貨幣制度が国家の領土をを拡大させたのではないかという仮説

高校の頃、世界史の教科書では歴史に名を残した国家の領土が地図上に描かれていた。教科書に載るほど有名な国はその多くが現在の国々よりも巨大な領土を擁していたが、その中で個人的に特に印象に残っていたのがアッシリア帝国とアケメネス朝ペルシャである。

(アッシリア帝国)

アッシリアは今から約4000年前に建国された国で当初は規模の非常に小さな国であったが、紀元前800年頃から領土を大幅に拡大させ最盛期にはメソポタミア、シリア、エジプトにまたがる領土を獲得し史上初の帝国と呼ばれる国である。それまで地図上の僅かな面積しか塗られてない地図が続く中いきなりこの巨大な版図が示されたことは非常に印象深かった。

(アケメネス朝ペルシャ)

そしてアケメネス朝ペルシャは今から約2500年前ちょうどアッシリアが滅亡してから100年ほどで建国された国でアッシリアの最大版図が霞んでしまうほどの巨大な領土を擁した大帝国である。

しかしこの2つの帝国は非常に対象的なことがあった、それは存続期間の長さである。アッシリアは小国家であった時も含めると長い歴史を持つが各地を征服し始めてから僅か100年程度で滅亡し最大版図だった時期は一代限りである、一方アケメネス朝ペルシャは何度か内乱が起きながらもほぼ最盛期の巨大な領土を維持し続けたまま200年ほど続いた。教科書では両者の存続期間の差を両者の統治態度の差、すなわちアッシリアは過酷な統治でアケメネス朝は寛容な統治であったからだとしてたが時代が100年程度しか変わらない両者の領土の差を加味すると明らかにそれでは説明しきれない何かがあると私は思ったものだ。

つまりアッシリアからアケメネス朝までの100年間の間に国家が巨大であることを可能にする何かが誕生したのではないかということだ、そして先日私はこの何かがなんなのかようやく納得できる答えを獲得したので少し共有したいと考える。

通貨の誕生

アッシリアからアケメネス朝ペルシャまでの100年間で人類の歴史を変えたであろう出来事はほとんど起きなかった、唯一の例外と言えるのが貨幣の誕生であろう。貨幣はアッシリア滅亡後に台頭したリディア帝国で誕生した存在でリディアを征服したアケメネス朝はこれをさらに発展させ金貨と銀貨からなる貨幣制度を取り入れていた。

(アッシリア滅亡後のオリエント)

そしてこの貨幣こそがアッシリアとアケメネス朝の明暗を分けた存在なのではないかと私は考えたのだ。

尺度としての貨幣

貨幣、つまりお金の最大の利点は物の価値を測る尺度としてこれ以上ないほど便利なところだ。例えば自動車一台がイワシ何匹分に相当するのかを貨幣になしに算出しようとしても、そんなことができる人間はこの世に存在しないだろう。加えてイワシや自動車のようにまだ万人がその価値を認められるもの同士を比較するだけならともかくこれが例えば遊戯王のレアカードとゴッホのひまわりのように個々人によって価値が異なる物同士になればお金なしに比較することは神様でもない限り不可能だ。

しかし我々はどんなものでも市場価値に換算することで価値を比較することができる、つまり貨幣の画期的な点はこの世に実体として存在するありとあらゆるものの価値を比較できるということだ。ではもしこれが国家の統治に使われた場合どのような効果を引き起こすだろうか?

国家と税金

国家とは何か、古今東西ありとあらゆる哲学的な問いがなされてきたが近代以前の国家に限って言えば非常に単純なもので要するに一部の支配者のために税金を徴収する組織といっていいだろう。すなわち王や貴族、神官といった支配者階級が軍隊という暴力装置を使って従えた人々から税金を取る、これが近代以前の国家を簡単に表した物だ。なので領土とは税金を徴収できる土地であるわけだがそうなると当然税収の見込めない、つまり採算の合わない土地は領土に組み込まれない。これが前近代の国家の領域が歪な形をしている理由だ。

しかし逆に言えば何らかの時代の変化が起き税金の取れるようになれば国家の領土になる可能性が出てくるというわけだ、そして先ほど話した貨幣制度がこれと関わってくるのではないかというのが私の仮説である。

税金と貨幣

貨幣が登場するまで、そして貨幣が登場してからしばらくしても国家への税収は基本的に農作物などの実物で行われていた。しかしもし国家の領土が拡大した場合この実物による納税は価値の算出という点で大きな問題に直面してしまう、つまり納税された物が果たしてどれくらいの価値を持つのか客観的な価値判断ができないということだ。全く同じ物例えば米や小麦のみで税金を受けているならば税収をする上で問題ないが、例えば農作物は取れないが魚が豊富に取れる土地から徴税しようとした時に魚何匹分が穀物何キロに相当するかを判断するのは極めて難しいだろう。

当然領土が拡大すればそれだけ各地の名産に合わせて徴税を考えなければならなくなるわけだが、もし決定できたとしてもその基準が遠隔地の文化や地理に疎いものが決めた場合中央からしては相応の税金のつもりが向こうではとんでもない額であったという可能性も十分にありえそうなると国の統治をする上で厄介な問題になりかねないだろう。またそもそもの話ある地方では価値のあるものとして徴税したとして中央では全く価値のない物ならば徴税した意味がなくなってしまう。

しかしもし貨幣制度があればそんな問題は解決してしまう、貨幣を通じてあらゆるものの価値を比較できる上どんなものでも別なものに変換できるからだ。つまり貨幣制度の誕生によって国家はあらゆるものを税として徴収できるようになりそれが国家の領土を大幅に拡大させることを可能にしたのではないかということだ。

日本の場合

では最後に果たしてこの仮説が正しいのか我々の住む日本を例に見ていこう。日本で初めて発行された貨幣は683年に発行された富本銭だ、流通した貨幣の場合708年に発行された和同開珎とも言えるがともかく8世紀初めに貨幣制度ができといっていいだろう。

そして8世紀の日本、正確には大和朝廷は東北地方を征服し領土を拡大した時期である。鎌倉時代以降権力者の称号となった征夷大将軍は元々東北地方を征服する将軍に授けられたものだが、この原型となった初の称号が709年に創設された陸奥鎮東将軍であり以後坂上田村麻呂に代表される何名もの武将が東北地方征服を推し進めた。

8世紀以前東北地方が征服されなかったのはこの地域が寒冷で米が取れにくく採算が合わないためだが、別に8世紀から農業技術が進歩し米が取れるようになったわけではなく事実この地域では代わりに毛皮や昆布が税として徴収された。なぜ8世紀以降これらを税としてとっても採算が合うようになったのか、貨幣制度の有無はこれを説明するのに最も適した材料の一つと言えるのではないだろうか?

もちろんここまで私が考えた仮説はただの素人が趣味で考察したものであり学術的な裏どりはまだしてない、古代史の素人でも思いつくことなので恐らくこれに近い理論は発表されているだろう。しかし私は古代史に疎いのでこれに関連する学術書を調べるのが苦手だ、もしこの私の仮説まがいをちゃんとした文章にしてあるのをご存知ならばぜひ教えてくれることを切に望む。




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