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子育て大人育て。

少し遅刻気味で駅に向かい
そのタイミングで入ってきた
各駅停車の列車に乗った朝

特急に乗り換えられる駅で
途中下車し 先を急ぐことにした

乗り換えのホームに降り立ち
数分後にやってくる特急を待つ。

すぐに手持ち無沙汰になる私
そうだ
note読もう😊

カバンからスマホをとりだし
読み始める

と、しばらくして
同じく乗り換えのため
となりに並んだ若いお父さんと小さな男の子の声が聞こえた

「ゲームしたい」

まだ幼年期の小さな男の子の
かわいい よく通る声で、
まっすぐお父さんに伝えた

「ゲームしたい」

お父さんは子供のそばにしゃがみ込んで
「あとちょっとでくるからね」と
答える

「ゲームしたい」

男の子は
訴えをやめない

お父さんは
景色の話をしたり、子どもの体を触ってなだめたり
なんとかゲームから意識を遠ざけたい
けれども
お父さんが声をかけるたびに

「ゲームしたい」

をかぶせる男の子

そのうちに

「ゲームしたい」
「ゲームしたい」
「ゲームしたい」

連呼が始まった


しーんとした駅のホームでの
この出来事は
ともすれば、がまんしない
ワガママ男の子が騒ぎ出した
ともうつりかねなかった

「小さいうちから
ゲーム、ゲームと使い慣れてる子供だな…」

「子供がさわいでるな…」

「普段から触らせてるから
急に我慢させたって、無理に決まってる」

あるいは
「うるさいから
やらせてやればいいのに」
という意見も出かねない。。。
ような 空気


子育て経験者としては…
⚫︎お父さん、こまっているだろうなぁ
⚫︎周りのことも気にしているだろうなぁ
⚫︎せっかく外に来たのだから
ゲームをさせたくないだろうなぁ
⚫︎小さいうちから慣れてしまうと
目も心配だし、依存も心配だし
他のことで気を紛らわせたいだろうなぁ
などと、想像する。。。
同情する。。。

優しくよりそいながら
気を逸らそうと奮闘するお父さん
えらいなぁ

こーゆー時
親として結構困ったなあ
などと考えながら
私も 少し落ち着かない思いで
ふと周りを見た

すると気付く
大人はみんなスマホを触っている

この私も
たった数分、列車を待つ間も
手持ち無沙汰になり
すぐにスマホをさがして 取り出した

なにもせずに
外の風景を見て電車を待っている人を探す方が むしろ難しいほどだ



スマホをほとんどの人が持っている
この時代に生まれた子供は
そりゃ時には、親に触らせてもらっていて当たり前だろう。
ゲームもやらせてもらったんだろう。

大人が
ほんの少しの間を見つけては
調べたり、ゲームしたり、読んだりするスマホ。。。
それを この小さな子が我慢するなんて
できるわけない。

この子は素直に声に出してるだけ

ホームのみんなの姿を見て

自分も触りたくなったのは
ごく当たり前の流れ…

子供はよーく大人を見ている。



私は思った
「ここは…1番そばにいる大人として
お父さんに協力しよう。。」

noteを読みたい欲求をおさえ
スマホをカバンにしまった。
大袈裟だけど
「ええい、しまうかっ」とある種覚悟のような勢いが必要だった。
これも少々の依存なのか…

しばらくして偶然にも
私の隣に立っていた女性も
用が済んだからか
はたまた同じように感じたからか
真意はわかるわけもないけれど
スマホをカバンにしまった

そしてこれまた偶然にも
小さな男の子は
お父さんの頑張りの甲斐あって
「ゲームしたい」を言わなくなった。

そこに
周りの大人がスマホをしまう姿が
あの男の子に影響を与えたかどうかなど わからない。

おそらくは
訴え疲れと、お父さんの対応に
自分の中で諦めがついただけだ、と
思う。。。


でも私は
子供を育てるって
こういうことだなあと考える。

親だけでなくまわりの大人がその姿を見せること。
子供はみんなで育てる感覚。
それが子供に届いているか と
いうことよりも
自分ができてないことを
子どもにかせることはできないと大人が知ること…
自分がやってみると
子どもにとっても
難しいことかも と理解もできる。

大人が我慢する姿を見せることが
子どもにとっては
1番納得のいくことではないだろうか と。

大人ができないことを
子供にだけ教えようとしても
それはどだい無理な話に思える。

それでも 大人は完璧でなくとも
子育ての中で
「大切だと思うこと」を
純粋な子供のうちに
伝えていきたい気持ちがある と
いち母親として 思いながら
教育というものを考える。

それは親だけでできることではなく
周りの大人みんなが
影響を与える部分も多分にある。

しかることも
ほめることも
親はもちろんのこと、祖父母や親戚、近所の方や、学校の先生、
いろんなところで出会う大人に
してもらえることが
その子の成長に大きな影響を与えていくと思うけれども

大人が自分自身を律する姿や
人への優しさを見せる姿、
マナーを守る姿
それをやっている姿勢を
だまってみせることも
とても大切な事だと 思う。

子供のみならず
自分よりはるか年下の
若い世代の大人の姿を見て、ハッと我が身を振り返る瞬間がある。
そんなとき
また一つ自分に気付かされ
人間死ぬまで成長できる可能性がある
という言葉を思い出す。

小さな子供のさけぶ声、
それに向き合うお父さんの態度から
自分を振り返り
小さなことだけれども
自分を律することをしてみて
教えること
教わること
常に共にあることを感じた
ある日の朝でした。







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