歩きやすさについて雑記
えと、ぼくはまちを歩くのが好きで(大自然は後にとってある)よく色んな所へ散歩しに行くのだけど。信号機の音が鳴る所と鳴らない所があることに気づいて、のちにそれは地域住民の方々の同意の上で設置させてもらえている物である事を知ったんです。
良い悪いの議論にはしないでおきましょう。
スマートフォンの普及拡大、アプリ等の技術革新。視覚障害の方へのサポートとして信号機や自動車自転車の動きと連動させて携帯端末から音やバイブで本人に知らせる事も、今や技術的に可能なのではないかと思っています。当然予算の問題はありますが理想の一つとして考えていくこと自体は必要だと思います。
追記:用意された安全なルートを通らされる。管理(時代的に別の言葉に言い換えた方がいいのでしょうけど、気持ちを優先します)されて生きる。受けている恩恵。不自由の中の自由。
けれど、視覚障害の方がその徹底的に管理された点字ブロック等の配置によって安全なルートを通って外を出歩ける。彼らが一人自分の足で外を出歩ける喜びを得られるのは、そういった管理の行届いた設備が充実しているからでもあるのだと当たり前の事に気づきました。
点字ブロックの上を歩く。
点字ブロックの上に立つなよ。とか、優先席に座っちゃいかんとか言う人いるけど。まず優先席に関して言えば空いてる時にどこに座ろうが何の問題もない。優先席と普通の席に機能的違いがないのであれば障害者だって空いてる席に座ればいい。ただし、車椅子の方は専用の座席に固定させてもらって安全を確保しなければいけないのでそういった席は譲る。ぼくもなるべく高い位置にある席に座るようにはしていて。優先席に限らず必要な人に譲れる時には譲るようにしてます。
次に点字ブロック。この上を目を閉じて歩いてみた事があるのだけど…そのなんと心細く不安な事か。僕は点字を踏み外しても目を開けて見ることができるので大事には至らないけれど。これを目が開かず自分の足の感覚と杖のみでどこまでも移動しなければならないとなると…その不安は計り知れない。
こんな細いレーンの上だけを歩けってか?つってつい最近、政にキレた事もあったけど。予算の問題があるのと。何よりいま思うのは歩きやすい凹凸の少ない地面では、そのレーンに気づきにくくかえって安全を確保出来ないのではないかと思い至りました。
どこかではこういった議論はされてきたんだろうなと思いつつ一人でも思考していこうと思います。
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