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真実は、痛い。 2

世の中の思想を支配している人々、学者やメディアや聖職者やなんかは真実を隠すためにびっくりするほどの労力を費やす。うまくいってないのにすべてがうまくいっているふりをしたり、安全なのに危険にさらされているような気分にさせたり、悪いことしてないのに罪を犯しているように見せかけたり、キミの責任ではないのにキミのせいにしたりする。あるいは、真実を口にする人は、ある種のカルト指導者か、気取ったナルシストか、陰謀論者だ、悪魔の猿だと責め立てて、真実など存在しないふりをする。
 
自己はキミが変化することに耐えられないのだ。より広く、深く、敏感に変わろうとするプロセスを苦痛として認識する。自己はなんとかして苦痛に直面することを避け、ほんの少しの不快感でさえも意識から遠ざけようとする。
 
真実を聞くのは苦行である。ゆえに、この世界はなんとかしてキミの人生からその痛みを取り除こうとする。(見せかけの)快適、安心安全、娯楽なんかと引き換えにしてね。キミに真実を発見されては困る。
 
ワタシはキミに、快適、安心安全、娯楽なんて与えませんよ。ワタシの説法は苦行であると思っていただいて結構。ドアに小指をぶつけて、そのドアを責めるように、ワタシにブーブー文句を垂れることでしょう。
 
今からキミになぜそのような問題を抱えているのか、実のところ何が世界で起きているのか、どうしたら幸せになれるのか、どうしたら決断を下せるのか、どうしたら本当の自分を発見できるのか、とかなんとかを説明するつもりだ。しかし、キミのお気に召すかどうか。
 
なぜなら、それは真実。そして真実は痛みを伴うからだ。
 
キミにあれやこれや言うつもりはない。『べきだ』と言う言葉を使うかもしれないし、何か提案をするかもしれないけど、全体にわたって、アドバイスも意見もしなければ大した情報もない。ただ真実だけ。
 
真実であるがゆえに、痛みを避けたいニセモノ担当がキミにいちいち意見を言ってきたり、感情的になって、この猿の言ってることはカラッポだと言い聞かせるだろう。しまいにはイラついた顔して本をしまっちゃったり、もっともっとヒステリックになって言い訳を並べ立てたるかもしれない。
 
ニセモノ担当は聞きたくない故に、「なら証明しろ!」と同意しないか、「それ知ってるよ、前に聞いたことがある」といなすだろう。それが意見の正体、キミを真実から遮るためのもの。
 
真実に対して同意したりとか意見を言ったりとかできないよ!めちゃめちゃビックリしたことある?ワケもなく不思議な幸せがこみあげてきたことない?ものすごいストレスやとんでもない恐怖から解放されたことは?そういった驚きとか幸福感とか安堵感に対して意見を述べたりするかね?しないよね、ワタシのマッドリトルモンキーたちよ!キミがダイレクトに体験した、その瞬間の経験こそが真実だ。その後にその経験から生まれた意見を述べることはできる。真実の瞬間、例えば誰かに頭をなぐられた瞬間にキミの考えを述べたところであまり役には立たない。
 
ワタシは "猿神 "だ、よって、キミの意見なんて"生命 "がキミの意見を気にしない以上にどうでもよい。
 
例えば誰かがキミに「私の意見は私が存在していることです。」なんて言ったら、キミはどう思うだろう?もしくは「オレの持論はオレは空を飛べるんだということだぜ。」と言われたら、返す言葉に困るだろう。「僕はあなたを愛しているということが僕の見解なんだけど。」なんて言われたらどんな気持ちがするだろう?ステキ!なんて思うかい?

キミに憑依するオピニオン に続きます。
 
 
 

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