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私が抱えていた人間問題

人が嫌い

私は、自己紹介でも書きましたが本当に人が苦手でした。人間関係で悩まなかったことなんてありませんでした。(それも今となってはいい思い出ですが(^_^;)💧)
家庭内では、親にも兄弟にも気を使い、特に親の顔色や声色はいつも気にして生きていました。兄弟に気を使うというより、親が兄弟と私をよく比較してくるので劣等感を常に持っていました。他の兄弟は特に運動神経が良くて運動会ではリレーの選手、マラソン大会やスキー大会では賞状やメダルを表彰台でもらい得意げでした。兄弟以外でも、私の周り特に近所の子ども達はスポーツ万能の子が多く、いつも比べられていました。「どうしていつも比べられるの!!!悔しいけど早く走れないもん(T_T)」と何処にぶつけていいかわからない苛立ちを持っていたけど気も弱く、周りに当たり散らす等もできず、次第に悔しさや苛立ち、劣等感や自己否定等の感情が心に生まれると無かったことにして蓋をするようになっていきました。
小学高学年で初めて同級生の女の子達に無視という形でイジメにあい、それを皮切りに成長と共に自分を表現すると目立つ事がわかってきてできなくなっていきました。
中学生の頃には転校を経験しましたが、家庭環境が悪すぎて、同級生との関係に執着しなかったのが幸いしてかイジメ等に合うことはありませんでしたが、自己表現は相変わらず苦手でした。

初めての精神疾患

この写真はイメージです!

アロマとの出会いでも書いたのですが、私は13年働いたスーパーマーケットを辞め、畑違いの介護の現場で事務員として働きはじめそこで適応障害になります。ただ、そこで発症したことに変わりはないのですが、私はその前のスーパーマーケットでも人間関係で悩んでいたし、その後の役場の日々雇用で相談員をしている時も悩みは人間関係でした。
もっと言えば、初めて就職した観光ホテルのフロント係時代も、相談員を辞めてから働いた100円ショップ(直営店)での時も、派遣登録して働いたいくつかの工場でも、どこに行ってもパワハラ、セクハラ、同僚からのイジメや無視こんな事ばかり。
適応障害で睡眠導入剤等いくつかの薬を服用するようになり、身体の倦怠感や頭痛や過呼吸等の発作で増々自分を責めるようになり重たいだけのコートを羽織ってジメっとした真っ暗なトンネルを出口も行き先もわからず歩いているような絶望感とやるせなさがいつも私の心の中を支配していました。
そしていつの間にか仕事に行けない日が増え、家の中でも1つの部屋にしかいられなくなっていきました。部屋を出ると「どうやったら死ねるのか?」ベランダを眺めたり、台所の洗剤を飲んだらしねるかな?と手にとっては置くを繰り返したり。いわゆる自殺願望が出始めていました。

家庭での原因

今も住む我が家

私がこうなってしまった原因に嫁ぎ先の事は無視できないのでここで書こうと思います。
私達は、きっと傍から見たらとても順風満帆で幸せそうに見える家庭です。実際に笑顔や笑い声の耐えない家庭でもあります。
でも、1つも問題のない家庭なんてありません。
私の主人は普段はとても穏やかで温厚です。でもお酒が大好きで、しかも酒癖が悪い。まず飲む時間が長すぎる。一緒に来た仲間が「帰ろう」と言っても聞かず呆れて私に連絡がきます。私が説得しようとすると「あと何分!」を繰り返し結局1時間は居座ることも…。いつも自分を押さえつけているので、酔うと急に気持ちが大きくなってあれもこれもと仲間にご馳走し始め散財したり、奢るのだから気持ちよく奢ればいいのに「あれもこれも残ってるから食べるまで帰らない」とか「持って帰る」とかわがまま言い出す。服を少しずつ脱ぎ始める等々。なるべく同じ飲み会には参加しないようにしても結局後片付けに私が行く事が多かったので精神的に負担でした。

更には、義理の父との関係もかなり歪でした。
結婚、出産を終えた次の年、農作業でビニールハウスを建てるお手伝いをしていた時に、急に私が両手が塞がって手も足も出ないことがわかると私の胸とお尻を交互に揉んできました。
その後も「おっぱいを飲ませる時は思い切り服を上に挙げないと子どもが可愛そうだ。」とか「みんなのいる前で飲めせたらいいのに!」と言ってきました。もっとひどいのは、家のお風呂はすりガラスで覆われており誰かが入浴していればシルエットでわかるはずなのに、私の入浴中だけ戸を開けてお風呂の様子を眺めてきました。それは、一度や二度ではなく何十年にも渡りました。
私は主人が自分の父親が男だったとわかったら、私を女として見ていると言う事がわかったらどう思うかと思ってなかなか言えずにいました。でも、その辺りから私が着替えするタイミングで、私達の部屋に入ってこようとするようになった事をキッカケに主人に話しましたが、やはり始めは私の被害者妄想くらいにか思っていなかったようです。
その時から、私は家で唯一鍵の付いたトイレでしか着替えることができなくなってしまいました。
他に、義理の父は、声の大変大きな人で、その声がいつも怒鳴られているようで怖くて怯えていました。少しでもその声が聞こえると、2階にいても下に降りて何でもいいから作業していたように思います。
それでなくても、家事、育児、嫁として妻として様々な役割をこなしながらこうした日常のストレスを抱え私は自分でも気づかないうちにどんどんどん壊れていきました。

そして今…

これまで私は、本当に人間関係で悩みの尽きない、苦しい日常でした。ただし、ここに書いた内容は、今から4年前のものです。今は、まだ家庭内に多少のこれとは違う問題がありますが、それも大したことではなくなりつつあります。
私が私自身と向き合い始めたことで、目の前にある物にも起こる事にも会って関わる方々にもすべて意味がありご縁だと思えると受け取り方が変わってきました。今後、私がどうやってその事と向き合いこの苦しかった生き方に変化が生まれたのか書いていきたいと思っています。
この長文をお読みいただけたことに心から感謝いたします。
ありがとうこざいました。(ᴗ̤ .̮ ᴗ̤  )₎₎ᵗᑋᵃᐢᵏ ᵞᵒᵘෆ


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