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母の一周忌

闘病中のこと、看取ったときのこと、その後の私の歩みについて書きました。

一昨年、母に癌が見つかりました。私は、妊娠5、6ヶ月ぐらいだったと思います。達真と母を会わせてあげられるのだろうか?なぜ、母なのか。夢なのでは、朝起きたら実は間違っていましたってならないかな。とその頃よく考えていました。

見つかった時には厳しい状況ではあったのですが、薬が上手く効いて希望もみえていました。その後、再発があり臍帯血移植をし寛解しましたが再発をしました。医師からはもう治療に耐えられない状態だと言われました。

宣告を受けた後、母は家で過ごしたいと言っていました。
5日ほどでしたが母と家で過ごせて良かったなと思います。

母が亡くなってからの一年は気持ちの浮き沈みがありました。今も完全に乗り越えられたわけではなく向き合いながら生きています。

学生の頃何のために勉強したのだろうか。もっと早く異変に気づいていたら、もっと色んなことを話したかったな、もっと育児のことを相談すれば良かったな、少ししか恩返しできていないなど。考えれば考えるほどもっとこうすればよかったと後悔もありますが活かそうと奮闘しています。

優しくて時に厳しく、子どもが大好きな保育士だった母。
母が一時退院している時に達真が生まれました。立ち会ってくれたその時の様子が動画に残っています。私の宝物です。

その後も一時退院の時は達真も新しいことができるようになっていました。彼なりに何かを感じていたのだろうと思います。
達真の成長をもっと見たかっただろうなと思います。
見てくれているかな?

生と死の受け取り直し

去年、達真が生まれた生と母が亡くなった死と両方を経験して、今まで特に考えることもせず適当に周りに身を任して生きてきたなと感じました。これから自分はどう生きればいいのだろうかと考えました。
生きていると、明日が来ること、5年、10年後も生きているだろうと当たり前に感じてしまいますが1日1日がどれだけ大切で明日を迎えられることが有難いことなのかを感じて生きていきたいと思います。

そして、26年ほどしか一緒に居れませんでしたが、母に出会えて良かったなと思っています。母方のおじいちゃんとおばあちゃんが出会っていなかったら、母と会うこともできなかったし、母と父が出会わなかったら私も生まれていなかったと思います。
ご縁に感謝です。

その後の私の歩み

達真を保育所に預けて復職するのか、何のために働くのか、育児や家事をするだけが私の人生なのか。私は何をやりたいのか。どう生きたいのか。を考えました。

育児中だから、ママだから、主婦だからと自分で制限をかけてあの人が言っていたからと他人の責任にするのではなく、誰かに依存することがなく、自分の人生なので自分の責任で自立して歩んで生きていきたいと思っています。

鍼灸師としても、人としてもまだまだなので日々実践しながら磨いていかないといけませんが、

まこと鍼灸院の想いでもある
未来のために頑張っている方や社会をよりよくするために頑張っている方の身体と心を全力でサポートしたいと思います。

身体や心に余裕が生まれることで将来世代のこと、環境のことなど色んなことを考えられるようになればと思っています。

そして、自分だけがプラスになるのではなく普段使っている鍼灸を沢山の人に知ってもらえるように活動したいと思います。


叶うとしたら
母と話をしたいです。
何を話したいかって思い浮かばないけど、たわいもない話しをしたい。夢でもいい。会いたいです。


最後に

母が家で過ごせるようにサポートしてくださった医療従事者の皆様、本当にありがとうございました。

普段より気にかけてくださったり、サポートしてくださっている皆様、本当にありがとうございます。

今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

母へ これからも見守っていて下さい。

合掌

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