北村早樹子のたのしい喫茶店 第15回「南千住 coffeeオンリー」
文◎北村早樹子
わたしは大阪のことは嫌いだが、西成のことだけは愛している。西成? となる方もいらっしゃるかもしれないので簡単に説明すると、西成とは大阪にある日雇い労働者の街で、ドヤと呼ばれる簡易宿泊施設が立ち並んでいる、ちょっと特殊な街だ。だいたい一泊500円~2000円くらい。ホテルとうたってはいるが、殆どは日雇い労働者や生活保護のじいさんが住居として使っている。ひと部屋だいたい三畳一間(狭いところは一畳のところもある)で、うすいせんべい布団が敷かれていてそれだけ。窓がある部屋は良い方で、冷暖房はついてないところが多い。
コロナになってからはしばらく行けていないが、定期的にそんなドヤにひとりで泊まるというレジャーを、わたしは好き好んでしている。ぺらぺらの壁一枚を隔てて、じいさんやおっさんの息づかいを感じながらひとりで眠るのは、なんともいえない安心感がある。大阪の、連帯して生きていく文化がどうしても好きになれないわたしだが、ここ西成に暮らすおっさんたちは、孤独がベースの方が多い。恐らく、面倒を見てくれる家族や親戚がいたら、こんな場所で余生は過ごさない。徹底的に孤独な人が行きつく先がここ、西成なんだろうとわたしは思っていて、だから大阪は嫌いだけど、西成は大好きだ。
東京で似ている街はというと、山谷になるんだろう。そう思って、わたしは何度目かの山谷散歩に繰り出してみた。
南千住の駅を降りると、空は灰色、建物の色も全体的にくすんでいて、わたしの心をそっと落ち着かせてくれる。
旧日光街道を歩く。泪橋を渡る。橋とはいうが、現在は橋なんてない。あしたのジョーももういない。しかし、ドヤはぽつぽつと建っている。見たところ相場は一泊2500円くらいらしく、西成に比べるとだいぶ高い。商店街らしき通りも何本かあるが、殆どがシャッター街になっている。そらそうか、通りにも、商店街にも、見たところおっさんが全然いない。
西成では、道端や公園、至るところでおっさんらが昼間っから地べたに座って飲酒している。ある意味で、活気がある。しかし、ここ山谷はそういうおっさんも殆ど見かけない。みんなどこにいるんだろうか。大人しくドヤの部屋でじっとしているのだろうか。それとも、そんなおっさんたちすらいないのだろうか。
わたしは不安になった。東京では、天涯孤独になったら、どこへ行けばいいのだろうか。薄暗い山谷を徘徊しながら思う。東京には、最後の砦は用意されていないのだろうか。
靄の中からスカイツリーが顔を出している。市民を明るく照らすテレビ塔であるはずのスカイツリーが、こんなに大きく見えるのに全然明るくない。
スカイツリーに背を向けて、南千住駅の方へ引き返す。陸橋を渡ると、お寺があった。
「延命寺」
首切り地蔵が鎮座している。首切り地蔵と書いてあるが、お地蔵さんにはちゃんと首がある。はて?と思い、看板を読む。ここは小塚原刑場と呼ばれ、江戸時代に打ち首処刑された人の無縁仏を祀っている場所らしい。信心深い方ではないのであまりそういうことはしないのだけど、一応ちゃんとお地蔵さんに手を合わせて外に出た。
そのまま旧日光街道を北上して、少し小道に入ると、とびきりキュートな看板に目を奪われた。
「魔性の味 coffeeオンリー」
赤と水色の文字が踊る窓ガラスが、この街のくすんだ景色の中で、そこだけ色彩が差して光っていた。扉を開けて中に入る。
ほう、なんとキュートな店内なのでしょう。縞模様の壁は天井との継ぎ目がまあるくなっている。水色、緑、黄色、赤、クレヨンで塗ったように目に入る色味が全部可愛い。
ミックスサンドとコーヒーを注文する。ミックスサンドは卵サラダとハムきゅうり、トマトレタスの三色。トマト入りのサンドイッチが大好きなのでうれしくなる。
コーヒーのソーサーには店名が記されている。ひとくちコーヒーを飲むと、まあ! これは魔性の味ですわ。すっきり飲みやすく、雑味がない。ブラックで十分おいしい。
東京には最後の砦はないのかと暗い気持ちになっていたが、喫茶店がまさにそれではないかと我に返った。ひとりぼっちでも、喫茶店に入ると片時、孤独な淋しい気持ちを忘れられる。喫茶店に入ると、ちゃんと自分の席があって、そこは片時、自分だけの守られた空間になる。
ひとりで本を読んでいると、「なんの本読んでるの?」とマスターがやさしい声で話しかけてくれた。喫茶店のマスターは程よい距離感で接してくださるので、警戒心なく落ち着けて心穏やかに過ごせる。
山谷には西成のような避難所はないけれど、灰色の街に明るさをぽっと灯してくれるオンリーがあった。東京で遭難したら、とりあえず南千住に来て、このとびきりキュートなオンリーへ逃げ込もうと思います。
今回のお店「南千住 coffeeオンリー」
■住所:東京都荒川区南千住5―21―8
■電話:03―3807―5955
■営業時間:9時~18時
■定休日:日曜日
北村早樹子
1985年大阪府生まれ。
高校生の頃より歌をつくって歌いはじめ、2006年にファーストアルバム『聴心器』をリリース。
以降、『おもかげ』『明るみ』『ガール・ウォーズ』『わたしのライオン』の5枚のオリジナルアルバムと、2015年にはヒット曲なんて一曲もないくせに『グレイテスト・ヒッツ』なるベストアルバムを堂々とリリース。
白石晃士監督『殺人ワークショップ』や木村文洋監督『へばの』『息衝く』など映画の主題歌を作ったり、杉作J太郎監督の10年がかりの映画『チョコレートデリンジャー』の劇伴音楽をつとめたりもする。
また課外活動として、雑誌にエッセイや小説などを寄稿する執筆活動をしたり、劇団SWANNYや劇団サンプルのお芝居に役者として参加したりもする。
うっかり何かの間違いでフジテレビ系『アウト×デラックス』に出演したり、現在はキンチョー社のトイレの消臭剤クリーンフローのテレビCMにちょこっと出演したりしている。
2017年3月、超特殊装丁の小説『裸の村』(円盤/リクロ舎)を飯田華子さんと共著で刊行。
2019年11月公開の平山秀幸監督の映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(笑福亭鶴瓶主演)に出演。
2019年より、女優・タレントとしてはレトル http://letre.co.jp/ に所属。
■北村早樹子日記
北村さんのストレンジな日常を知ることができるブログ日記。当然、北村さんが訪れた喫茶店の事も書いてありますよ。
■北村早樹子最新情報
北村早樹子さんが音楽を担当した映画『息衝く』 9月3日よりポレポレ東中野にて緊急上映決定!
宗教団体による反社会的活動が取り沙汰されている昨今、宗教と政治の関わり、信仰とは何か?を問う、木村文洋監督作『息衝く(いきづく)』(2018年)が緊急上映決定!上映後は<「宗教・政治・家族」を巡って>と題したトークイベントも連日開催!