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言葉の贈り物

こんにちは。今日は塩浦良太さん(以下:塩浦さん)のこちらの記事を引用して、記事を書かせていただきます。

この記事を拝読した後、私の頭にはある1曲が浮かんだ。それは、私の推しのアイドルグループ、日向坂46の楽曲「僕なんか」。

思い立ったら即実行がモットーの私は、早速LINEミュージックを開いて、その曲を流した。

こちらに動画を貼り付けておくので、もしよかったら、聴いてみてもらいたいです。

すると、今の私の心にすごく刺さったと言うか、ジーンとくるものがあった。

心の奥深くに歌詞が届いている、そんな感覚になった。

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塩浦さんの記事は、まるで「私の心の内を代弁してくださっている」かのように、その時々の私の心に、いつもぴったりな言葉が紡がれている。

それはまるで、自分自身に宛てられた手紙のように、いつも大切に読ませていただいている。

塩浦さんからの言葉の贈り物を、私はいつも、楽しみにさせてもらっています。

そして、塩浦さんのこの記事の中で、私が特に共感した箇所があった。
それがこちらの部分。

「別に自分なんかその域に達していないんですよ~」と言葉にしておくことで、うまくいかなかったときに「ほらやっぱり」と自分で自分を守るための言い分だったんじゃないかって。

自分を守るための言葉の代表格が「自分なんか」なのかもしれない。

そう考えるとすっごくダサい。

なんか、この感覚が、すごく(分かるなあ)と思いました。自分も同じような感覚を何回も味わったことがあるからか、共感の嵐。

塩浦さんの言葉を借りれば、自分を守るための「自分なんか」って考えると、ダサいなって私も思うんです。

言わばそれって、「できなかった時の、自分自身への保険」ってことなのかなって。

そして、

自分で自分の価値を下げるなんてダサいことはしたくないな、って今の自分は思う。

「自分なんか」と言うくらいだったら、それに見合うだけのことをしてそれで真正面からぶつかっていって、それでだめなら「ダメでしたー!」の方がよっぽどいい。

ここの部分にも、深く共感した。きっと今の私も、同じようなことを思っているんだなあ~って。

「自分なんか」って思うことは、知らず知らずのうちに自己否定をしてしまっている、と私は思っていて。

順を追って言うと、こんな感じ。


「自分なんか」って思う

自分自身を認められなくなる・否定してしまう

それが循環して、自分で自分の価値を下げることにつながってしまう


こんな風に、私は思っている。

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前述した、日向坂46の楽曲「僕なんか」では、歌詞の中で、主人公が何度も「僕なんか」と呟く。

それでも最後には、「『僕なんか』もう二度と言いたくない」と言って、前を向いて歩いていく。

私も、楽曲の主人公のように「自分なんか」って言うよりも、今の自分にできることを、無理のない程度に精一杯取り組んで、そんな自分のことが「大好き」って思えるような自分になろうと、気持ちを固めました。

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塩浦さん。
今回は引用させていただき、ありがとうございました。
これからも記事を楽しみにしています。よろしくお願いします☺️

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読んでくださってありがとうございます。

また飲みたいなあ、タリーズのハニーミルクラテ。これ飲みながら書くと、執筆が捗るんです…!