◇誰かにとってのやさしさは、誰かにとってのつらさである。#223
やさしさって難しい。
たとえば、良かれと思ってやったことが
相手にとってはお節介に感じてしまったり
不快に感じてしまったりするし
相手のためを考えてした行動が
返って相手を怒らせてしまう行動になったり
一見「やさしさ」から生れた行動が
相手にとっては「つらさ」になってしまう。
私も良かれと思って行った行動が
相手にとっては不快だったらしく
キレられたことがある。
最初はキレられた意味がわからなかったが
後々自分の行いを振り返ってみたら
私が行った行動は相手にとっては
「やさしさ」ではなく「つらさ」だったことに気付いた。
優しいかどうかなんて
行動した方が決めることではなくて
受け取る方が決めることだから
相手が優しいと捉えれば
それは優しい行いになるし
相手が不快と捉えれば
それは不快な行いになる。
だから、
いくら自分が優しさだと思ってした行動も
相手が不快だと思っていたら
それは優しさではなくて不快になってしまうのだ。
もしかしたら、
「やさしさ」と「つらさ」は紙一重なのかもしれない。
きっと何事も受け取り手次第なのだろう。
起こる出来事には何も色がついていなくて
そこに色を付けるのは受け取った私たち。
受け取り手が「やさしさ」をたくさん知っていれば
より多くの行いが「やさしさ」になるが
あまり「やさしさ」を知らない人だったら
多くの行いが「つらさ」になってしまう。
人の人生はコントロール出来ないから
もっと「やさしさ」をしった方がいい!なんて言えないから
自分だけでも「やさしさ」を
ひとつでも多く知っていくことで
より多くの「やさしさ」を受け取って行けるのだろう。
この世界にはたくさんの「やさしさ」で溢れている。
それを受け取れるか、受け取らないかは
これまた自分次第なのだ。
より多くのことを知っていればいるほど
やはり受け取れるものは大きくなるため
日々いろいろ学び勉強することは
どんな物事においても大切なのだ。
日頃からたくさんの「やさしさ」を
受け取れるように準備をしておこう。
きっとその準備はいつか誰かの「やさしさ」を
受け取る器に変わるから。
人生って答えがないから難しい。
だから目の前の相手と向き合うことが大切で
時には失敗して悩みながら
一歩一歩前に進んで
間違っていない方向へ進んでいく。
それでいいし、それがいいんだ。
私にとっての「やさしさ」は
きっと誰かにとっての「つらさ」だし
誰かにとっての「やさしさ」は
きっと私にとっての「つらさ」だ。
「つらさ」よりも「やさしさ」を知れる
そんな世界で私は生きていたい。
サポートありがとうございます♡励みになります(*^^*) 頂いたサポート代は本の購入に使わせていただき またよりいい文章を書いて還元させていただきます♡