新たな時代を担う寺 八向山 積雲寺 1/2
積雲寺の住職として
曹洞宗八向山積雲寺は、天正六年(一五七八年)、会林寺三世秀山宗建大和尚が開山された四百数十年の歴史を持つ古寺です。宝暦九年と嘉永二年と二度の火災にあうものの、それから仮本堂で百四十数年、長きに渡る本堂落慶の願いの末、平成六年新本堂が建立されました。
積雲寺の境内には、新庄市指定文化財に指定されている「閻魔堂(旧観音堂)」や、松尾芭蕉の足跡を訪ねた俳人・歌人の正岡子規歌碑が建てられています。
令和四年十一月、晋山結制を終え住職となられました小笠原住職にお気持ちを伺いました。
小笠原住職:私の師匠である父英俊(えいしゅん)師が令和三年三月二十七日に逝去して一年九ヶ月が過ぎようとしております。物事はすべて諸行無常であり、いつどのように亡くなるか人が決められるものではないとよく言いますが、師匠の早い逝去には言葉にできない悲しみと困惑を隠せませんでした。そんな準備もままならぬ中、密葬から今回の本葬晋山結制を執り行うことができましたのは偏に法類をはじめとするご寺院様、檀信徒の皆様方のご尽力によるものと痛感し、ただただ感謝を申し上げるばかりであります。師匠が私につけた僧侶としての名は智眼昂永(ちげんこうえい)というものですが、まだ住職としての一歩を踏み出したばかりでまだまだ無知無学な部分が多くあります。様々な事柄を見て学び知識として得て積雲寺廿世(にじっせ)としてふさわしい者となれるよう精進する所存です。
松尾芭蕉の足跡を訪ねた正岡子規
正岡子規は明治26年(1893年)に松尾芭蕉の足跡を訪ねる旅に出て、同年8月に本合海に到着、歌を詠んだと伝えられています。
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