「死」の近くにいよう、これからも。
「死ぬタイミングを逃し続けている」
脱衣所に向かいながらふと、感じた。
そして、そうだ、この気持ちすらも記事にしてしまえばいいや、って。
そうやって日々、死を考えることの何が、間違っているんだろう。間違ってないよな。
私は死を考え続けていたい。死の近くにいたいとすら思う。
死の近くにいるからこそ紡げる言葉があるし、分かる気持ちがあると信じている。間違っていてもいい。
だって死ぬんだもの、人は。生まれた目的は死ぬためじゃないのか。そうだよな。死ぬためだよな。それ以外に生まれてきた目的なんてあってたまるかよと思ってしまう今宵。
でも不思議。死にたいと思いながら確実に生きようとしているもの、私ってやつは。
入浴して排泄して服薬して。
それらはきっと、生きようとするやつの行為。「死にたい」とドストレートに書く人間がすることじゃないよな。ははっ。
いや、私は、死にたいわけじゃないのかも。そんな勇気は私にはないし。私は死に恐れを抱いていない。
だって死ぬ覚悟があるもの。覚悟があるから怖くない。
小3でいじめられて、死ぬ覚悟が出来たからね。
拝啓 同級生R、私に死ぬ覚悟をつくらせてくれてありがとう。そう思えば、あの時に味わった絶望も苦しさも、報われるかな。
いつだって思う。
いつになったら、
十段以上ある階段から「ここから飛び降りて、これは美咲の自殺の練習だから」そう笑いながら言い放ったR、そしてあの時飛ばなかった私を、私は許せるように、なるんだろうな。
あの時飛び降りていたら、私は死ねたかもしれないのに。
でも、母親と担任によって守られた命を、無下にしてはいけないなと思う。
結局さ、いくつになってもトラウマに囚われているよな、私ってやつは、と思う。馬鹿らしくて笑えてくる。
世間はもっと、凄惨なのに。
今日だって、隣の県で殺人と放火が起きた。
私が十年以上も前に受けた事は、ニュースにはならない。いや、もう時効かしら。所詮はその程度、かすり傷。いいよ別にそれで。
だからせめて、死の近くにいよう。
たゆたっていよう、これからも。