言葉の贈り物
こんにちは。今日は塩浦良太さん(以下:塩浦さん)のこちらの記事を引用して、記事を書かせていただきます。
この記事を拝読した後、私の頭にはある1曲が浮かんだ。それは、私の推しのアイドルグループ、日向坂46の楽曲「僕なんか」。
思い立ったら即実行がモットーの私は、早速LINEミュージックを開いて、その曲を流した。
こちらに動画を貼り付けておくので、もしよかったら、聴いてみてもらいたいです。
すると、今の私の心にすごく刺さったと言うか、ジーンとくるものがあった。
心の奥深くに歌詞が届いている、そんな感覚になった。
***
塩浦さんの記事は、まるで「私の心の内を代弁してくださっている」かのように、その時々の私の心に、いつもぴったりな言葉が紡がれている。
それはまるで、自分自身に宛てられた手紙のように、いつも大切に読ませていただいている。
塩浦さんからの言葉の贈り物を、私はいつも、楽しみにさせてもらっています。
そして、塩浦さんのこの記事の中で、私が特に共感した箇所があった。
それがこちらの部分。
なんか、この感覚が、すごく(分かるなあ)と思いました。自分も同じような感覚を何回も味わったことがあるからか、共感の嵐。
塩浦さんの言葉を借りれば、自分を守るための「自分なんか」って考えると、ダサいなって私も思うんです。
言わばそれって、「できなかった時の、自分自身への保険」ってことなのかなって。
そして、
ここの部分にも、深く共感した。きっと今の私も、同じようなことを思っているんだなあ~って。
「自分なんか」って思うことは、知らず知らずのうちに自己否定をしてしまっている、と私は思っていて。
順を追って言うと、こんな感じ。
「自分なんか」って思う
↓
自分自身を認められなくなる・否定してしまう
↓
それが循環して、自分で自分の価値を下げることにつながってしまう
こんな風に、私は思っている。
***
前述した、日向坂46の楽曲「僕なんか」では、歌詞の中で、主人公が何度も「僕なんか」と呟く。
それでも最後には、「『僕なんか』もう二度と言いたくない」と言って、前を向いて歩いていく。
私も、楽曲の主人公のように「自分なんか」って言うよりも、今の自分にできることを、無理のない程度に精一杯取り組んで、そんな自分のことが「大好き」って思えるような自分になろうと、気持ちを固めました。
***
塩浦さん。
今回は引用させていただき、ありがとうございました。
これからも記事を楽しみにしています。よろしくお願いします☺️
***
読んでくださってありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?