見出し画像

突然吹奏楽部の顧問になる(20)

 顧問3年目、吹奏楽は地方大会(8月)、合唱は全国大会(10月)まで進みました。長いシーズンでした。それは部員も同じで、特に3年生は大変です。なかなか引退できません。そのことに気をもむこともありました。しかし、その点は部員が考え、解決をしていきました。
 3年目の秋以降は、いろいろな歯車がかみ合い、多忙ではありますが、トラブルやストレスの少ない状況になっていました。

勉強との両立をどうするか?

 吹奏楽・合唱ともに、8月以降は、「文化祭」「吹奏楽祭・合唱祭」「地域イベントでの演奏(町のお祭り、特別支援学校や幼稚園との交流演奏会など)」があります。
 普段なら、コンクールは終わり、3年生は引退し、1~2年生による新体制で臨みます。しかし、まだコンクールは続いていますし、3年生は引退していません。
 そこで、吹奏楽も合唱も、「県大会」が終わった段階で、幹部交代をしました。運営を2年生にということです。また、1~2年生だけの練習日(つまり、コンクール以外の曲の練習日)を設定しました。その日、3年生は個人練習・もしくは個人勉強です。様子を見ていると、3年生は、昼休みに個々の練習ルーティンをして、放課後は受験勉強や課外講習に参加していました。
 また、1~2年生だけでサウンド作りをすることで、3年生も加わったコンクールメンバーのサウンドもよくなりました。循環が良くなると、何でもうまくいくものです。
 さらに、吹奏楽から合唱に参加していたメンバーが吹奏楽の練習に戻ってきました。1か月くらい楽器に触っていなかった者も多いです。「合唱に行くと楽器が下手になる」という懸念はありました。しかし、合唱で「正しい発声」を身に付けると、楽器の音もよくなるんですね。むしろ、うまくなった部員も多いです。そんなわけで、吹奏楽・合唱全員でのボイストレーニングを定期的に行うようにもなりました。合唱の指導をお願いしている音楽家のも大喜び。
 吹奏楽が、冬のアンサンブルコンテストで全国まで進めたのは、「歌う練習」の成果でもあったとは、部員の意見です。
 そんなこんなで、心配していた3年生の受験勉強の時間も確保できました。私は、指揮をしなくてよくなったので、授業・課外・担任業に専念できました。吹奏楽連盟事務局のお仕事は、部員が手伝ってくれるようになりました。新体制に「顧問秘書(事務局)」という役職が新設され、発送文書の封入などを手伝ってくれるようになりました。
 吹奏楽祭やアンサンブルコンテストでは、部員が「受付・場内・搬入口」の業務を担当し、某小学校の保護者が「ロビーにブルーシートを敷いて寛ぐ」「搬入口から客席に入ろうとする」ことを阻止してくれました。
 不思議なもので、高校生に言われると素直に従うそうです。

校歌の編曲を依頼する

 F高校は、来年創立110周年を迎える伝統校です。
 校歌はやや軍歌調。歌詞は3番まであります。ただ、元々は5番まであったそうです。2つ削除されたのは、その歌詞の内容があまりに「大日本帝国的」だったため、戦後カットになったという伝説が…。
 とても良い校歌ではあるのですが、何とかしたいね…という思いは、OBでもある合唱トレーナーも同じ。そこで、Sさんに編曲を依頼しました。
 ピアノ伴奏付きの混成3部合唱。これは、全校生徒でも歌えるバージョンで。そして、アカペラ混成4部合唱。これは、吹奏楽・合唱全員で練習して歌うバージョン。軍歌調のイメージを消し、校歌の音楽的良さをというリクエスト。もちろん、式典でも歌えるように。
 (軍歌調の良さは、応援団に任せます)
 Sさんに連絡すると、大喜びしてくれました。そして、
「昨年、(吹奏楽の強豪)高校からも同じような話があってね、それは、校歌をモチーフとした入学式・卒業式の式典音楽の委嘱だったの。その曲で卒業生が入場する感じ。その時は、サービスで校歌の合唱編曲を付けたけど、今回は逆にするよ」
「校歌の合唱編曲、承りました。謝礼も十分です。サービスで、校歌をモチーフとした吹奏楽曲を付けます。よかったら3月の卒業式で使って。」
 それは、まずいです。Sさんは、吹奏楽業界ではそろそろ知らない者はいないと言われる音楽家です。私がSさんに依頼できるのは、「高校時代市民オケで一緒だったという関係性」からであるのはそのとおりです。しかし、そういう関係性でお仕事をしてはもういけません。それは、まずい。ありがたけど、それはこちらが準備している編曲料の域を逸脱しているとも伝えました。すると…。
「地方大会で奇跡を見せてもらった。合唱も全国決めたと聞いた。この3年間、生徒さんがどんなに頑張ったかよく知っているつもり。これはご褒美、というか、僕からのお礼。お願いだから、F高校に一曲書かせて。」
 ことの顛末を事務長に報告しました。「校歌の編曲」については、著作権の確認が必要です。事務長は、校歌の合唱編曲に賛同を示し、著作権関係を調べ、問題なしと判断してくれました。それを受けて依頼したのです。
 Sさんが校歌をモチーフとした吹奏楽曲も書く、謝礼は不要と伝えてきたことについては、しばし黙り込みました。やがて、
「Sさんというのは、時々指導に来てくれる作曲家の方だよね」
「校歌の編曲・吹奏楽曲の委嘱については、創立110周年記念の事業として扱えないか、同窓会などと協議をしてみる。事業になれば、正規の金額をお支払いできる。金額はいくら?? あと、その演奏はいつ、どこで聞ける?」
 私は、相場なら「〇十万円」という金額と、「3月の卒業式、卒業生入場で初演予定」と伝えました。
 「事業として認められ、お金が出るのは年度末になるけど、だいじょうぶか?」
 「だいじょうぶです。お願いします。」
 年明けに曲が届きました。すばらしい曲でした。部員号泣です。

