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言葉の盾

最近、いい意味でも良くない意味でも、「発達障がい」という言葉が馴染みつつある。
少し前の世の中から考えれば、誰もが暮らしやすい環境になってきたのだと思う。
だが、その反面、「発達障がい」という言葉だけが先走っていて、本当の意味を理解しないで使っている人が多いように感じる。

先日、友人2人とご飯を食べていたとき、ある人がこう言った。

『最近、言われたことすぐに忘れちゃうし、コミュニケーション取れないこと増えたんだよね〜 仕事溜まってるとすぐテンパっちゃう。障がいあるんじゃないかって思うんだよねww』

これを聞いた時、流せば良かったものの、自分自身が適応障害というのもありずっと引っ掛かりながら、食事が終わるのを待った。

言われたことをすぐに忘れるのが障がいなの?
コミュニケーション取れなくなるだけで障がいなの?
テンパるのも障がいになるの?

自分が理想とする生活や姿になれないと「障がい」という言葉を盾にする。
これはその人だけではなく、今まで私が関わってきた人の多くが口にしてきた武器の1つ。
私が適応障害になる前は、「障がい」というものが遠い存在に見えて自分には関係ないものだと思っていた。

だけど、適応障害になって気づいた。
「障がい」は何にも遠くない。
むしろ何よりも近い存在だと。

適応障害や双極性障害などストレスが原因で起こるもの、発達障害など予測しないで起こるもの。

どちらもなりたくてなっている訳ではない。

電車に乗ることが難しいから会社でやる仕事を家でやってもいいのだ。
閉鎖空間が苦手だから1時間に1回くらいその場から抜け出してもいいのだ。
食器とカトラリーが擦れる音が苦手だからレストランに行かなくてもコンビニでいいのだ。
大きい音が苦手だからノイズキャンセルのイヤホンをしていてもいいのだ。

私たちは何も悪くない。一生懸命生きている。今も頑張ってる。

こんなに頑張っているのに嫌味を言ってくる人も中にはいる。
そんな時は、自分が巨人になってその人を踏み潰そう。
心の中で思うのは自由だ。

本当に「障がい」について理解がある人は、きっと何も言わずに側で見守っていてくれる。
そんな人に出会えたらいいなぁ。


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