残された人々の悲しみを癒してくれる。それこそが葬儀本来の意味であり、その後の年回法要も、それを再確認するための大切な儀式なのです。
阿弥陀三尊(あみださんぞん)
阿弥陀如来と左右の観音・勢至の脇侍仏の三体
接引寺の御本尊、十三世紀前半の鎌倉時代に作られたものと見られています。像高137センチと、同時代の仏像としては県内最大、全体としてたくましく、力強さが感じられます。両目の見開きが大きいのが特徴的です。
本尊 阿弥陀如来座像 【県指定文化財】
左:勢至菩薩(せいしぼさつ) 右:観音菩薩(かんのんぼさつ)
【市指定文化財】
浄土宗 助雲山 松岡院 接引寺
(じょうんざん しょうこういん しょういんじ)
場所/ 新庄市下金沢町8-5
電話/ 0233-22-3174
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