3月のいろいろ

 卒業式の始まりは、卒業生入場。ここで、校歌をモチーフとした式典音楽を演奏します。指揮は私。
 卒業生の入場は、各クラスの担任が先導するのが慣例。3年生の担任である私も普通なら先導。しかし、副担任に先導をお願いしてあります。もちろん、このことは総務部長に報告・承諾済。しかし、教頭先生ムッとしています。副担任が先導なんて聞いたことないとお怒り。
「もし、吹奏楽に副顧問がいれば指揮をお願いしますが、いないのです。幸い、クラスには副担任がいますから、先導をお願いできます。それが何か」
 こういう人事をしたのは教頭先生ですからね。

 卒業式の夜は、いわゆる「謝恩会」です。
 会の途中、さすがに疲れて会場外のロビーで休んでいると学校長が来ました。周囲に誰もいないのを確認して、小声でこんなことを告げます。
「君の異動希望は叶うと思う。異動先は、県庁所在地の高校だ。ひょっとすると引っ越しが必要かもしれない。奥さんに早く教えてあげなさい。栄転おめでとう。ただ、まだ誰にも言うな」
 卒業式の翌日、事務長に呼ばれました。来賓として卒業式に出席した同窓会長がとてもご機嫌で、校歌の編曲が創立110周年記念事業として認められたとのこと。編曲料も満額回答。よかった。

F高校吹奏楽・合唱部との最後は東京での演奏会でした

 3月下旬、東京での演奏会に出演します。3回目。
 今回は、吹奏楽・合唱で参加します。3月に卒業した部員も出たい…というので、総勢100人近く。さらに当日、作曲家Sさんの客演指揮という豪華版。
 元々、Sさんの曲を演奏予定でした。それを知ったSさんが「F高校と演奏したい。指揮したい。交通費のみでOK」と言い出したのは1月。校歌の新編曲の練習にお招きした時のこと。
 交通費って、演奏会場が都内ですから1000円もかかりません。
 そういう関係でお仕事してはだめだから…というと
「お前、これが最後の機会かもしれないだろ」と言います。目が笑っていません。この時、私は自分の異動について、Sさんにはまだ告げていません。しかし、芸術家というのは独特の感性を持っています。察しているようです。
「わかりました。お願いします。基本料金は1000円。あとは、インセンティブでいいですか」
「それでOK」
 というわけで、首都圏の吹奏楽強豪校や、淀工の丸谷先生もいらっしゃる演奏会に、田舎のバンドがSさん指揮で参加になりました。

F高校の演奏曲はこんな感じ
 ①全員合唱(混成四部・アカペラ・学生指揮)
 ②吹奏楽単独(指揮Sさん)
 ⓷吹奏楽+合唱「歌劇アイーダ大行進曲」、指揮・私)
 アイーダのバンダは、中学の先輩でこの演奏会にも参加しているJ高校吹奏楽部にお願いしました。そのかわり、J高校吹奏楽部が演奏する「翼をください」には、F高校全員が合唱で参加させてもらいました。もう、リハーサルで部員号泣。
 人生最高の瞬間というものがあるなら、今かもです。
 客席には、妻も娘もいます。ここは、私の地元、東京です。
 本番、アイーダの最後の音が響いて、拍手がきました。
 お辞儀をして、袖に戻ろうとするのですが、拍手がやみません。
 部長に目で合図しました。部長は「ありがとうございました」と言い、部員全員がそれに続き、頭を下げます。終わりということです。
 でもやみません。すると、下手からSさんがマイクを持って登場してきました。すると拍手がやみます。ちなにみSさん、トークうまいです。
「やあやあやあやあ。F高校のみなさんすばらしい。お客様、いかがでした?」
「会場のみなさん、F高校ってご存じではないですよね。私、時々行くのですけど、田んぼの中にあるんですよ。すごい田舎。で、そんな田舎の高校生が、すごい演奏するでしょ。感動しちゃうでしょ。」
「こないだこの顧問の先生に頼まれて、F高校の校歌を混成四部合唱に編曲したんですよ。みなさん、私の渾身の編曲、聞きたくないですか(笑)」
 アンコールのようです。こういう演奏会では想定していませんし、予定にもありません。でも、こうなったらやるしかないですね。
 Sさんに指揮をと思った瞬間、どすの利いた声で「お前が振れ」と。
 目が笑っていません。
 これが、私とF高校吹奏楽・合唱部の最後の演奏になりました。
 
  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?