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【短編小説】#002:モザイク ― Episode5[最終話]:遥遠(ようえん)

★短編小説 #002:モザイク ☆もくじ (全5話)

・Episode1 : プロローグ
・Episode2 : 薄片(はくへん)
・Episode3 : 余光 (よこう)
・Episode4 : 残響(ざんきょう)
・Episode5 : 遥遠(ようえん):←いまココ(最終話)

*バックナンバー*
#001 : グッバイ!タモリ倶楽部

Story

植田美乃里様

突然の私からの手紙にきっと驚くと思います。高校を卒業してから3年が過ぎちゃうから私のことを忘れられないうちに会いたいのだけれど、体調的な事情があって直接伝えることができないので…手紙を書こうと思い立ちました。

もしかしたら、あなたは私のことを忘れちゃっているかもしれないね。それはそれでいい!前に向いて進んでいるってことだから。
私はいま、後ろばかりを見て過ごしています。過去を懐かしみ、楽しかった思い出に浸らないと生きていけない状況です。そういうケースもあるということで…。

私は物心がついたころから、家族からの期待をずっと感じながら過ごしてきました。その期待を不快に感じたことは無かったし、どちらかといえば期待に応えられる自分に自信を持てていたし、喜びすら感じていました。
高校に入ると将来が決まる大学受験のことで私の頭はいっぱいで、部活動は入らずに友達との楽しい思い出もほとんどないまま、とりあえず医師になるという目標に向かって生きていた気がします。そんな私の狭くて窮屈な心に風穴を開けてくれたのがあなた…美乃里です。

あなたのことを知ったのは、高校2年生になってすぐのことです。違うクラスなのに休み時間によく私のクラスに来ていたよね。静かで目立たず教室の隅にいる私にも気軽に声をかけてくれたのには驚きました(あなたはぜんぜん覚えてないでしょう)。私は、自分の対極にいる人に興味があったのかもしれない(ゴメン!)。仲良くなりたい気持ちでいっぱいだったけれど、引っ込み思案の私にとってあなたと近づくためのハードルがとても高かった。いつも友達に囲まれて楽しそうにしているあなたに私が入っていくタイミングはなかなかなかったの。でも、3年になって同じクラスになって、2学期の後半に隣の席になった時は、私の希望が叶えられたと思って嬉しかった。
隣の席になれたのだから早々に話しかけて仲良くなりたかったのに、あなたは授業中に居眠りばかりしちゃうし、休み時間なると友達がやってきてすぐにどこか行っちゃうし、ときどき声をかけてくれても、私が身構えちゃって話が続かなかったりして、じっくり話すチャンスがなかなかなかった。

でも、あの日、英語の自習の日、珍しく居眠りをしないあなたが「柳井さんはなんで学校に来ているの?」と聞いてくれた時は、仲良くなれる絶好のチャンスだと思ったの。

当時の私は、自宅にいるとなぜか息苦しくてどうしようもなくて…。そこから逃れるために学校に来ていました。学校に来ると、あなたの屈託のない笑顔と笑い声に心からホッとしました。
あの英語の自習の時、あなたに思い切って自分のことを話したら、心の中に積み上げていたなんともいえない苦しい重石がひとつひとつ取り除かれたような感覚になりました。
その時、私は自分でプレッシャーをかけていることに気づいたの。周囲の期待、歓迎、私を認めてくれるという確信…それらすべてを、自分で勝手に「優秀である子」であることと決めつけて、懸命になっていたのです。

あなたのなーんにも考えてない(ゴメン!本当はそんなことはないよね)まっさらでストレートな性格と、何を言っても大丈夫な気がする空気が、あの時の私を救ってくれたのです。

あの日以来、私はだいぶ開き直ることができて、肩の力が抜けた気がします。(でも、そのせいで浪人しちゃった)
浪人生活はもちろん大変だったけれど、ずーっと抱えていた暗くて重い自己暗示からは解放されたので、前向きに頑張れたと思います。志望校に合格した時は、本当に嬉しかった!

…けれど、長い間の無理が祟ったのかな。予後が芳しくない進行性の病気に罹ってしまって夢半ばにして敗退…というところです。

人と接するのが苦手で、誰からも忘れられてしまうような私が、高校3年の時に初めて自分の家族のことや気持ちを素直に話すことができたあなたとの、あの短い時間で、わたしというちっぽけな人間が大きく救われたっていうことを、どうしても伝えたかったの。
いつも、たくさんの友達に囲まれているあなたは全く気づかなかったでしょう。でも、こういう人物もいたということを忘れないでいて欲しくて、図々しくも手紙を書いたわけです(許してね)。

本当は直接会いたかったなぁ…。それが唯一の心残りです。
ひと皮もふた皮も剥けた私に再会して驚いて欲しかったなぁ…。それだけが悔しい。
短い大学生活だったけど、私になりに存分に楽しみました。時々、引っ込み思案で人見知りの私が出そうになったときは、あなたになりきるように心がけてみたの。おかげで、明るく!楽しく!毎日を送ることが出来ました。そういう意味でも…ありがとう!!

