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人は人を傷付けないと、生きていけないのかもしれない。それでも、私は人を傷付けたくはない。

人は人のことを傷付けないと、生きていけないのかもしれない。じゃあ、無意識のうちに人のことを傷付けるのと、意図して悪意があって人のことを傷付けるのと、どっちが罪として重いのかな。住野よるさんの「青くて痛くて脆い」を6年越しに読み返して、ふと考えたこと。

最初に読んだのは16歳、高校生の頃。読み終えた時、私は大学生同士の色恋沙汰の話なのかなって思っていた。

でも22歳になって読み返した今日、恋愛には全く焦点が当たらなかった。代わりに、人は人のことをどうしても傷付け合ってしまうんだと、どうしようもなく悟った瞬間があった。

自分が正しくて、相手は間違っている。だから、正しいことを教えてあげなくちゃと、導いてあげようとする。そこに価値を見出して、どうしようもなく真っ直ぐ、それが自分にとっての絶対的な正義だと、どこまでも信じている。端的に言えばそういう時、人は盲目で純粋であるがゆえに、することが残酷なんだと思う。

冒頭の問いに戻る。

ならば、同じ「人を傷付ける」ことに対して、重さってあるのかな。純粋だからって残酷なこと、何をしても許されるのかな。極論、少年法とかの話に抵触する気がする。子どもだからって、何しても許されるわけではない、みたいな。

意図せずとも人を傷付けてしまうと知ったからこそ、私は今回の読書を通じて、自分の言動を内省するきっかけになった。だってやっぱり、それでもできることなら、私は人を傷付けたく無いもの。

私も大学生時代、自分の言動がきっかけで、結果として、大切な人を傷付けたことがあるから。当時、相手に距離を置きたいと言わせてしまったのは、間違いなく、私の言動が原因。

それを思い出しては、私はやっちまったんだよなと、もう幾度目か分からないくらいには、また胸が痛くなった。まだ数か月前のことで、傷が癒え切っていないのかも。

ちゃんと謝りたい。

だけど、それで?とも思う。謝ったとして、私がまたその子と、もとの距離感に戻れるのかも分からない。拒絶されるのかもしれない、傷付くだけかもしれないし、また傷付けてしまうかもしれない。

だけど、それでもいいや。今はそう思える。

「青くて痛くて脆い」を読んで、私は来月その子の誕生日にLINEをして、その時に、おめでとうとごめんねを言おうと、心に決めた。

何度でも、傷付きに行けばいい。



読んでくださってありがとうございます。

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