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都内私立高校出身者、地方の公立高校教員となる(5)

 学校5日制が完全実施になりました。ゆとり教育がスタートし、情報・総合学習などの新しい教科が必修となります。つまり、学校6日制の時代よりも「授業日数・授業コマ数」は減ったのですが、「新しい教科」が加わったため、国数英社理の授業数を削減することになりました。
 しかし、大学入試で求められる学力に変更はありません。
 ここで、公立高校は大きな矛盾を抱えます。
 一方で、私立にとってはチャンスです。特別進学コースなどを設定し、土曜日も授業を行う、放課後に大学受験のための講習などを実施することで、大学受験へのアドバンテージを確保します。

学力崩壊への対策は

 この頃、他県視察が盛んに行われました。
 自県よりも大学進学実績やセンター試験平均点の高い県の実践を学びに行きます。そこでわかったのはこんなこと…
 ・自習課題を出す
 ・受験補習の実施
 ・予備校などと連携した情報分析

 まず、通称「週末課題」と言われるものです。
 各教科で、金曜日までに範囲・内容を指示します。
 たとえば…
 数学や国語では、「問題演習プリント」が配られ、それを月曜日の朝提出する。英語では、「英単語・熟語」のテキストから範囲が指定され、月曜日の朝、SHRで「確認テスト」を行う。同様のものが、理科・社会などから出される時もあります。
 要するに、一週間分の授業の復習・演習を、土日にやるということ。何を勉強したらよいかわからない…という生徒さんが増えてきたので、学校が「これを勉強しましょう」という課題を明示するのです。
 同様の課題は、春・夏・冬の長期休業中や、ゴールデンウイークなどにも出ます。膨大な量です。

課題の副作用

 課題を出すことは、保護者には好評。
 そして、生徒さんの勉強時間が増え、模擬試験などの結果も上がってきます。効果・成果はあったといえるでしょう。
 一方で、こんな副作用も…。
◆先生方の業務量が増える
 課題の作成・採点・チェックなどがあります。さらに、提出しない生徒さんへの指導も必要になります。
◆能力の高い生徒さんへの負担
 自分で勉強できる生徒さんにとって、課題はじゃま。自分で自分の弱点を把握し解決したいと思っても、その時間を課題に奪われるのです。
◆真面目だがキャパシティーがあまり広くない生徒さんへの負担
 授業の理解がままならない状態で、演習問題を宿題にされてもできません。

新たな不登校パターンが生まれる

 まず、成績上位者が不登校になります。課題は提出しないといけない。でも自分の弱点はわかっているし、今自分がやるべき勉強もわかっているからそっちを優先したい。でも、課題があってそこまでやる時間がない。
 自主性が尊重された時代なら、難関大学へ進んだ層の生徒さんが、矛盾を抱え、課題に時間を取られて学力と睡眠時間とを奪われるのです。
 次に、真面目で不器用な生徒さんが不登校になります。真面目な生徒さんは、「課題が終わらない、提出できない自分」を責め、月曜日学校を休みます。休んでも課題が終わらなければ火曜日も休みます。あるいは、月曜日休んで課題が完成しても、「遅れて出すことへの罪悪感」で火曜日も休みます。
 中間層・多数派層は、課題などの負荷をかけることで勉強時間が増え、ある程度学力を伸ばします。地元国立大学の合格数も増えます。つまり、トータルでは「国公立大学への合格者数は、学力崩壊以前の水準」に戻り、「名門復活」をアピールできます。
 しかし、こうした一律的な指導は「上位層・下位層をマイノリティー」とします。不登校が増え、旧帝大や医学部などの難関大学・難関学部の合格者数は減ったままです。そして、私立高校の特進コースは、東大・医学部などへの合格者数を増やしていきます。

学校・教員に対する批判と依存とに再会する

 かつて尊重されていたのは「生徒さんの自主性」でした。それを邪魔しない・干渉しない先生がよい先生でした。
 しかし、今は「手厚い指導」が求められます。大学受験に対応できる学力を伸ばすことを軸に、「学費の手当、受験票の書き方、学校見学のご案内、受験スケジュールの立て方」などなど…、大学受験における「ゆりかごから墓場まで」の手厚い指導(大学受験に於ける福祉活動)が求められます。
 また、学校全体に求められることは「東大合格から不登校の対応まで」になります。それは構いません。少し前なら、「目標は、東大合格から卒業まで、多様な生徒さんがいることが本校の特色です」という学校は、そのおおらかさと個性の尊重が評価されていました。何より生徒さんが、多様性と他者性とを尊重していました。地方の公立高校の良さは、このおおらかさと多様性にあったと言えるでしょう。それは、私が育った東京の私立学校とも共通します。
 しかし、「地元国公立大学合格者の大量生産システム」が稼働し結果を出したことで、多様性やおおらかさは消えました。
 東大合格レベルの生徒さんにとって、学校は居心地が悪く、勉強の邪魔をする場となります。欠席の多い生徒さんを励ます空気は失われ、代わりに冷たい視線が送られるようになります。
 そんな中、東大合格レベルの生徒さんの個人添削や、不登校生徒の家庭訪問を行っていると、「贔屓、公平ではない」という声が一部の生徒さん・保護者から出始めます。「先生は勉強できる生徒をかわいがる」「学校に来ない生徒より自分の子供のことを気にかけてほしい」だそうです。
 他者性の否定です。そして、学校・先生とを批判しつつ、依存するのです。私はここでも、批判と依存とに対面することになります。

                      つづく…


 

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