この手紙は、私の日記に挟んでおきます。いつかの日に、あなたに読まれることを願って…。

思い出に浸りながら、ベッドの上で手紙を書く柳井加奈子より

***

「ごめんね。ごめんなさい。」
涙が手紙の上にポタリと落ち、加奈子の名前が滲んで消えそうになって、慌ててテーブルの上のティッシュを取って拭いた。

高校卒業から3年目のカナコに、35年後の私が、今、再会したのだ。埋められない時間と大きな罪悪感をどう処理したらいいのだろう…。

カナコ…ごめんなさい。
すっかり忘れていたの。
あなたの名前も顔も…すぐに思い出せなかった。
…忘れてしまっていたの。
ごめんなさい!!

心の中で何度も謝りながら手紙を両手で包み、胸に当てた。


自宅に戻った翌週末、カナコの墓参りに行くことにした。
私の自宅からはそう遠くないところにあるこのあたりではいちばん大きいこの寺のことは、日ごろから付近の道を通る機会があるので知っていたが、今まで境内に入ったことはなかった。案内板表示に従って、自家用車で総門をくぐると左手に大きなイチョウの木の横に駐車場があった。

寺務所でカナコの家の墓の場所を聞き、墓地の奥へ向かった。
墓の場所は住所のような番号が付けられているので分かりやすい。寺務所で聞いた番地には立派な薄桃色の万成石に『柳井家』と書かれた墓があり、側面に立つ墓誌にカナコの名前と没年月日が彫られているのを確認した。

私は墓石を丁寧に拭き、持参した花と線香をたむけた。

「カナコ、久しぶりだね。会うのがホントに遅くなってゴメンね」
鞄からカナコからもらった手紙を取り出し、いちど、墓前に置いた。
「今ごろ何しに来た?って言われちゃうね。…もしからしたら、カナコのほうが私のことをもう忘れちゃっているかもしれないね…。」
手を合わせながら目を閉じて、私は心の中を真っ白にして彼女からの返事を待った。

・・・どれだけ時間が経っただろう。
カナコからはなにも返ってこなかった。静寂の中でゆるやかな風が頬をつたう。
そっと目を開けると、ユリの花に大きな真っ黒い蝶が止まっていた。
「あっ…。」
思わず声を出すと、蝶は花から飛び立って墓石の周りを舞うように飛んだ。

***

誰もが今を生きている。上書きを続ける生活の中で、過ぎた過去の記憶はどんどん遠のいて消えていく。
消えていくといっても完全になくなるわけではない。今の景色を捉えるのが精いっぱいなだけだ。
私は今まで夢中で生きてきて、カナコのことだけでなく高校生活のことすらすっかり忘れていた。35年以上も経ったのだ。消えていて当然だ。

でも私は、遠のいてこそ思いが強くなることを知った。その濃度の差は残酷ではあるが、淡々と時は流れていく。

遠い遠い昔の話だと懐かしむ私と、あの時のまま時間が止まっているカナコ。
大きくすれ違い、私は途中ですっかり見失ったが、共に過ごした時間は確かに在った。

当時から、私はそれほどカナコに思い入れがあったわけではない。仲がいい友達は他にもたくさんいたし、あいさつ程度であれば、数え切れないほどの知り合いがいた。その中で、カナコはたまたま隣の席に座っていた大人しくて優秀な子、それだけだった。

でも、カナコは違った。彼女の人生の最も肝心な時期に、私宛へ手紙を書くほど、私との記憶を大切にしてくれていた。しかも、その思いは35年の時を経てやっと私に届いたのだ。

誰も他者の気持ちは測れない。思いの差は必ず生まれる。仕方のないことだ。見える世界は違うのだから。
カナコの思いのカケラを並べていったら、私にとって全く違う35年前の高校生活が見えてきた。すっかり忘れ去った中に、思いがけない世界があったことは、もし当時に戻ったとしても、私は結局見えなかったはずだ。

私が何気なく実家の片づけをしたからこそ、ふと見つけたサイン帳からカナコと再会することができたのだ。カナコの思いは35年以上の時を経て繋がり、私の過去に…高校時代に、カナコの存在が強烈に残ることになった。
思念は消えることはない。

墓石の周りを飛び回る蝶に、
「カナコ、ありがとう。」
そう言うと、ヒラヒラと風に乗って遠くへ飛んで行った。

(了)

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