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#Blacklivesmatter #BlackOutTuesday をシェアすることへの葛藤



黒人差別の問題。
皆様はどういったスタンスで向き合っているのでしょうか?

わたしには黒人の友人もいますし、
アメリカでヒスパニックが差別されている状況を目の当たりにすることもありました。

でも、今回のムーブメントに対して戸惑っています。
そんなわけで今の考えを整理しようと思います。

<(長い)前置き>

まずジョージ・フロイドさんの死、
これまでの理不尽な理由による黒人の方々の死、
構造的かつ無意識下に行われ続ける差別の数々  ・・・悲しすぎる

もちろんわたしには彼らの気持ちを代弁することはできません。

でも、人種差別に関わるわたしの経験を二つあげたいと思います。


①アメリカで感じた人種差別

黒人だけでなくアメリカ社会では人種による分断は間違いなく起こっています。
ここで、わたしが高校生の時にアメリカにホームステイしていた時の話をひとつ。
アメリカにはメキシコの方から移民がいますが、
合法的に来ていない人も多いことから彼らも人種差別の対象になっています。
ホームステイしていた家のお姉さんはシングルマザーでした。
彼女は白人でしたが娘さんの父親はヒスパニック系の方。
もちろん彼は合法的に働きに来ていたのですが、
働いていたところを解雇されてから職を見つけられず
そのせいで離婚してしまい、なかなか娘にも会えない状況でした。

家の人もヒスパニック系の人が出入りするのを快く思っていない様子で
彼が来てもウェルカムモードには見えませんでした。

今とりだたされているのは黒人への差別ですが、
それは氷山の一角で、ヒスパニック系、またアジア系への差別があるのは事実。

②私自身への人種差別

私もアメリカや複数の国々で人種差別を受けた経験があります。

小学生でアメリカにホームステイに行った時には、
見知らぬ男性に急に怒鳴りつけられたり中国語でまくしたてられたり・・

大学生でエチオピアに行った時には
「中国人****!」と言われ殺気を感じ、本当に怖い思いもしました。

つい最近も東ティモールでは
毎日のように「コロナコロナ」や中国人をからかう言葉を言われていました

残念ながら、そういった発言をしているracistsたちは悪気がなさそう。
まるで自分のテリトリーを侵してきたこちらが悪いとでも言わんばかりの態度。
(しかも面白半分で自分たちが差別をしている自覚はなさそう)

そして、辛いことに差別を受け続けるとそれが当たり前に感じてくるのです。
わたしも2か月間ずっと「コロナ」などと言われ続けると、
ムッとすることはあっても感情を抑えるようになっていました。

アメリカにいる黒人の方々は
何百年もの間、差別を受け続け、
しかも今回のような目に見える差別だけでなく構造的な差別も蔓延している中で
怒りや悲しみを抑えることが当たり前になっていたのではないでしょうか?

わたしには今回のデモは
そうした抑え込まれていた感情が爆発したように見えます。

人々が叫び、涙を流し、血を流し、、
こうした事態になるまで差別が横行してきた。

21世紀になって、globalizationがこれだけ進んで
なおかつアメリカという多民族国家にも関わらず
それが現実であることに胸をえぐられるような悲痛さを感じずにはいられません。

<(やっと)本題>

ですが、「デモに賛成!」と迂闊に主張することはできないし、
発信している日本人に対して違和感を感じるのです。
その理由は以下の通り。

①トランプ支持層の情報不足

今回のデモの背景には、二つの側面があります。
私たちは黒人側からのストーリーばかり見ていますが、
トランプ支持層にもストーリーがあるのです。

トランプの支持層は必ずしも元来のracist だけではありません。
彼らの特徴は白人の中でも経済的に豊かではない人々です。
多くは高卒など、学歴が高くなく日々の生活もやっと。
そんな中で移民難民が入ってきて彼らが自分たちの仕事を奪ったと感じているのです。
(無論、これも一側面に過ぎません。)

もし、彼らを批判するのであれば、その事情を知っておく必要がある。
でも彼らがどのように苦しんでいて、
世界的に見れば明らかに批判される対象であるトランプを支持しているのか、そういった情報はほとんど入ってきません。

SNSには多くの情報が溢れていますが、
双方向の情報がないままでは、「反差別」という名の下に
トランプ支持層を差別していることになってしまうのではないか。

そう思うのです。

② 日本人として、差別を批判することへの戸惑い


正直、今回のことで悲惨な映像を見て心を動かされた方は多いことと思います。
もちろん、発信だけでなく寄付や署名といった形で応援するのは自由ですし、良いとは思うのです。

でも、これは他国のことだから批判できるんじゃないの?と思うのです。
なぜなら、日本も構造的に人種差別をしているから。

例えば難民。
2018年の難民申請数は1万人を超えている。
対して入国管理局から難民と認められたのは40人ほど。(42人)
では、認められない人はどうするのか?
彼らの多くは、入管施設という日本にいる資格がない人々が入る施設に入ります。
そこはいわゆる「収容所」です。
ほとんどニュースにはなりませんが、
24時間監視カメラにさらされ、医療アクセスも悪く、少しでも問題を起こすと職員からの暴行を受け、それが度重なって骨折した者や自殺を図った者もいるそう。

また、それだけでなく
東南アジアやアフリカからの労働者が違法取引に巻き込まれることや
明らかに安い賃金で働かされていることなども珍しいことではありません。

個人レベルでも「〇〇人は〜」などと特定の人種へのステレオタイプを押し付けることも差別の一つです。きっとあなたの周りにもそういう人、たくさんいますよね。


そうした人種差別が特に問題視されていない日本社会が背景にありながらも
日本人の多くが「人種差別はだめ!」と主張することは
どうにも違和感があって仕方がないのです。


<結論>


じゃあどうするんだ?って話ですが
やはりこれを一時のムーブメントで終わらせないことだと思います。

こうした機会に「差別」について調べてみる。
こうしたデモに至ったアメリカの社会構造についても情報を集める。

そして、身近にある人種差別についても情報を集めて、それを当たり前に思わないこと。
差別への悲しみや怒りを忘れないでください。
その感情がいつか日本社会も変えることに繋がるから。

もちろん、私ももっともっと勉強します。
差別についてしっかり勉強しようと思ったら1日24時間は全然足りない。
でもしっかり知識をつけて、大学院では「差別をなくすための教育」を研究します。
その後もどういう形かはわからないけれど、差別問題には取り組み続けます。
青くさいけれど、そうした一人一人の小さな取り組みが社会を変えるのです。


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