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苦を労う

知る必要ない苦労ってあるよね。

例えば今やっている、クラス委員の仕事。クラス全体に投げかけて意見出してもらって、クラス委員でそれを取りまとめて決定して…っていう過程。

この過程の中には、いくつもの関所が存在する。例えばアンケート調査をこの日までにお願いしますって、クラス全体に言った時、締め切りまでに全員が答えてくるなんてありえない。数人は当たり前のように、アンケートには未回答だし、「はい」も「いいえ」も言わずにどっちつかずな返答ばかりする人、見えないところで「これは嫌だあれは嫌だ」なんて、愚痴を言う人間もいて。

それを小耳にはさんだ時、怒りと呆れを通り越して、なぜか私は笑っていた。大学生のくせに、幼稚だなって。子どもだなって思って、一瞥した。簡単に言えば、馬鹿にしていた。

でもその人と同じ土俵に立っている時点で、私も低レベル。そういう人間もいるんだなって思って、そんなやつのことはスルーすればいい。その術を友達に教えてもらってからは、またひとつ強くなった。

ここ1.2週間は、心が大きく動くことが多かった。それも過半数は、自分と相手の、価値観に対する違いからくる、戸惑い。若しくは、そこからくる憤慨。心のもやもやが爆発して、ヘッドフォンをつけて、部屋でひとり、大音量で音楽を聴きながら、涙活のごとく大号泣をかました日もある。と言うか、ここ数日ずっとそうだった。

私ってこういうところある。無意識のうちに独りで勝手に抱え込んで、問題を意味もないのに、大きくしてしまうところ。インスタのお気に入り限定のストーリーに、匂わせの投稿をしてしまうところ。完全に幼い。かまってちゃんだろって。それを見て、察してくれた友達に言われた。溜め込まないでねって。これを言ってくれる人の存在は稀有だ、恐らく。感謝、本当に。同じ失敗は、二度しない。

傲慢な人間は、クラス委員がこんなに苦労していることを知らないし、知ろうともしないだろう。知る由もないか。私もわざわざ悲劇のヒロインになろうなんて思っていないし、こなすべきことをただ、淡々と取り組むだけ。

でも、周囲に対して、完璧な姿を演じなくなったのは、昨年と比べたら成長かな。心を開いている人にはちゃんと、しんどいって言えるようになったところは、紛れもなく成長したなって思う。そして周囲の人はそんな私に、頑張り過ぎないでね、話はいつでも聞くからねって言ってくれる。本当に周囲に恵まれている、今の私は。


一部の我儘人間なんて、心底どうでもいい。

私は今、私の周りに居るこの素敵な人達のことを、大切にしていく。


読んでくださってありがとうございます。

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