出産中に快感が⁉︎【本当にあった気持ちいいエクスタ産について】参考書画像付
「鼻からスイカ」とはよく言ったもので、少女時代にその表現を知ったときは「そんなムチャな話が…」と絶句した記憶があります。
私自身も約3キロのスイカとして母から出てきた過去を持ちながら、その時の(おそらく壮絶な)記憶はすっぱりどこかへ行ってしまいました。
出産とは、本当に不思議なもの。
全ての人は等しくそこから始まっているのだと思うと、それぞれの誕生の瞬間に拍手を送りたいし、全ての母(とその家族)にとってのドラマがあったのだろうなぁと感じ入ってしまいます。
ひとたびママが集まって妊娠〜出産の話を始めれば、何時間でも盛り上がれる。気がする。
そんな妊娠・出産話に色々感じるところはありますが、ちょっと不思議だった2人目の時のことを書きたいと思います。
そして結構恥ずかしい内容なんだけれども……もしかしから他にも「出産が気持ちよかった」人が居ないかな〜と、思い切って出してみます。
自然分娩の痛みが快感に変わる⁉︎2人目出産のあらまし
1人目の男の子を出産した時は、比較的普通のお産でした。母子手帳の分娩時間は17時間30分と書いてあり、予定日3日前の朝におしるしがきてその日の午後に息子と対面。
この息子を妊娠中、逆子だった時にも不思議な話があったのだけれど、それはまた別の機会に。
そして2人目の女の子。
「2人目は早く出てくる〜」
という話を鵜呑みにしていたけれども、予定日になっても全く兆候がなく、じりじりとよくわからない不安に苛まれ、重たい身体に気持ちも重くなりつつあり、5日超過したのちにやっと出会うことができました。
予定日は超過したものの、娘は病院に到着してから2時間後に生まれ、そのスピードに驚かされました。
娘が生まれる日の朝、少量の出血があり「おしるしだ!」と喜んだものの夕方まで軽い鈍痛が続くばかりで強まる気配もなく「また今日も会えないのか…」と思いかけた頃、夕方16時過ぎに痛みが大きくなりました。
きたきたー!
と内心喜びながらも痛みは容赦なく。
里帰り出産で2歳になる息子と実家で過ごしておりましたが、両親とも働いており日中は不在。息子と2人で遊びながら合間に「いたたたた…」とうずくまる感じでした。
息子の出産の際、学んだことがあったので
次生む時には絶対こうしよう!と決めていたことがあります。(日記に赤ペンで書いてあった。笑)
それは「痛みに抗わない」こと。
1人目も自然分娩で産んだのですが、
陣痛があまりに痛すぎたので2人目は無痛分娩がいいな…と思っていました。
でも産んだら痛みって忘れちゃうんですよね!笑
そしてまんまと(?)そのまま2人目も自然分娩の病院をチョイスし、陣痛が始まってから「そういえばめちゃ痛いんやったーーーー」と思い出し震える。笑
そんな1人目の出産時に感じたのは
痛みに反抗しないほうがお産が進む
ということ。
されるがまま〜
なすがまま〜
痛いけど痛いまま〜
とはいいつつ、やっぱり痛いのですが。
これはイチ主婦&元妊婦の感想として受け取っていただきたい話です。
陣痛は、
赤ちゃんが外に出てくるためのエネルギー。
痛いのにも理由があるんですね。
陣痛には、波があります。
本で読んだところによると
痛みの波は長くて50秒。
そしてその間が1時間、30分、15分、10分、7分、5分、3分、2分、1分…とどんどん短くなって行きます。
痛くない時には、しっかり呼吸をして
赤ちゃんに酸素を届けてあげると良いそうです。(その呼吸法なども色々あります)
そして痛い時には……痛いです。
どれぐらい痛いのかというと、お腹をロードローラーで轢かれるとか、腰をバットで全力でぶたれるとか、、、私的には50秒間の大規模突貫工事ー!という感じでした。ドドドドドガガガガガっていう空耳が聞こえるような。
この波を繰り返すことで
お母さんの骨盤を広げ、骨格を大きく変えて
直径約10センチはある頭が身体の中から出てくるのです。
子宮口全開は約10センチ!
