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【#2】昼はOL 夜はスナックでアルバイト

長い髪がお気にいり。顔をシートパックしながら、ドライヤーで髪を乾かす。胸元程あるロングヘアを手入れするのは面倒だけれど、せめて女性らしさを演出するために、髪を切らずに維持している。
特別な手入れをする時間まではないけれど、シャンプーとトリートメントは”美容院で使われるもの”と謳われているものをネット通販で選んでいる。

UnsplashのDevin Averyが撮影した写真

2杯目のブラックコーヒーが半分になった頃、化粧が終わる。
朝食の済んだ食器を洗いながら、2杯目のブラックコーヒーを淹れ、熱々をすすり、髪を乾かしながら一口、髪を巻き終わって一口。こんな調子で朝の準備をしながら、テーブルに置いたカップに何度も手が伸びる。すっかり熱は冷めるが、コーヒーのリセット感ある味に意味がある。”仕事へ向かう、スタートを切る” 萌花のブラックコーヒーにはそんな意味をもつ。

節約できるところは節約。
萌花は自分に言い聞かせるように、お弁当をランチバックに整える。といっても、冬はおにぎり二つと、スープが定番。今日は梅と、鮭。ステンレス製のランチジャーには、具沢山お味噌汁。そして、ステンレス製のボトルに、インスタントブラックコーヒーを注ぎ入れた。
欲を言えばキリのない世の中。いくらでもお金が必要。日常の便利さや、美しさを思う存分お金で買うことができたなら、どんなに満足するだろうか。でもせめて、少しでも多くそこにお金を回せたらと、工夫している。

UnsplashのOmid Arminが撮影した写真

今日は8時出勤。地下鉄を降り、オフィスまで5分のところ。同じようなコートの色、同じような鞄、同じような無表情の人に紛れ流されるように、オフィスへ向かう。エレベーターは、面白みもなく、萌花を5階まで運んでくれる。
「おはよう。早いね。」30分前に、同期の石川が既に仕事に就いていた。
「今日、販売ミーティングなんだよね。」
「そっか。あの新しいエクササイズDVDのやつだよね。」
「そうそう、うあぉ~、今度のヒットするといいんだけどねー。」
石川は、椅子の背もたれに寄りかかり、両腕を上げ伸びをする。一仕事したような息まじりの声がもれる。仕事への責任感があり、誰にでも気さくに笑って話せる彼は、社内でも人気があった。萌花も、同じ部署に配属されたときは、素直に嬉しかった。頼りになる存在で、仕事で助けられることも多くある。

昨日の数字を確認していると、アルバイトさんが続々と出勤してくる。「おはようございまーす。あ、たきちゃん、こっちの席座ってもらっていい?けいさん、たきちゃんの隣ね!」
出欠確認。萌花はマイボトルの蓋を開け、一口、ブラックコーヒーを飲んだ。熱が喉元を伝う。さあ、今日も始まる。

UnsplashのEduardo Alexandreが撮影した写真

回線を切るまで、コールセンターではオペレータの声が途切れることはない。
さ、帰ろう。
萌花はノー残業で、パソコンの電源を落とした。石川がカップのコーヒーを飲みながら、帰る萌花に話しかけてきた。
「お疲れ。榊、今度さ、同期の飲み会あるって。行くだろ?」
「そうなんだ。いいね。また予定固まったら教えて。」
「わかった。榊、参加な!」
少年のような笑顔を向け、親指を立てる。
「じゃ、お先、お疲れ様。」
社員証を首から外し、バックに入れながら、オフィスのドアを出た。

帰りの地下鉄も混んでいる。みんな働き者だよね、と心の中でつぶやきながら、いつものように、ガラス窓に映る自分の胸元を見つめる。
飲み会か・・・。
考えがよぎりながらも、自分を呼び戻す。携帯電話を取り出し、今夜の約束を確認する。19時、か。間に合いそう。萌花はラインで連絡を取った。

📱福田さん、こんばんは。このあと19時で大丈夫です。清ビル前で待ち合わせでいいですか?
📱凛華ちゃん、お疲れさまー。今日、間に合いそうなんだね。嬉しいな。清ビル前でいいよ。楽しみにしてるよ。
福田は、すぐ返信してきた。
📱はい、私も、福田さんとお会いできるの、楽しみです!ありがとうございます。

同伴約束がとれた。萌花は、聖子ママにラインで連絡を取った。ママから応援ラインが届く。GOOD!と親指を立てたサングラスをしたブサかわいらしい犬のスタンプとともに。萌花の口元が緩む。萌花は、帰宅し、急いでシャワーを浴び、化粧を直した。

UnsplashのKarly Jonesが撮影した写真

「凛華ちゃん、ごめんね!待たせたかな」
「いえ、今来たところですから、大丈夫です。今日はありがとうございます。」
「そう、よかった。じゃ、いこっか。」
「はい」
福田は、人懐っこい笑顔で、凛華の同意を確かめ、冬のネオン街を歩き始めた。

「凛華ちゃん、お刺身が好きって言ってたから」
福田は、マスターにお刺身漬けメニュー2種を頼んだ。
テカテカと光るお刺身たち。萌花の好き好む生モノ。
「おいしいです♡」
自然と、目元が優しくなる。
「マスター、俺もこれ、好きだよ」
福田が伝えると、マグロはだし醤油で、サーモンは塩とオリーブオイルで漬けにしたものなんだと、マスターが光栄と言わんばかりに自信に満ち満ち、話してくれた。
マスターは風変りで、自分の感性を活かした盛り付けをされる。お刺身を貝殻に盛り付けたことはオシャレの演出と受け取れたが、海藻をイメージするために、水槽に入れるプラスチック製の水草を貝殻の下に飾ってあった。恐らく100均ストアで買ったものだろうと思った。そのほかにも、海で拾った石なのか、買ったものなのか。不思議も漬け込まれた演出だった。お店の椅子や、テーブルクロスを見ても、お世辞にもセンスがあるとは言えないと萌花は思った。福田が面白い店を見つけたからと言っていた意味が分かった。

日本酒の一升瓶がビールケースの中に所狭しと並び合い、お店のおススメのようだった。仕事中の萌花は、レモンサワーを頼んだ。福田は、生ビールを。福田のグラスはあっという間に空になり、もう一杯注文した。マスターがサーバーから生ビールを準備しているとき、福田は、声を潜めて萌花に話しかけた。
「このセンス、独特じゃない?」
「ほんとですね!面白いです。でもマスターいい人そう!」
福田は、萌花が可愛らしく笑顔で話す顔を見て、満足そうにうなずいた。

お客様との同伴は、美味しくて、面白い、いろんなお店に出会える。そして、スナックでのアルバイトは、人生に刺激が生まれた。甘くて、グロテスク、時に刺々しい、そんな刺激。萌花は、少しだけ夜の凛華を生きていた。

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