この10センチ開くまでの道のりが人によってはとっても辛く痛く長いこともあります。
すごいですよね。
鼻で想像してみると、軟骨ではありますが
筋肉の収縮によって
自然に鼻の骨格を広げて行き
10センチまで広げる…。
…広がりましたか⁉︎ 鼻の穴全開!笑
苦労して全開した後、
さらにそこから赤ちゃんが出てきます。
1人目で学んだ「痛みに抗わない」戦法で
2人目の陣痛は7分間隔で病院に到着したのち
あれよあれよというまに3分間隔になり、
すごい早さで痛みが増しました。
夕方18時に病院に着いて
「さあこれから長い夜がはじまるでぇ…」
と母と息子と痛みの合間におにぎりを食べたりしていたのですが(なんならカロリーメイトも食べた)
19:30くらいに喋れないほど痛くなってきたあたりで助産師さんから「分娩台行きましょか〜」とお声が。
「えっもう?」と思いながらも痛くて喋れず、言われるままにまな板、じゃなかった分娩台に震える足でよじ登る私。
そして20:10過ぎに娘が爆誕しました。
病院の階段を駆け上りながら産声を聞いた夫。惜しかった。
快感だったのは娘の頭か身体が出るときのことだったかな。。後述します。
具体的な「痛みに抗わない」方法
この戦法が快感に繋がったのかは謎ですが、
個人的に「もし次があればまたやろう」と思えた方法だったので残しておきます。
<妊娠中>
・お腹の赤ちゃんにたくさん話しかける
・赤ちゃんに出産の流れを説明する笑
(陣痛があって、頭を下にして、くるっと体を回転させるよ〜等)
・自分が安らげる香りを決めて陣痛バッグに入れておく
・呼吸が大事なので水とリップクリームも陣痛バッグに
※「陣痛バッグ」とは、陣痛の時に妊婦と一緒に病院に連れて行く持ち物をまとめたものであり、入院用の着替えはまた別途「入院バッグ」にまとめておき、後ほど家族に持ってきてもらうケースもある。
<陣痛中>
・自分の安らげる香りをハンカチなどにシュッとしておき、痛みの合間にスーハーする
・身体に聞いて、楽な姿勢を取る
(私は1人目は四つん這い、2人目の時は立ってテーブルに手をついて揺れてました笑)
・痛い時、「痛いね〜痛いね〜頑張ってるね〜」と自分と赤ちゃんに言う(言えない時は心の中で)「今回の(痛み)ヤバイね」と会話する感じ
★参考図書★
「ソフロロジー出産」の考え方が好きでよく読んでいました。あとは池川明先生の本など。
痛みの中に「気持ちいい瞬間」が訪れ衝撃
そしてソノ時のことなのですが…
助産師さんに促され分娩台に苦労して上がり、
子宮口7センチだったのがすぐ全開になり
「開いたからいきんでいこか〜!」
と言われてからでした。
立ち合うはずだった夫もまだ到着してないし心細いな、、、でももう赤ちゃん出てきたいみたいやしな、、、えーい産むしかない!
と覚悟を決め、それはもう気張りました。笑
私は普通の分娩台で上向きの姿勢で産んだので、いきむ時はおへそを見る感じで!と言われ必死。
陣痛の波に合わせて、もちろん痛い時に合わせて、
つまり痛い時にさらに力を込めて
赤ちゃんに最大限のエールを!!
と歯を食いしばりながら2、3回いきんだ後
「髪の毛見えてきたよ〜フサフサよ〜」
と助産師さんに言われた時
フッと"快感"に襲われました。
状況は変わらず、必死に呼吸して
痛みもすごくて歯を食いしばっている自分もいるのだけれど、別の(どこの?)自分が気持ち良さを感じていて、そのことに
「⁉︎」
となり、痛いのに気持ち良い、
いや、痛みは痛みとしてあって、また違うところに、でも同時に気持ち良さがあって、
ちょっと混乱しました。
「え⁉︎なんでいま気持ち良いの⁉︎」みたいな。笑
感覚でいうと、
気持ち良い、満ち満ちた、全能感、フリーダム的な。
そして娘の身体が全て出終わる頃には気持ち良さも消えてしまいました。(ほんとに数十秒間とかだったのかも)
その後子宮から胎盤が出るのですが、普通に激痛でした。でも赤ちゃんと対面出来たことが嬉しくてそのあたりの縫合などの痛みも記憶にありません。
産後も時々、あの感覚は何だったんだろう〜
と思っていましたが、ママ友に教えてもらったminmiさんの本にも同じことが書いてあり衝撃を受けました。
この絵本を読んで、「おおお〜!まさしく!!」と胸がいっぱいになりました。
もしかして、私が知らないだけで「気持ち良い出産」という話は意外とあるんじゃないの?と思ったのです。(もしご経験者等でしたらぜひコメントください)
産むのが痛いだけしゃなくて、気持ち良い(こともある)なんて知らなかったし、妊婦の時に知りたかった!事でした。
"出産=すごく痛い"という方程式しか知らなかったけれど、そうじゃない世界もあるのなら、そしてそれが"気持ちいい"のなら尚更もっと知りたいし、もし次があればやっぱり"気持ちいい"世界を垣間見たいと思います。
出産という命の行為
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回は一個人の体験だったのであまり参考にはならないかもしれませんが、快感出産ならぬエクスタ産という世界もあるのかな⁉︎という気持ちで書きました。
命を生み出す、というのはとても壮大で、
痛みの渦中にある時は、抗えないエネルギーに身を委ねるしかなく、自分も宇宙の一部だということを実感させられました。
もちろん自然分娩・経膣分娩が全てではなく、無痛分娩・帝王切開も等しく宇宙の一部として執り行われる命の行為だと思います。
そしてその主役である
赤ちゃんとお母さん。
すべての赤ちゃんとお母さんが
命のままに、命を感じて
ひとつになる出産ができますように。
出産はひとときで、
育児はずっと続いていくけれど、
お母さんの身体と心が覚えている出産は
決して色あせない輝きを母子の魂に刻んでくれると思います。
(母体についての話でしたので父が留守がちですがご了承ください)
最後に、余談です。
痛みを受け入れ、痛みと同化した先に「エクスタ産」があるのなら
痛みを受け入れた先に「エクスタ死」なるものがあるのですかね。
そう思うと、人生で色々と辛いこともありますが、その痛みの先に何か人智を超えたものがあったりするのかなあとぼんやりした午後でした。
ご覧いただきありがとうございました!
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